第15話 北辺侯は私の席だけ空けておく
翌朝、大広間の卓はまだ昨夜の形を少し残していた。
私は灯芯の残量と酒器数を確認しながら歩いていたが、主卓の端だけ、椅子が一脚そのまま残されているのに気づく。席札はない。けれど誰の席だったか、私は知っている。
「片付け忘れですか」
背後からヨナスの声がした。
「違う。空けておいた」
「どうして」
「今朝も君が座るかと思った」
あまりに平然と言うので、返事に困った。彼にとっては大仰な好意ではなく、自然な配置の話なのだろう。けれど私には、ずっと与えられなかった種類の優しさだった。
私はその椅子へ一度だけ手を置き、それから新しい帳面を開いた。春宴の後半戦に向け、必要な証拠を整理する。
裏名簿、偽紋席札、搬入口名簿、七番控室の鍵貸出簿、来賓録の欠頁復元、春宴招待状の欠番。これだけ揃えば、あとは『だれがその席へ座ったか』を押さえればいい。
「今夜、王妃列の隣へ本来いない客が入ります」
「商会代表か」
「ええ。リディアが嫡流令嬢を名乗るための見返りでしょう」
ヨナスは卓面へ指を走らせ、主卓から裏控室までの距離を測るように視線を動かした。
「なら私は七番控室を見る」
「危険です」
「席を守るのは君だけの仕事じゃない」
その言葉に、胸の奥で張っていた糸が少しだけ緩んだ。ずっと一人で帳面を抱えてきた。証明するのも、疑うのも、責任を負うのも自分だけだった。でも今は違う。
昼前、ハインツが王妃府の古い通知台帳写しを持ってきた。断絶分家銀百合紋の再認定記録は、やはりない。
「これで最後の穴も塞がった」
「春宴が終われば」とグレタが言う。
「いいえ、終わらせます」
私は主卓端の空いた椅子へ一度だけ座ってみた。視界の先に、入場口、王妃列、七番控室、そして配膳動線まで全部見える。
席は、見え方で決まる。いま私が座るべき位置は、ようやくここだと思えた。




