33.慈善事業だって貴族の立派な務めです
快晴の空の下、街中を一台の馬車が走る。
上等な馬を使っているだけあり、多少の揺れはあれど快適な道中だ。
だというのにレオガルドの口はへの字に結ばれている。彼が不機嫌な理由は至って単純。
この外出が意に沿わないからである。
同じ車内にいるシュゼットは特に気にする様子もなく窓の外を見ている。
「見てレオガルド、あそこに新しく出来たパティスリー」
「……」
「一度お父様がお土産に買ってきてくれたんだけど、とっても美味しかったわ。帰りに寄らない? きっとロザリナ様が喜ぶと思うの」
「……おい」
「ルイズ様は甘いものを召し上がるのかしら。もし苦手なようなら甘さ控えめのクッキーも売っているらしいし、そっちでもいいかもしれないわね。あと……」
「おい!!」
ようやく口を開いたレオガルドが次に言うことは想像しなくても分かる。
「「どうしてこの俺が養護院なんて行かなくちゃなんないんだ!」」
一言一句違わずにハモられ、ぎょっとしている婚約者に『貴方の考えなど筒抜けよ』とばかりに微笑みかける。事実筒抜けなのだが。
「何度も説明したけれど、わたしの家は日頃から養護院へ援助を行っているの。今日はたまたま支給品を届けに行く日だったのよ」
「嘘つくな、わざと俺が来る日に当てやがったくせに! しかもシャフマン卿がいるときを狙うとかほんっとに腹が立つ……!」
そう、わざとだ。シャフマンが在宅している日を狙ってレオガルドを呼び、これから養護院へ足を運ぶことを告げた。
シャフマンの登場にさすがのレオガルドも抗議することができず、『よろしく頼むよ』と善良な笑みを向けられてしまえば頷くしかなかった。完全にしてやられた。嵌められたことへの憤りに歯軋りする。
「大体なんでわざわざお前が行くんだよ。使用人共に任せりゃいいだろ」
「昔からできるだけ自分で行くようにしているの。時間が合わなくて任せるときもあるけど」
「偽善者が」
皮肉気に笑って吐き捨てる。
「そもそも孤児への援助なんて貴族が気持ちよくなるための行為だろ。自分よりも劣っているヤツを見下して、優越感に浸りたいだけだ。援助やら寄付やらを得意げに公言するヤツの気が知れねえな」
基本的に貴族というものは自尊心と見栄の塊だ。他者よりも己を大きく見せたがり、自分よりも下だと確信できる人物に安心する生き物である。レオガルドの言うように世間体と優越感のために慈善事業を行っている者も確かに多い。
そういう傾向があることは確かだし、言い分としては一理ある。だが今まさに養護院へ向かっている最中の婚約者にぶつける台詞ではない。
まったく、と思いながらシュゼットは狭い車内で斜め向かいに座るレオガルドの額を軽くつついてやる。
「そういう捻くれた物言いばかりしていると敵だらけになっちゃうわよ。それに知らないの? ルイズ様だって孤児への支援はしているわ」
「! まさか、」
「何を思うのもレオガルドの自由だけど、発言には気を付けないと尊敬している人まで貶しめることになりかねないわよ」
ルイズの名は効果てきめんだったようで、レオガルドは悔し気に唇を噛んだ。正論や感情論で攻めるよりも彼にとっての正義を引き合いに出した方が効果は絶大である。根本的な解決にはならないが、傷口は広げずに済む。
「優越感に浸ってるつもりはないけれど、わたしはできる余裕があるのなら慈善事業はすべきだと思うわ。だって貧しいというだけで可能性が消えてしまうのは勿体ないもの」
「可能性?」
「絵が上手かもしれない。頭がいいかもしれない。剣の才能があるかもしれない。チャンスさえあれば将来国を担える人材が市井に眠っているかもしれない。何もしなければ埋もれたままになってしまうなんて勿体じゃない」
「くだらねえ、そんな可能性あるわけねえだろ。俺みたいな天才がその辺に早々いてたまるかよ」
「でも、それは運がよかったからよ」
どういう意味だと問い質すよりも先に御者が目的地への到着を告げる。
扉が開かれ、さっさと降りてしまった少女に舌打ちをこぼしながらレオガルドもその背を追った。
+++
「シュゼットさま!」
「嬉しい、来てくれたんですね」
「お変わりありませんか」
院長であるシスターから丁寧な挨拶と謝辞を受けた後、2人は談話室へと通された。途端、室内で待っていた子供達があっという間にシュゼットを取り囲む。それぞれの声が重なり合うように響き渡り、歓喜の輪は広がっていく。シスターの宥める声も耳に入らない。
年長者に抱かれていた赤子がシュゼットへと手を伸ばす。赤子の口からは涎が垂れ、前掛けも見るからに湿っている。年長者は慌てて距離を取ろうとしたが、シュゼットは気にする様子もなく赤子を抱き上げた。
「久しぶりね、サム。少し見ないうちに重くなったのね。覚えていてくれて嬉しいわ。ジュリアのその髪型素敵だわ、また腕を上げたんじゃないかしら。オルドはますます背が伸びたのね、ついに追い越されちゃった。エナ、絵は完成した? また見せてほしいわ」
一人ひとりの顔を見ながら応対していくシュゼットを遠巻きに、まさか全員の顔と名を覚えているのかとレオガルドは呆れかえる。目を輝かせている子供達の様子からしてもよく訪れているというのはどうやら本当らしい。
下らない、偽善もいいところだ。しかもなんなんだ、孤児のくせにあの距離感の近さは。馴れ馴れしいにもほどがある。妙に腹立たしくて零した舌打ちは誰の耳に入ることもなく空に霧散した。
ふとシュゼットと目が合う。何故だかばつが悪くなって顔を背けるが、彼女の視線が横を向いたことで子供達の視線もレオガルドに集中する。
「みんな、紹介するわね。わたくしの婚約者であるレオガルド様よ。今日は一緒に来てくださったの」
控えめな挨拶がレオガルドへと向けられるが、子供達の視線は不躾だ。困惑、不審、好奇心――様々な感情が混ざり合った視線を全身くまなく浴びせられ、レオガルドは苛立った。思いきり睨み据えてやれば大多数の子は怯え、後退る。
一瞬にして場が凍る。剣技の腕が非常に優れているというシュゼットのフォローも一部を除いてあまり効果は期待できそうになかった。
そうこうしているうちに子供達とは別れ、初めて訪れたレオガルドのために養護院内を案内してもらう運びとなった。食堂や聖堂、図書室など建物や設備自体は古びているものの隅々まで掃除された内部は清潔感に満ちている。大きな窓から差し込む陽射しやどこからか聞こえてくる子供達の笑い声。いつだって温かく優しいこの空間がシュゼットは好きだった。
が、レオガルドは虫唾が走りそうだった。古めかしく無数の傷跡だらけの床や壁、小汚い孤児達の無遠慮な視線、幼い令嬢からの施しを恥ずかしげもなく受け取るシスター。今まで貴族社会の中だけで生きてきたレオガルドにとって全てが異物としか思えず、無性に気持ち悪かった。
彼の苛立ちを察してだろう、応接間を兼ねた院長室でお茶を出した後、シスターは席を外した。2人きりになってもレオガルドの機嫌は直らない。出されたお茶に口を付けるどころか視界に入れるのすら嫌だと言わんばかりにそっぽを向いている。
「賑やかなところでしょう? みんな素直でいい子達なのよ」
「……お前よくこんなところ通えるな」
「それはレオガルドが初めて養護院に来たからで、」
「優越感に浸るのすら無理だ。俺には気持ち悪くて仕方ねえ」
偏見を隠そうともしない口ぶりに怒っても良かったのかもしれない。けれどシュゼットにはレオガルドがただ孤児達を見下しているだけの発言ではないと察してしまえる。
誰だって未知なる世界は怖いものだ。レオガルドのように上流階級しか知らない、ガチガチに凝り固まった固定観念の持ち主なら余計そうだろう。知らないもの、分からないもの、理解できないもの――恐怖に感じて目を背けたくなるのも得体が知れなく思うのも当たり前なのだ。
(でも、だからこそ知ってほしいの)
多少無理を強いてまで連れてきたのはそのためだ。
人の話から知るよりも、書物で知識を得るよりも、自分の目で耳で見聞きしたものの方が数十倍の価値がある。かつて母が幼いシュゼットを伴ってこの養護院へ訪れたように。
レオガルドの世界はこれからだって広げていける。大切なのはその可能性をどれだけ増やせるか。だからシュゼットのすべきことは決まっている。
「レオガルド、ルイズ様が孤児への支援をしているという話をしたのを覚えているかしら」
ぴくりと彼の指先が動いたのを見逃さず、畳みかける。
「実はその場所、ここから近いの。行ってみない?」
「誰がそんなとこ、」
「ルイズ様が必要に感じて行っている支援よ。将来のためにも見てみるのも悪くないと思うわ。しかもレオガルドに全く関係ないとも言えないし」
「……どういう意味だよ」
少年が目だけこちらを向いたのを確認し、腰を上げる。
こうなればもう勝ったも同然。にっこりと微笑み、わざと手を差し伸べる。
「百聞は一見に如かず。さあ、参りましょう」
しばらく少女を睨み据えていたレオガルドだが、舌打ちを零して立ち上がる。少女の手をスルーして扉へとずかずか歩いていく背中を追いかけた。




