第二百三十九話 帰る場所
世界を三つに分けた魔法――空間転換。
その力について調べるユウトたちは、分断された世界を行き来するための可能性へと辿り着きます。
しかし、そこには一つ大きな問題がありました。
それでは、第239話をお楽しみください!
「……ちょっと待って」
シエルが壁を見つめたまま、静かに呟いた。
グランヴァルト城の地下深くに広がる遺跡。その薄暗い通路には、先ほどユウトが読み上げた魔法の名前が、まだ重く響いているようだった。
空間転換。
かつて世界を三つに分ける際に使用されたという魔法。
しかし、その名前を知っているはずのシエルは、納得できない様子で眉をひそめていた。
「どうした?」
「私が知っている空間転換と、話の規模が違いすぎるわ」
「やっぱり?」
「ええ」
シエルは小さく頷き、改めて壁に刻まれた文字へ視線を向けた。
「空間転換は、空間と時間に干渉する魔法。私も見たのは前の一度きりだけど……」
「けど?」
「少なくとも、世界そのものを分けるような魔法だなんて聞いたことがない」
「…………」
ユウトは再び壁へと向き直った。
目の前に刻まれている文字は、確かにそう読める。
何度確認しても意味は変わらないし、補佐機構による解析が間違っているようにも思えなかった。
「でも、ここにはそう書いてあるんだよなぁ」
「読み間違いじゃねぇのか?」
リトが横から顔を覗かせた。
彼には文字の意味が分からないため、ユウトが見つめている箇所を確認しても、首を傾げることしかできない。
「俺だってそう思いたいけど……」
ユウトはもう一度、壁に刻まれた文章を最初から読み直した。
空間、時間、境界、分断。
それらの言葉が続く先に、はっきりと記されている魔法の名前。
空間転換。
古い石壁の表面を指先でなぞりながら、一文字ずつ確認していく。
「……間違いない」
ユウトはゆっくりと首を振った。
「世界を三つに分ける時に使われたって書いてある」
「そんなことが……」
シエルは口元へ手を当て、考え込むように視線を落とした。
空間と時間に干渉する魔法であることは知っていた。しかし、一つの世界を三つに分断するなど、彼女がこれまで学んできた魔法の常識からはあまりにもかけ離れている。
そんなシエルの隣で、ユウトはふとゴルダンへ目を向けた。
「ゴルダンは?」
「何がだ」
「魔族なんだろ? クロノシフトについて何か知らない?」
「知らぬ」
「即答!」
あまりにも迷いのない返答に、ユウトは思わず声を上げた。
しかし、ゴルダンは悪びれる様子もなく、岩壁へ背中を預けたまま淡々と答える。
「知らぬものは知らぬ」
「またそれかよ!」
「我に何を期待している」
「魔族代表としてもうちょっと頑張ってくれよ!」
「勝手に代表にするな」
ゴルダンが不機嫌そうに眉を寄せる。
その様子を見ていたリトが、二人の顔を交互に眺めながらぽつりと呟いた。
「……お前ら、ちょっと仲良くなってないか?」
「「なってない!」」
二人の声が、見事に重なった。
そのあまりにも息の合った反応に、シアが楽しそうに目を輝かせる。
「息ぴったりっす!」
「「どこがだ!」」
「…………」
シエルが無言で額を押さえた。
つい先ほどまで世界の成り立ちに関わる重大な話をしていたはずなのに、いつの間にかいつもの調子に戻ってしまっている。
もっとも、ユウトたちにとっては珍しいことでもなかった。
「……話を進めてもいい?」
静かな声だったが、有無を言わせない圧力があった。
「はい」
「……好きにしろ」
ユウトが姿勢を正し、ゴルダンもそれ以上は口を開かなかった。
シエルは小さくため息を吐くと、再び壁へ視線を戻した。
「同じ魔法でも、術者によって規模が変わることはあるわ」
「ってことは……」
「世界を三つに分けられるほどの力を持った何者かが、クロノシフトを使った」
「……何者か」
ユウトは壁を見上げた。
今の自分も、成体へ進化したことで魔法を扱えるようになった。だが、世界そのものを分けるなど、どれほどの魔力が必要なのか想像すらできない。
もし本当にそんなことを成し遂げた存在がいるのなら、一体どれほど強大な力を持っていたのだろうか。
「誰なんだ?」
「ここには書かれてないの?」
「ちょっと待って」
ユウトはその答えを探すように、さらに先の文字へ視線を移した。
壁面には古い文章が延々と続いているが、年月の経過によって損傷している箇所も少なくない。
目を凝らしながら、一つずつ文字を確認していく。
「…………」
しかし、肝心な部分へ辿り着いたところで、ユウトの表情が曇った。
「……ここ、壊れてるな」
「え?」
シエルが近付いてくる。
ユウトが指差した場所は、文章の途中から壁が大きく崩れ落ちていた。
周囲には文字の一部が残っているものの、誰が魔法を使用したのかに関わる記述は、ほとんど失われてしまっている。
「誰が使ったかは分からない」
「……そう」
シエルは残念そうに息を吐いた。
ここまで重要な記録が残されているというのに、最も知りたい部分だけが読めない。
ユウトも思わず肩を落としかけたが、すぐに別の文章へ視線を向けた。
「でも……」
「どうしたの?」
「世界を分けた後については少し書いてある」
「何て?」
「えーっと……」
ユウトは指先で文字を追いながら、ゆっくりと読み進めた。
「三つの世界は、それぞれ異なる空間として隔てられ……通常の方法で行き来することはできなくなった」
「ゴルダンの話と一致するわね」
「ああ」
ユウトは小さく頷いた。
ゴルダンは、魔族の暮らす地がこちらとは繋がっていないと言っていた。
海を渡っても辿り着けず、どれほど遠くへ旅をしても見つけることはできない。
そもそも、同じ空間に存在していないのだ。
(……本当に世界が分かれてるんだな)
先ほどまで、どこか現実味のなかった話だった。
しかし、目の前の記録とゴルダンの証言が重なったことで、その内容が少しずつ現実のものとして感じられるようになっていた。
そして、さらに文章を読み進めたユウトの目が、ある一文で止まった。
「……でも」
「今度は何?」
「行き来する方法はあるみたいだ」
「……!」
その言葉に、ゴルダンが反応した。
それまで岩壁にもたれて黙っていた男が、僅かに顔を上げる。
「何だと?」
「ここ」
ユウトは壁の一部を指差した。
「分断された世界の境界を越える方法」
全員の視線が、ユウトの指先へ集まる。
そこに刻まれていたのは、先ほどから何度も目にしている魔法の名前だった。
「空間転換」
「……なるほど」
シエルが小さく呟いた。
「世界を分けた魔法なら――」
「同じ魔法で境界を越えられるかもしれないってことか」
「ええ」
シエルは頷いたが、その表情は真剣なままだった。
理屈としては考えられる。しかし、実際に行き来できるかどうかは、まだ分からない。
「じゃあ!」
リトが勢いよく声を上げた。
「それ覚えりゃゴルダンのいた場所に行けるってことか?」
「たぶん」
「たぶんかよ!」
「やったことないんだから仕方ないだろ!」
ユウトは思わず言い返した。
そもそも、世界そのものを分けた魔法だ。名前が分かったからといって、すぐに使えるようになるとは限らない。
それでも、今まで何も分からなかったことを思えば、大きな進展だった。
魔族が暮らす世界。
そして、そこへ渡るための手掛かり。
ようやく、漠然としていた疑問に一つの道筋が見え始めていた。
「…………」
そんな中、ユウトはふとゴルダンへ視線を向けた。
先ほどから妙に静かだった。
帰る方法に関わる話だというのに、喜ぶ様子もなければ、詳しく聞こうとする気配もない。
「……ゴルダン?」
「何だ」
「いや……」
ユウトは首を傾げた。
「帰れるかもしれないって分かったのに、なんか反応薄くない?」
「…………」
ゴルダンはしばらく答えなかった。
その沈黙が気になり、ユウトは少しだけ表情を変える。
「……帰りたくないの?」
「馬鹿を言うな」
ゴルダンの声が低くなった。
「帰れるものなら、今すぐにでも帰りたい」
「じゃあ――」
「だが」
ユウトの言葉を遮り、ゴルダンは壁へ視線を向けた。
「我には空間転換は使えぬ」
「……そうなの?」
「ああ」
「魔族なら使えるんじゃないの?」
「全ての魔族が使えるわけではない」
「なるほど……」
ユウトは腕を組んだ。
シエルから聞いていたクロノシフトは、魔族が使う特殊な魔法だった。
だからこそ、魔族であるゴルダンなら何か分かるのではないかと期待していたのだが、そう簡単な話ではないらしい。
「じゃあ、お前どうやってこっちに来たんだ?」
「言ったはずだ。魔王様の力によって境界を越えたと」
「あ」
ゴルダンが怪訝そうに眉を寄せた。
「忘れていたのか?」
「いや……確認だよ、確認」
「今、明らかに思い出した顔をしていたぞ」
「うるさいな!」
ユウトが顔を逸らすと、ゴルダンは呆れたように小さく息を吐いた。
「我はこちらへ送られただけだ。自ら境界を越えたわけではない」
「じゃあ……」
そこでユウトは、あることに気付いた。
「お前、自分じゃ帰れないの?」
「…………そうだ」
「マジかよ」
思わず声が漏れた。
こちらへ来ることはできても、自分の意思では元の場所へ戻れない。
それでは、最初から帰り道を持たずに送り込まれたようなものではないか。
「魔王に戻してもらうことは?」
「任務を終えれば、帰還する手筈だった」
「……だった?」
「我は敗北した」
ゴルダンは淡々と答えた。
しかし、その表情は決して穏やかなものではなかった。
「任務も果たせていない」
膝の上に置かれた拳が、僅かに握り締められる。
「そもそも迎えが来る保証などない」
「…………」
ユウトは何も言えなかった。
確かにゴルダンは、自分たちが戦って倒した相手だ。
皇帝を操っていたことを思えば、決して許されるようなことをしたわけではない。
それでも、今の話を聞いていると、少し複雑な気持ちになった。
ゴルダンは敗北したことで、元の世界へ戻る手段まで失ってしまったのだ。
「……なあ」
ユウトは少し考えてから、静かに尋ねた。
「向こうに……帰りたい理由でもあるのか?」
「…………」
ゴルダンは答えなかった。
その沈黙を見て、ユウトは無理に聞き出すのも違うかと思い直す。
「別に言いたくないなら――」
「家族がいる」
「…………え?」
思いがけない言葉に、ユウトの動きが止まった。
ゴルダンは視線を落としたまま、静かに続ける。
「妻と娘だ」
「…………」
今度こそ、誰もすぐには言葉を返せなかった。
ユウトは目を丸くしたまま固まり、リトも口を半開きにしてゴルダンを見つめている。
シアは驚いたように何度か瞬きを繰り返し、シエルだけが静かな表情でゴルダンを見守っていた。
「……娘?」
「そうだ」
「お前……お父さんなの?」
「我に家族がいて何がおかしい!」
「いや、おかしくはないけど!」
「なら何だ!」
「なんか……想像できなくて!」
「余計なお世話だ!」
ゴルダンが声を荒げると、ユウトは慌てて両手を振った。
別に馬鹿にしているわけではない。
ただ、あれほど恐ろしい力を持ち、何度も自分たちを追い詰めてきた男が、家では父親として暮らしている。
その姿が、どうしてもすぐには結び付かなかったのだ。
「アニキ、失礼だぞ」
リトが呆れたように口を挟んだ。
「お前も驚いてただろ!」
「俺は顔に出してない」
「嘘だね! めちゃくちゃ出てたね!」
リトはわざとらしく顔を背けたが、ユウトには誤魔化せなかった。
そんな二人のやり取りに、ゴルダンは深いため息を吐いた。
やがて、少しだけ視線を落として口を開く。
「娘は……まだ幼い」
「…………」
その一言で、場の空気が僅かに変わった。
先ほどまでの軽口が途切れ、地下遺跡には静けさが戻る。
ゴルダンの声には、これまで聞いたことのない響きがあった。
「こちらへ渡る際、必ず戻ると約束した」
彼は壁に背中を預けたまま、しばらく足元を見つめていた。
その横顔からは、先ほどまでの苛立ちも、戦いの最中に見せていた威圧感も感じられなかった。
「故に――帰らねばならぬ」
「…………そっか」
ユウトは小さく頷いた。
それ以上、すぐに言葉を続けることはできなかった。
ゴルダンは魔族であり、魔王の配下だ。そして、この国の皇帝を長い間操っていた敵でもある。
これまでユウトにとって、ゴルダンとはそういう存在だった。
しかし、今は少し違って見えた。
(……家族がいるんだな)
帰りを待っている者がいる。
大切な人がいて、その人たちのもとへ戻りたいと願っている。
それは、人間も魔族も変わらないのかもしれない。
もちろん、だからといってゴルダンがしてきたことまで許されるわけではない。
それでも、今目の前にいる男を、ただの敵として片付けることはできなかった。
「……だったら」
「?」
ユウトは再び壁へ視線を向けた。
そこには、先ほどから何度も確認してきた空間転換の名前が刻まれている。
「ちょうどいいな」
「……何がだ」
ゴルダンが怪訝そうに眉を寄せた。
ユウトはそんな反応を気にすることなく、壁を指差しながら続ける。
「俺たちは向こうへ行ってみたい」
「……何?」
「お前は向こうへ帰りたい」
「…………」
ゴルダンは黙ったままユウトを見つめていた。
何を言い出すつもりなのか、まるで見当がつかないといった表情だった。
しかし、ユウトにとっては難しい話ではなかった。
自分たちは、魔族の暮らす世界についてもっと知りたい。
ゴルダンには、帰らなければならない理由がある。
そして、そのどちらにも必要なのが、世界の境界を越える方法だった。
「なら――」
ユウトは振り返り、いつもの調子で笑った。
「一緒に方法を探せばいいだろ」
「…………」
ゴルダンは何も答えなかった。
ただ、まるで理解できないものを見るように、しばらくユウトを見つめている。
つい先ほどまで命懸けで戦っていた相手が、今度は自分の帰り道を一緒に探そうと言い出したのだ。
その反応も無理はなかった。
やがてゴルダンは、呆れたように小さく息を吐いた。
「……変な奴だ」
「よく言われる」
「褒めてはいないからな」
「知ってるよ!」
ユウトが笑いながら言い返す。
その横ではシアが嬉しそうに微笑み、リトも小さく肩をすくめていた。
シエルだけは何か言いたげにユウトを見つめていたが、結局、何も口にはしなかった。
ユウトは改めて壁へ向き直る。
まだ分からないことは山ほどある。
そもそも、どうして世界は三つに分けられたのか。
その魔法を使ったのは誰なのか。
そして、空間転換を使えば、本当に魔族の暮らす世界へ渡ることができるのか。
どれも、今すぐ答えが出るような話ではなかった。
それでも、新たな目的は見えてきた。
魔族が暮らす世界へ渡る。
そのために必要なのは――。
「空間転換か……」
ユウトは壁に刻まれた文字を見つめながら、小さく呟いた。
かつて世界を三つに分けるために使われたという魔法。
そして、隔てられた世界を再び繋ぐことができるかもしれない魔法。
今はまだ、その術理も、扱うために必要な条件も分からない。
だが、ユウトはこの時、一つの確かな手掛かりを得たのだった。
そして、彼自身はまだ知らない。
この魔法がいつの日か、自らの運命に大きく関わることになることを。
第239話を読んでいただきありがとうございます!
世界を分けた空間転換には、隔てられた世界の境界を越える力もあることが判明しました。
しかし、ゴルダン自身にはクロノシフトを使うことができず、今のままでは元の世界へ帰ることもできません。
そして明らかになった、ゴルダンが帰りたい理由。
敵として現れた魔族にも家族がいて、大切な人が帰りを待っている。
ユウトにとっても、魔族という存在への見方が少し変わる出来事になったのではないでしょうか。
目的は決まりました。
残る問題は――どうやってクロノシフトを習得するのか。
次回もぜひお楽しみに!
「面白い!」「続きが気になる!」と思っていただけましたら、ブックマークや評価で応援していただけると、とても励みになります!
それでは、また次回お会いしましょう!




