第二百三十二話 本来の姿
ついに竜化を選んだユウト。
成体となって初めて見せる、その本来の姿。
果たして、その力は――。
それでは、第232話をお楽しみください!
「グオオオオオオオオオッ!!」
凄まじい咆哮が山岳地帯を揺らした。
空気そのものを震わせるような低い轟音が谷間を駆け抜け、周囲の岩肌から小石がぱらぱらと転がり落ちていく。
やがて、ユウトを中心に渦巻いていた膨大な魔力が、ゆっくりと晴れ始めた。
「…………」
誰も言葉を発しなかった。
シエルも、シアも、リトも。そして対峙するゴルダンでさえ、その中心から姿を現した存在を、ただ黙って見つめていた。
「……ユウト」
最初に声を漏らしたのはシエルだった。
そこにいたのは、つい先ほどまでの人に近い姿ではない。
黒を基調とした硬質な鱗に覆われた巨大な身体。頭部から後方へ伸びる二本の角に、岩盤すら容易く引き裂けそうな鋭い爪。そして、太く長い尾。
背中には大きな一対の翼が折り畳まれており、その翼膜には身体から溢れ出した魔力が淡く揺らめいている。
幼生体だった頃とは、明らかに違っていた。
身体は一回り以上大きくなり、以前はどこか細身だった体躯にも、竜として完成へ近付いたことを思わせる力強さが宿っている。
しかし、変化は単純な大きさだけではなかった。
余分なものを感じさせない引き締まった身体つきに、全身を覆う黒鱗が陽の光を鈍く反射している。
見る者へ本能的な畏怖を与えるほどの威圧感を放ちながらも、その姿には不思議なほど整った美しさがあった。
威圧的で、禍々しく、それでいて美しい。
まさしく、竜。
それが、成体へ進化した終焉竜の本来の姿だった。
「す、すげぇ……」
リトが呆然と呟いた。
「アニキ……こんなデカかったのか?」
『俺に聞くなよ! 俺も初めてなんだよ!』
「自分の身体だろ!?」
『成体になってから竜化したの初めてなんだから仕方ないだろ!』
「そういうもんなのか!?」
『俺が知りたいわ!』
巨大な竜と人間が、至って普通の調子で言い争う。
つい先ほどまで命懸けの戦いを繰り広げていたとは思えない光景だった。
「主!」
そんな二人のやり取りをよそに、シアだけは目を輝かせていた。
『ん?』
「めちゃくちゃカッコいいっす!」
『お、おう。ありがとう』
あまりにも素直に褒められたため、ユウトは少しだけ照れくさくなった。
しかし、シアの興奮はそれだけでは収まらないらしい。巨大な身体を上から下まで眺めながら、さらに声を弾ませる。
「鱗も前より立派っす! 角も大きくなってるし、翼もすごいっす!」
『そうなのか? 自分じゃ見えないんだよな』
「あと尻尾もめちゃくちゃ立派っす!」
『そこ!?』
思わず反応したユウトの長い尾が、地面を叩いた。
ズンッ!
鈍い音とともに足元の大地へ亀裂が走り、砕けた小石が周囲へ跳ねる。
「…………」
それを見たユウト自身が固まった。
『……え、今そんな強くやってないぞ?』
「主、尻尾だけで地面割れてるっす」
『マジかよ……』
ユウトは恐る恐る、自分の尾へ視線を向けた。
ほんの少し動かしただけのつもりだったのに、地面にははっきりとした亀裂が残っている。
どうやら、思っていた以上に身体の力が増しているらしい。
「……緊張感ないわね」
シエルが小さくため息を吐いた。
それでも、その口元には僅かな笑みが浮かんでいた。
先ほどまでゴルダンに押され続け、何度も地面へ叩きつけられていたユウトが、こうしていつもの調子を取り戻している。
そのことに、少しだけ安心しているようにも見えた。
「……終焉竜」
不意に、低い声が響いた。
ユウトが顔を向けると、そこには巨大な身体を見上げるゴルダンの姿があった。
先ほどまで、どれほど攻撃を受けても、ユウトたちがどれだけ食い下がっても、余裕を完全に崩すことのなかった男。
その表情から、初めて笑みが消えていた。
「……なるほど」
ゴルダンはユウトの全身を見渡しながら、静かに呟いた。
「姿だけではない。その魔力量……完全に成体へ至ったということか」
『だから言っただろ』
ユウトは答えながら、折り畳んでいた翼をゆっくりと広げていく。
巨大な翼が左右へ伸びるにつれて周囲の空気が押し退けられ、足元の砂埃が大きく流れた。
『前とは違うって』
「…………」
ゴルダンの目が細くなる。
その直後、彼の身体からも強大な魔力が噴き出した。
周囲の砂埃が一斉に舞い上がり、背中の黒い翼が大きく開かれる。
「ならば、その言葉が虚勢ではないことを証明してみせろ」
『言われなくても!』
ユウトは巨大な身体を低く沈めた。
(……まずは、空へ!)
そう考え、地面を軽く蹴る。
ほんの少し跳び上がるだけのつもりだった。
しかし――。
ドンッ!!
「なっ――!?」
凄まじい轟音とともに、ユウトが立っていた地面が大きく陥没した。
放射状に亀裂が走り、砕けた岩が周囲へ飛び散る。
そして次の瞬間。
『うおおおおおおおっ!?』
「……え?」
シエルたちが一斉に空を見上げた。
黒い巨体が凄まじい勢いで上空へ飛んでいく。
あまりにも急激な上昇で、ユウト自身も何が起きているのか理解できていなかった。
『速っ!? ちょっ、待っ――!』
「主ぃぃぃ!?」
シアの叫び声が響く。
『止まり方分かんねぇぇぇぇ!!』
ユウトの絶叫が、山々へ盛大に響き渡った。
「…………」
シエル、シア、リトの三人は、揃って空を見上げたまま固まっていた。
つい先ほどまで圧倒的な威容を誇っていた黒い竜が、今はものすごい勢いで上昇し、どんどん小さくなっていく。
「……何してるのよ」
シエルが額へ手を当てた。
「アニキ……」
リトも呆然と空を見つめている。
「せっかくめちゃくちゃカッコよく変身したのに……」
「主らしいっす!」
「褒めてないでしょう、それ」
シエルの呆れた声が響く一方、シアはどこか楽しそうだった。
そして、その場で空を見上げていたのは三人だけではなかった。
「…………」
ゴルダンまで、上空を見つめたまま固まっている。
「……ふざけているのか?」
『ふざけてねぇよ! 初めてなんだって!』
遥か上空からユウトの声が返ってきた。
もっとも、本人にはそんなことを説明している余裕などない。
地面を軽く蹴ったつもりが、身体は今も勢いよく上昇を続けているのだ。
『えっと……翼! 翼広げればいいのか!?』
ユウトは慌てながらも、背中の大きな翼へ意識を向けた。
バサッ!!
翼を広げた瞬間、空気を掴むような感覚が全身へ伝わってきた。
『うおっ!?』
急上昇していた巨体へ一気に抵抗が掛かり、上昇する勢いが少しずつ弱まっていく。
ユウトはさらに翼の角度を変え、空気の流れを感じ取りながら身体の向きを調整した。
『お、おお……!』
巨大な身体が空中でふらつく。
それでも、どうにか上昇を止めることができた。
『できた!』
「今それを喜ぶところかしら」
地上からシエルの声が飛んできた。
『うるさい! 初飛行なんだから仕方ないだろ!』
「戦闘中よ!」
『分かってるよ!』
ユウトは思わず言い返したが、すぐに自分の身体へ意識を戻した。
どうにか空中で静止できたことで、ようやく今の状態を落ち着いて確かめる余裕が生まれていた。
(…………すげぇ)
先ほどまでは力の加減すら分からなかった。
だが、一度動きを止めてみると、今の身体がこれまでとはどれほど違うのか、改めて実感できる。
(……軽い)
これほどの巨体になったにもかかわらず、身体の重さをほとんど感じなかった。
翼を僅かに傾けてみると、それだけで身体が滑るように横へ移動する。
(……何だこれ)
空を飛んでいるというより、水の中を自由に泳いでいる感覚に近い。
いや、それよりもずっと自由だった。
腕や脚、翼、そして尾に至るまで、身体のあらゆる部分に今までとは比較にならないほどの力が満ちている。
それでいて、動かそうと意識すれば、巨大な身体が驚くほど素直に反応してくれるのだ。
(……人化してる時と全然違う)
同じ自分の身体とは思えないほどの変化だった。
人の姿では、どれだけ力を込めても本気になったゴルダンの速度へ追い付くことができなかった。
攻撃を避けるだけで精一杯で、どうにか反撃しても決定的な一撃にはならなかったのだ。
しかし、今の身体には、それまでとはまったく違う余裕が感じられる。
そんなことを考えていた時だった。
「…………」
前方で、ゴルダンが大きく翼を羽ばたかせた。
地上から一気に高度を上げ、瞬く間にユウトと同じ高さまで昇ってくる。
「……遊びは終わったか?」
『遊んでねぇって何回言わせるんだよ!』
「ならば――」
次の瞬間、ゴルダンの姿が消えた。
(……来る!)
先ほどまでなら、そう思った時にはすでに目の前へ拳が迫っていただろう。
しかし、今は違っていた。
「…………」
(……あれ?)
見える。
ゴルダンの動きが、はっきりと見えていた。
翼を動かしながら身体を捻り、右腕を引く。そのままユウトの首元を狙って突っ込んでくる一連の動作が、驚くほど鮮明に捉えられるのだ。
(……遅い?)
いや、違う。
ゴルダンの動きが遅くなったわけではない。
自分自身の身体能力が、それを上回るほど向上していたのだ。
「はぁっ!」
ゴルダンの拳が迫る。
だが、ユウトは慌てなかった。
ただ首を僅かに傾ける。
それだけで、勢いよく突き出された拳が黒鱗のすぐ横を通り抜けていった。
「っ!?」
ゴルダンの瞳が大きく見開かれた。
『そこだ!』
ユウトはその隙を逃さず、空中で身体を捻った。
巨大な体躯が滑らかに回転し、その動きに合わせて長く力強い尾が大きく振り抜かれる。
ドガァァァァンッ!!
「ぐぉっ!?」
直撃だった。
凄まじい衝撃を受けたゴルダンの身体がくの字に折れ、一瞬にして吹き飛んでいく。
「ゴルダンが……!」
地上でリトが目を見開いた。
ゴルダンは数十メートルも吹き飛ばされた後、どうにか翼を大きく広げた。
周囲の空気を巻き込みながら勢いを殺し、ようやく空中で停止する。
「…………」
その一方で、ユウト自身も自分の尾を呆然と見つめていた。
『……え?』
今の一撃には、魔法もスキルも使っていない。
何か特別な力を発動したわけでもなく、ただ身体を回して尾を振り抜いただけだった。
(……今の、俺がやったんだよな?)
当然、自分がやったに決まっている。
それでも思わず確認したくなるほど、以前とは威力が違っていた。
「……貴様!」
ゴルダンの声に、ユウトは顔を上げた。
そこには、初めてはっきりと苛立ちを浮かべたゴルダンの姿があった。
先ほどまで、こちらを見下ろすような余裕を崩さなかった男。
その表情が、今は明らかに変わっている。
『…………』
ユウトはもう一度、自分の爪や翼、そして長い尾へ視線を向けた。
(……竜化って)
ゆっくりと口元が上がっていく。
(こんなに違うのかよ)
人の姿では、本気になったゴルダンへほとんど歯が立たなかった。
速度についていくことも難しく、攻撃を受けるたびに押し返されていた。
それが、今はまるで違う。
ゴルダンの動きが見えるだけではない。その速度を追うことができ、さらに自分から反撃する余裕まで生まれている。
そして何より、真正面からぶつかっても力負けするとは限らない。
たった今の一撃が、そのことを証明していた。
『……よし』
ユウトは改めてゴルダンへ向き直った。
対するゴルダンも、今度は軽く構えるようなことはしなかった。
両拳を握り締め、全身へ魔力を巡らせながら、巨大な竜の姿を正面から見据えている。
「……面白い」
ゴルダンが低く呟いた。
『こっちは今やっと自分の身体が面白くなってきたところだよ』
「ならば――」
ゴルダンの翼が大きく広がった。
「存分に試せ」
『……言ったな?』
ユウトも巨大な翼を限界まで広げた。
周囲の空気が震え、黒い鱗の表面を風が駆け抜けていく。
先ほどまでのように、力の加減が分からないまま動こうとしているわけではない。
今なら、この身体でどう動けばいいのかが分かる。
『今度は――』
ユウトはゴルダンを正面から捉え、翼を一度強く打った。
『こっちから行くぞ!』
バンッ!!
凄まじい音とともに空気が爆ぜた。
次の瞬間、ユウトの黒い巨体がその場から掻き消える。
「――っ!」
ゴルダンが反応した時には、すでに眼前へ巨大な影が迫っていた。
そして、遥か上空で二つの影が激突する。
終焉竜と、翼を持つ魔族。
その激突によって生まれた衝撃が、山々の上空へと大きく広がっていった。
第232話を読んでいただきありがとうございます!
ついに披露された、成体となったユウトの竜形態!
その力は、人の姿とは比べものにならないほど大きく上昇していました。
……本人が一番その性能を把握できていませんでしたが(笑)
本気となったゴルダンの動きを捉え、ついにはその一撃を届かせたユウト。
ここから始まる、本格的な空中戦。
果たして決着の行方は――。
次回もぜひお楽しみに!
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それでは、また次回お会いしましょう!




