第二百四十話 宝の山
魔族の世界へ渡るために必要な空間転換。
しかし、肝心の習得方法が分からない。
新たな手掛かりを求め、ユウトたちは以前訪れた場所へと向かいます。
あの時は読むことのできなかったものも、今のユウトなら――。
それでは、第240話をお楽しみください!
「……で」
しばらく壁に刻まれた古代文字を眺めていたリトが、腕を組みながら口を開いた。
グランヴァルト城の地下遺跡。
薄暗い通路には相変わらず冷たい空気が漂い、長い年月を経た石壁には、世界の成り立ちに関わる記録が残されている。
その中から、ユウトたちは一つの重要な手掛かりを見つけていた。
空間転換。
かつて世界を三つに分けたとされ、隔てられた世界の境界を越えることもできるという魔法だ。
しかし、そこでリトは当然の疑問に行き着いたらしい。
「どうやって覚えるんだ?」
「…………」
ユウトは黙った。
「空間転換」
「…………」
「必要なんだろ?」
「……そうだな」
「覚え方は?」
「…………」
リトはそんなユウトの反応を見て、呆れたように息を吐いた。
「知らねぇんだな?」
「うるさいな!」
ユウトの声が、静かな地下遺跡へ響き渡った。
「仕方ないだろ! 今さっき必要だって分かったんだから!」
「でも、ここには書いてないの?」
シアが壁を見上げながら首を傾げる。
「それが……」
ユウトは改めて古代文字を確認した。
ここに記されているのは、世界が三つに分けられたという事実と、その際に空間転換が使用されたという記録。
さらに、分断された世界の境界を越える方法として、同じ魔法の名前が残されている。
しかし、実際にその魔法をどう発動するのか、どのような術式が必要なのかといった記述は見当たらなかった。
「……術式まではないな」
「じゃあどうするのよ」
「うーん……」
シエルに尋ねられ、ユウトは困ったように頭を掻いた。
魔族の暮らす世界へ渡るための方法は分かった。
しかし、その方法を実行するための手段が分からない。
例えるなら、目的地だけ教えられて、そこへ辿り着くための道を知らないようなものだった。
(……どうしたもんかな)
ユウトは腕を組み、しばらく考え込んだ。
だが、いくら考えても答えは出てこない。
「……詰んだな」
「早い早い!」
リトが思わず声を上げた。
「諦めるの早すぎるだろアニキ!」
「だって他に手掛かりねぇじゃん」
「探せば何かあるって!」
「どこに?」
「…………」
リトの勢いが止まった。
しばらく考えるように視線を泳がせたものの、具体的な場所は思い浮かばなかったらしい。
「ほらみろ! ないだろ?」
「ぐっ……!」
今度はリトが言葉に詰まる番だった。
そのやり取りを見ていたシアが、不意に元気よく手を挙げた。
「主!」
「ん?」
「ゴルダンに聞けばいいんじゃないっすか?」
「…………」
全員の視線が、少し離れた場所で壁にもたれているゴルダンへ向いた。
山岳地帯で受けた傷はまだ癒えておらず、彼は先ほどからほとんど動かずに話を聞いていた。
「……何だ」
突然注目されたゴルダンが、不機嫌そうに眉を寄せる。
「クロノシフトの覚え方」
「知らぬ」
「ですよね!」
あまりにも予想通りの返答に、ユウトは思わず叫んでしまった。
ゴルダンは呆れたように目を細める。
「なぜ聞いた」
「もしかしたらって思うだろ!」
「我に何を期待している」
「だから魔族代表としてもうちょっと――」
「勝手に代表にするな」
「このやり取りさっきもやったぞ!」
ユウトが頭を抱えると、ゴルダンは小さく鼻を鳴らした。
どうやら、これ以上彼に質問しても新しい情報は得られそうになかった。
「……ユウト」
そんな二人を見かねたのか、シエルが呆れたように口を開いた。
「ゴルダンが知らないなら、別の場所で調べるしかないんじゃない?」
「……別の場所」
ユウトはその言葉を繰り返した。
確かに、この遺跡に術式が残されていないからといって、世界のどこにも情報が存在しないと決まったわけではない。
しかし、空間転換は魔族の魔法だ。
魔族の存在さえほとんど知られていない人間の世界に、そんな特殊な魔法の記録が残されているのだろうか。
「クロノシフトは魔族の魔法なんだろ?」
「そうね」
「だったら人間の世界にそんな情報――」
そこまで言い掛けたところで、ユウトの言葉が止まった。
「…………あ」
頭の中に、一つの光景が浮かんだのだ。
高い天井。
どこまでも続くような巨大な本棚。
そして、その棚を埋め尽くす膨大な書物。
(……待てよ)
以前訪れたあの場所なら、もしかしたら。
「どうしたの?」
突然黙り込んだユウトを、シエルが不思議そうに見つめている。
「……あるかもしれない」
「何が?」
「情報」
ユウトは勢いよく顔を上げた。
「帝国の図書館!」
「…………」
シエルも一瞬考え込んだ後、何かに気付いたように目を見開いた。
「ああ……!」
「前に行った時、あそこに古代文字で書かれた本が山ほどあっただろ!」
「そうね」
「俺、あの時ほとんど読めなかったけど……」
ユウトは自分の手へ視線を落とした。
以前、帝国の図書館を訪れた時は、まだ古代文字の解析が十分に進んでいなかった。
そのため、貴重な書物が目の前にあっても、内容を理解できずに終わったものがほとんどだったのだ。
しかし、今は違う。
成体への進化条件を満たすために続けてきた解析は、すでに完了している。
目の前の壁に刻まれた文字を読めたように、あの図書館の書物も読めるはずだった。
「今なら読める!」
「確かに可能性はあるわね」
シエルも納得したように頷いた。
図書館には古代魔法に関する資料も数多く保管されていた。クロノシフトについて記された文献が残っている可能性は、十分に考えられる。
「よし!」
ユウトは勢いよく立ち上がった。
「図書館に戻ろう!」
「また移動かよ……」
リトが肩を落とす。
「文句言うな!」
「分かってるって!」
ユウトが言い返すと、リトは苦笑しながら両手を上げた。
そんな二人の横で、シアが再び元気よく手を挙げる。
「主!」
「今度は何だ?」
「ゴルダンはどうするっすか!」
「…………」
全員がゴルダンへ視線を向けた。
「……また我を見るのか」
ゴルダンは露骨に嫌そうな顔をした。
「いや、だって図書館って王城の敷地内だよな……」
ユウトは考えるように腕を組む。
今いるのは城の地下遺跡だが、ここから図書館へ移動するには、再び人のいる場所を通らなければならない。
皇帝を陰で操っていた張本人を、そのまま連れ歩けるはずもなかった。
「絶対入れてもらえないよな……」
「主! さっきみたいに《擬態》でゴルダンのこと透明にできるんじゃないっすか?」
「……ああ、そうか!」
ユウトは思わず手を叩いた。
城へ戻ってくる時も、その方法で人目を避けたばかりだった。
「確かに! もう一回やってみるか!」
ユウトがゴルダンへ意識を向け、《擬態》を発動する。
すると、その身体は輪郭から徐々に薄れていき、やがて完全に姿が見えなくなった。
「すごいっす! やっぱり完全に見えなくなったっす!」
「やるなぁアニキ」
リトが感心したように声を上げる。
もっとも、当のゴルダンは何もない空間から不満そうな声を漏らしていた。
「……またこれか」
「我慢しろって。見つかったら困るのはお前だろ」
「…………」
反論がないところを見ると、その点は本人も理解しているらしい。
ユウトは満足そうに頷いた。
「よし! この作戦で行こう!」
こうしてユウトたちは、再び帝国の図書館へ向かうことになった。
◇
「うわぁ……」
帝国図書館へ戻ってきたユウトは、思わず感嘆の声を漏らした。
高い天井の下には、幾列もの巨大な本棚が整然と並んでいる。
棚には大小さまざまな書物が隙間なく収められ、長い年月を経た革表紙や古びた背表紙が、静かな室内に独特の重厚さを与えていた。
以前にも見た光景だ。
建物の造りも、本棚の配置も、何一つ変わっていない。
それなのに、ユウトにはまるで別の場所へ来たように感じられた。
「……何よ」
シエルが不思議そうに首を傾げる。
「いや……」
ユウトは目の前の本棚を見上げたまま、ゆっくりと首を振った。
「全然違う……」
「何が?」
「見えるものが」
そう答えると、ユウトは近くの棚へ歩み寄り、一冊の本を手に取った。
表紙には古代文字が記されている。
以前なら、その文字が何を意味しているのか、ほとんど理解できなかっただろう。
しかし、今は違った。
「『空間魔法における魔力構造の考察』……」
「……読めるの?」
「ああ」
ユウトは頷くと、本を棚へ戻し、隣の一冊へ手を伸ばした。
「『古代魔術体系と現代魔術の相違』」
さらにもう一冊。
「『時空干渉術式について』」
「……本当に読めるのね」
シエルが感心したように呟いた。
「ああ!」
ユウトは嬉しそうに頷き、改めて本棚を見渡した。
以前は意味不明な文字の羅列にしか見えなかった背表紙が、今では一つ一つ異なる意味を持っている。
どの本に何が書かれているのか、少なくともその題名を理解することができるのだ。
ただ本を眺めているだけでも、次々と興味を引かれる題名が目に飛び込んでくる。
(……すげぇ)
目の前にあるのは、古代の研究者たちが残した膨大な知識だった。
今までは読めなかったという理由だけで、そのほとんどに触れることができなかった。
しかし、今なら違う。
「宝の山じゃん!」
思わず口元が緩んだ。
「前も同じ本はあったのよ」
「分かってるよ!」
「読めなかっただけっすね!」
「シア、それ言わなくていい!」
「事実じゃねぇか」
「リトまで!」
ユウトが抗議すると、シアは楽しそうに笑い、リトも肩を揺らした。
シエルも小さく笑みを浮かべながら、周囲の本棚へ視線を向ける。
「でも、これだけあるなら期待できそうね」
「ああ」
ユウトは力強く頷いた。
少なくとも、古代魔法に関する文献がこれほど残されているのなら、クロノシフトについての情報が見つかる可能性は十分にある。
「探そう」
「全部?」
「…………」
シエルの何気ない一言に、ユウトの動きが止まった。
改めて周囲を見回す。
目の前にある巨大な本棚は、一つや二つではない。
何段もの棚にぎっしりと書物が並び、さらにその先にも同じような本棚が続いている。
古代文字が読めるようになったとはいえ、書物の数が減ったわけではなかった。
(……ちょっと待てよ)
この量を一冊ずつ確認するとなると、一体どれほどの時間が掛かるのだろうか。
「……全部?」
シエルがもう一度尋ねた。
ユウトは少し考えた末、勢いよく振り返った。
「……手分けしよう!」
「俺たち古代文字読めねぇぞ」
「…………」
リトの指摘に、ユウトの勢いが止まった。
そうだった。
ここにいる誰もが古代文字を読めるわけではない。
シエルは魔法についての知識が豊富だが、古代文字の読解に関してはユウトと同じ条件ではないし、シアやリトも内容を理解することはできない。
「主、頑張るっす!」
シアが満面の笑みで親指を立てる。
「俺一人!?」
「解析したのは貴方でしょう?」
シエルが当然のように答えた。
「そうだけど!」
ユウトは両手で頭を抱えた。
先ほどまで宝の山に見えていた大量の書物が、今度は途方もない作業の山に見えてくる。
「こんなの何日かかるんだよ……」
思わず天井を仰いだ、その時だった。
《検索補助が可能です》
「…………」
ユウトが固まった。
聞き慣れた声が、頭の中へ直接響いてきたのだ。
《対象となる単語を指定してください》
(……あ)
そうだった。
自分には、古代文字の解析を進めてきた補佐機構がいる。
これまで何度も助けられてきたというのに、目の前の本の量に圧倒されて、すっかりその存在を忘れていた。
「どうしたの?」
急に黙り込んだユウトを見て、シエルが不思議そうに尋ねる。
「いや……」
ユウトはゆっくりと顔を上げた。
先ほどまでの絶望的な表情は、どこかへ消えている。
「俺には最強の味方がいた」
「……?」
シエルが首を傾げる。
そんな反応を気にすることなく、ユウトは意識を補佐機構へ向けた。
(補佐機構! クロノシフト!)
《了解しました》
「よっしゃ!」
「急に元気になったわね」
「気にするな!」
ユウトは嬉しそうに笑うと、早速近くの本棚へ向かった。
それから、関連しそうな文献を次々と確認し始めた。
空間転換。
空間魔法。
時空魔法。
古代魔術。
補佐機構の検索補助を頼りに、関連する記述がないかを調べていく。
本を開き、必要な箇所を確認しては次の一冊へ移る。
時には題名だけで候補を絞り、時には本文を読み進めながら、目的の魔法に繋がる情報を探した。
静かな図書館には、ページをめくる音が繰り返し響いていた。
シエルたちも周囲で書物を確認していたが、やはり古代文字で記された部分の調査はユウトが中心となる。
それでも、補佐機構の助けがあるおかげで、闇雲に本を読み続けるよりは遥かに効率よく調べられていた。
(……どこかにあるはずだ)
先ほどの遺跡に、クロノシフトの名前が記されていた。
そして、ここには古代魔法に関する膨大な資料が残されている。
ならば、術式そのものは見つからなくても、何か一つくらい関連する記録があるかもしれない。
ユウトは期待を胸に、さらに調査を続けた。
そして――。
「……あった」
その呟きに、シエルたちが一斉に振り返った。
「本当?」
「ああ」
ユウトは古びた一冊の本を開いたまま、頷いた。
長い年月を経て変色した紙面には、細かな古代文字がびっしりと並んでいる。
その中に、探していた名前が確かに記されていた。
空間転換。
(……ようやく見つけた!)
ユウトは逸る気持ちを抑えながら、文章を読み始めた。
「何て書いてある?」
シエルが隣から覗き込んでくる。
「ちょっと待って」
ユウトは指先で文字を追い、内容を確認した。
「空間転換は……古代より存在する時空魔法の一種」
「それは知ってるわね」
「ああ。問題はここからだ」
ユウトはさらにページをめくった。
古代文字が並ぶ紙面には、空間転換についての研究が記されていた。
しかし、続きを読み進めたところで、ユウトの表情が少し曇る。
「現代において完全な術式を再現することは困難……」
「…………」
「…………」
沈黙が流れた。
その中で、リトがぽつりと呟く。
「……終わったな」
「リト!」
「だって無理って書いてあるじゃねぇか!」
「最後まで聞け!」
ユウトは思わず声を上げると、再び本へ視線を戻した。
確かに、完全な術式を再現することは困難だと記されている。
しかし、困難という言葉は、必ずしも不可能という意味ではない。
ユウトは僅かな期待を込めながら、続きを読む。
「ただし――」
そこで指の動きが止まった。
「……え?」
「どうしたの?」
シエルが尋ねる。
しかし、ユウトはすぐには答えなかった。
今読んだ文章を、もう一度最初から確認する。
書かれている内容は間違いない。
(……マジか)
この本には、術式の再現が困難だという話だけでなく、その研究を続けている場所についても記されていたのだ。
「これ……」
「何て書いてあるのよ」
シエルが少し身を乗り出す。
ユウトは顔を上げ、ゆっくりと答えた。
「完全な術式ではないが、クロノシフトの研究を現在も続けている国があるって」
「……国?」
シエルの目が僅かに細くなった。
彼女はユウトの手元にある本へ視線を落とし、その古びた装丁を確認する。
「でも、これ相当昔の文献でしょ?」
「まあ、そうだな」
「今もその国が残ってるとは思えないけど……ちなみに、何て書いてあるの?」
「えっと……」
ユウトは改めて本へ目を落とした。
研究を続けているという国の名前は、文章の中にはっきりと記されている。
聞き覚えのない名前だったが、読み間違えるような文字ではなかった。
「――聖国ルミナス」
「…………」
その名前を聞いた瞬間、シエルの表情が変わった。
「……ルミナス」
彼女は驚いたように小さく呟く。
その反応を見て、ユウトは顔を上げた。
「知ってるのか?」
「ええ」
シエルはゆっくりと頷いた。
先ほどまで古い文献の内容を疑っていた彼女の目には、明らかな驚きが浮かんでいる。
「この大陸に存在する――もう一つの大国よ」
「……もう一つの」
ユウトはその言葉を繰り返し、再び手元の本へ視線を落とした。
古い文献に記されているだけの、すでに失われた国かもしれないと思っていた。
しかし、その国は今も存在しているという。
つまり、クロノシフトの研究がどこまで進んでいるかは分からないものの、少なくとも調べに行くことはできるのだ。
(……ようやく次が見えたな)
目の前の古書には、世界を越えるための手掛かりが残されていた。
魔族が暮らす世界へ渡るために必要な魔法。
空間転換。
その研究について、何かを知っているかもしれない国。
聖国ルミナス。
まだ分からないことは多いが、少なくとも次に向かうべき場所は見つかった。
ユウトは本を閉じると、シエルたちへ顔を向けた。
「……決まりだな」
その口元には、いつもの笑みが浮かんでいた。
「次は――聖国ルミナスだ」
第240話を読んでいただきありがとうございます!
以前はほとんど読むことのできなかった古代文字の文献も、解析を終えた今のユウトにとってはまさに「宝の山」。
そしてついに、空間転換に関する文献を発見しました。
そこに記されていたのは、遥か昔からクロノシフトの研究を続けているという国――聖国ルミナス。
古い文献にその名が残されながら、今なお存在する大国。
果たしてルミナスには、クロノシフトを習得するための手掛かりが残されているのでしょうか。
ユウトたちの次なる目的地が決まりました。
次回もぜひお楽しみに!
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それでは、また次回お会いしましょう!




