53.誰か、素敵な人
ゆったりとした音楽に合わせてダンスを踊る。
王太子の婚約者だった頃に参加したパーティーでは、ステップの美しさまで値踏みされたものだけど、この仮面舞踏会では誰も他人のダンスなど見ていないようだ。あくまで秘密の逢瀬の一つといった様子で、ぴったりと身体を寄せ合い、何かしら囁き合いながら踊っている。
密談には最適だ。ヴァルもまたルインのリードに身を委ねながら尋ねた。
「どうしてここにいるの、あなたが」
ローエンの友人の男は、ルインの姿を見て退いた。疑いが晴れたわけではないだろうが、騒ぎになるのはあちらも避けたかったらしい。
「もともと商談でロンラにいたんですよ。そうしたら大聖堂での一件について噂が聞こえてきたので……」
ロンラは王都近郊の商業都市だ。ルインは最近ではフィンヘルドの代理として商談に赴くことも増えていて、今回もそれだったのだという。
ルインは戦闘よりも魔道具開発のほうが得意な魔術師だ。大公領の主要都市の一つ、工房都市サルトルで仕事をしていると聞いていたけれど、フィンヘルドから他領での買い付けを任されることも多くなっているらしい。おそらくフィンヘルドは自分の右腕として、ゆくゆくは大公家の財政面を担う人材としてルインを育てようとしているのだろう。
金の髪に淡い栗色の瞳をしているルインは、ゼインのような威圧感はなく、物腰柔らかな貴公子という表現がぴったりくる青年だ。仮面越しにも伝わるほどの端正な容姿の持ち主で、大公領の女性たちから絶大な人気がある。兄のゼインがいずれは自分と結婚するだろうと周囲に思われていたのに対し、ルインは未だ婚約者も決まっておらず、浮いた噂の一つもなかったため、妻の座を狙う女性たちの戦いがそれはもう熾烈だった。
そのルインが淡い色の瞳を心配そうによせていった。
「あなたと兄上なら大丈夫だろうとは思ったのですが、それでも一応、様子を伺おうと親戚の屋敷に寄ったら、あの夫人の仮面舞踏会にいったと聞かされたんです」
親戚というのはアトリのことだろう。小声で話せば周囲に聞かれることはなさそうだけど、念のために固有名詞などはお互いにぼかしていた。
「それで追いかけてきてくれたの? よく招待状が手に入ったね」
「夫人からのお誘いは以前から度々ありましたから」
そこでルインはいっそう辺りをはばかるように声を潜めて、ヴァルの耳元に唇を寄せて囁いた。
「夫人は我が家と魔道具の取引を望んでいるようです。しかし彼女には黒い噂が多すぎると、父上は断っています」
返事は口にせず、軽く頷くに留める。
オリーティ伯爵夫人、死の商人とも呼ばれる彼女は、かつてはとある娼館の高級娼婦だったのだという。美しい彼女を見初めた裕福な男爵が身請けして妻とした。男爵にはまだ年若い息子が三人いて、最初は三人ともが父親の再婚に反対していた。しかし彼女が男爵家に入ると、その美貌と教養の高さにたちまち三人とも心酔するようになった。
……そこで終わっていたらまだ美談だったろう。しかし年若い三人の息子たちはやがて歳の近い美しい義母に恋い焦がれ、彼女の気を引こうと躍起になった。長男は彼女の胸元を飾るために、財産をはたいて国中から貴重な宝石をかき集めた。次男は彼女に勇敢な姿を見せるために魔物との戦いに身を投じた。三男は不利な立場からどうにか彼女にふさわしい力を手に入れようと無茶な投資に賭けた。父親の男爵は病に倒れていて、息子たちを諫めることはできなかった。
妖精のごとく可憐だったという彼女は誰か一人を選ばなかった。誰のことも可愛がった。結果、息子たちの争いはますます激化した。
そして男爵家が瞬く間に傾いてく中で、美しく蠱惑的な彼女は夜会で新たな“運命の出会い”を果たした。それがオリーティ伯爵だった。
オリーティ家は男爵家を上回る富豪だ。オリーティ伯爵は金にものをいわせて男爵家から彼女を攫った。三人の息子たちは彼女を奪われまいと死に物狂いで抵抗したそうだが、とうの彼女が伯爵を選んだ。
噂によれば彼女は美しくも困り切った顔で「ごめんなさい。貴方たちのことは可愛く思っているわ。でも、恋人にしたいとは思えなかったの」と告げたのだという。
息子三人ともが人生を狂わせて、やがて命すら失って、裕福な男爵家は破産した。噂によれば、一度の葬儀に棺が四つ並んでいたという。
その後、彼女は正式に結婚しオリーティ伯爵夫人となったが、やがて伯爵もまた事故で帰らぬ人となると、彼女は自ら伯爵家を取り仕切って辣腕を振るうようになった。今では彼女は死の商人と呼ばれている。噂によれば、彼女に用意できないものはないという。それが武器でも、薬でも、あるいは人間でも───。
「あの夫人の主催する仮面舞踏会なんて魔窟のようなものですよ」
ルインは嘆息混じりにそういって、少しばかり眼差しを厳しくした。
「それで、怠惰を極めたろくでなしな兄上はどこに行ったのですか? こんな場所であなたを一人にするとは」
「二手に分かれたのよ。ここの方々から色々お話を聞きたかったからね」
「……だとしても、兄上が優先事項を間違えているように思えますね。今夜の装いはあなたの美しさを一段と引き立てていますから。義姉上を一人にするなんて、私なら怖くてできませんよ」
今夜の装いという言葉にぎくりとして、恐る恐る幼馴染を見る。
「どうか正直に言ってほしいんだけど、この格好、変じゃない? おかしくない? 悪目立ちしてない?」
「いつにもまして美しいですよ、義姉上。今夜のあなたが人目を引くのは自明の理でしょう。誰だって眩い輝きには目を奪われるものです」
「はちゃめちゃなお世辞をありがとう……」
この口の上手い青年から本音を引きだすのは無理そうだ。ヴァルは早々に諦めていった。
「前に話した通り、訳ありの結婚だからね。義姉上呼びは、いつかあの人が本物の奥さんを迎えたときにしてあげて」
「兄上の奥方があなた以外に務まるとは思えませんが……、あなたがいい加減、あの人格破綻者な兄に見切りをつけたというなら納得します」
ヴァルは少しだけ迷って、心を決めた。
これに関してはルインにも話しておいたほうがいいだろう。
「わたしはとっくに、あの人に振られてるのよ」
ルインがまじまじとこちらを見る。
その信じられないといわんばかりの瞳に軽く笑って続けた。
「あの人にとってわたしは恋愛対象じゃなかったんでしょうね。でも、家族としては大事にされているし、あの人にはいつも守ってもらってる。だから……、この辺が引き際なの。わたしの婚約があんなことになってしまって、余計に迷惑をかけてしまってるから、せめて気持ちだけでも整理をつけたいと思ってるのよ。素敵な人でも見つけて、新しい恋でもして、あの人に迷惑も心配もかけずにすむようになりたいなって」
ルインはじっとこちらを見つめた。
それからひどく抑えた声でごく小さく「ヴァル」と名前を呼んだ。
「それは、兄上自身が間違いなくそういったのですか?」
「うん」
「わかりました。……私はあなたの気持ちを考えずに、傷つけることをいっていましたね。すみません。心から謝ります」
「えっ、そんな、気にしないで。皆からお似合いだと思われてることは知っていたし、その上で黙っていたのはわたしなんだから」
「これは簡単に口に出せることではないでしょう。あなたの咎ではありません。私の考えが足らなかった。……ですが、あまりいうと、あなたを困らせてしまいそうですね」
最後は軽い口調だった。あえて軽くしてくれているとわかる。その気づかいにありがたく乗ることにして、こちらも冗談めかしていう。
「なら、お詫びに今度素敵な人を紹介してくれる? わたしが家を空けることの多い仕事でも気にしない人がいいな」
「おや、条件はそれだけですか?」
「うーん、あとはわたしの離婚が成立するまで待っていてくれる人? なるべく早く離婚したいとは思ってるけど、結婚式さえこれからだから、かなり待たせちゃいそう。おまけに無事に離婚できても、あの人の元妻という肩書きは一生ついて回りそうだから……我ながら難あり物件すぎるね……」
お見合いだったら釣書だけで軒並みお断りされるだろう。よく考えてみると、ほかに好きになれる人を探すのも一苦労かもしれない。
しかしルインは淡々と聞いてくる。
「それだけでいいのですか?」
「それだけって、ねえ。これだけ問題があったら充分でしょ」
「あなたの望みを完璧に満たす男がいますよ」
「へえ、どこに?」
「───あなたの目の前に」
ルインはこちらをまっすぐに見つめてそういった。




