23.お義母様からお茶に誘われました
サイドから丁寧に編み込まれたハーフアップ。いつもは緩やかに波打つ銀髪も今日ばかりはしっかりとしたウェーブを描く。アクセントに真珠が連なる薄いピンク色の花飾り。派手さはないが、淑やかで上品な華やかさを醸し出している。
手鏡で出来映えを確認したシュゼットは思わず感嘆の溜め息をもらす。
「このような感じで如何でしょうか」
「とても素敵!ありがとう、ミーシェ」
シュゼットの髪を結うのは数年前からミーシェの役割だ。持ち前の器用さからどんな髪型も短時間で完璧に仕上げてしまう。毎度のことながらミーシェの手は魔法のようだと感心するばかりだった。
「ネックレスはどうされますか?」
「そうね、花飾りの色と合わせたいわ」
「それでしたらローズクオーツやインペリアルトパーズでしょうか」
印象を見比べ、最も良いと思ったものを胸元に飾る。靴や鞄も用意してもらい、これで支度は万全だ。
もう一度鏡を見る。映し出されているのは美しく着飾った自分。しかしそれとは裏腹に表情は冴えない。試しに笑みを作ってみるも自然な微笑みとは程遠く、ミーシェからも突っ込まれてしまう。
「珍しく緊張されていますね」
「……やっぱりそう見える?」
「ええ。ローグウェル家へ婚約のご挨拶に伺いに行かれるとき以来です」
「懐かしいわね……」
溜め息を飲み込み、気合いを入れ直してから立ち上がる。使用人達に見送られながら馬車へと乗り込んだ。
ある日、何の前触れもなく届いた一通の手紙。茶会の誘いを旨とした内容は至って定型的なもので、気になるような部分は特に見当たらない。
――差出人が、レオガルドの母親から、という一点を除けば。
正直に言ってシュゼットは度肝を抜かれた。年に一、二度手紙のやりとりはしていたが、あくまでも形式的なものでしかなかった。更に付け足すなら、直接顔を合わせたのも婚約の挨拶に行ったときの一回きり。そんな表面上の関わりしかなかった人物から突然お茶の誘いを受けて、勘ぐるなという方が無理な話だ。
このタイミングで招待されることに何か理由はあるのか。知らないうちに何か粗相をしでかしてしまったのか。もしやレオガルドの矯正を企んでいることがバレてしまったのでは。いやしかし、別に貶めようとしている訳ではないし……ぐるぐると思考が迷走する。
悩んで悩んで悩み抜いて、ようやく振り切れたのは前日の夜のこと。というよりも、ギリギリもギリギリになって足掻くのを諦めたのだ。なるようになれだ、と。
ローグウェル家に着くと、執事に中庭のテラス席へと案内された。テーブルセットの一脚に腰を預けていた婦人がシュゼットの到着に気付いて立ち上がる。
たおやかな笑みで出迎えたこの見目麗しい女性こそ、ローグウェル家の侯爵夫人にしてレオガルドの母親――ロザリナだ。
「急にお招きしてごめんなさいね。驚かれたでしょう」
「いいえ、とても嬉しく思います。お招きいただきましてありがとうございます」
「レオガルドは今日訓練で出掛けているから、ゆっくりしていって」
ロザリナに勧められ、斜め向かいの椅子へと腰を落ち着かせると侍女がすぐに紅茶を運んできた。よく見るとカップの中に乾燥させた花の蕾のようなものが入っている。その視線に気付き、ロザリナは微笑む。
「よく見ていてね。少し面白いことが起こるから」
カップの中に紅茶が注がれると同時に、蕾がゆっくりと花開いていく。その光景は早送りのようでいて、スローモーションにも見えた。
「すごい……!」
「お花もそのまま食べられるの。さ、温かいうちにどうぞ」
「いただきます」
含めば口いっぱいに広がる花の香り。けれど決して主張しすぎず、紅茶の味を邪魔しない。口当たりがよく飲みやすいため、お菓子とも相性が良さそうだ。
「口に合ったかしら」
「とても美味しいです。見た目も華やかで素敵な紅茶ですね」
「気に入ってもらえたなら嬉しいわ。最近の私のお気に入りなの」
紅茶に咲く美しい花。流通に詳しい父親からも聞いたことすらない。間違いなくこの辺りでは出回っていない、貴重で珍しい逸品だろう。そんな稀少な代物でさらりともてなしてしまう手際に侯爵夫人としての器量が窺える。
それからしばらく、2人は他愛もない話に花を咲かせた。街で流行っている美術の話。よく飲む紅茶の話。好きな本の話。機知に富んだロザリナとの会話に、シュゼットの肩肘に入っていた力も徐々に抜けていく。2杯目の紅茶が注がれる頃には警戒心は解け、このひとときを純粋に楽しめるようになっていた。
お茶のためだけに呼ばれたとはまだ考えにくいが、少なくとも悪意や裏は感じられない。それが分かっただけ気持ちは楽になり、思考にも余裕が生まれる。
シュゼットはちらりとロザリナを盗み見る。一纏めに結い上げられた、烏の濡れ羽色のような髪。肌は透き通るように白く、左の目元の泣きぼくろが艶めかしい。やや吊り目がちの瞳は一見冷たい印象を与えるが、柔らかな笑顔が近寄りがたさを相殺している。思わず息を飲むような美貌はただ美しいだけではなく、品と格式を併せ持つ芸術品のような美しさだ。これで3児の母とは到底信じられない。
(そりゃあレオガルドだって優れた容姿になるはずよね……)
彼は父親似だが、どちらにせよ眉目秀麗には変わりない。今はシュゼットよりも少し高いくらいの身長だけれど、時期がくればあっという間に伸び、より精悍な顔立ちに成長していく。未来の彼がそうだったのだから。
性格の矯正さえ上手くいけば相手は選り取り見取りだ。それこそ黒髪の少女でなくとも、望む相手と結婚できるだろう。そうすればきっと幸せな未来を描ける。
――間違っても、家族からも見限られ独りで野垂れ死ぬような最期は、迎えない。
視線を落としていた紅茶にふと思う。
透き通る赤橙色。まるでレオガルドのようだ。
赤みの混ざったオレンジブラウンの髪色と緋色の瞳を思い出すと同時に、不機嫌そうな彼の表情まで浮かんでくる。
(わたしは、あの髪色と瞳の方が好きだわ)
思わずくすりと微笑むと、不思議そうなロザリナと目が合う。慌てて弁明するために口を開く。
「この紅茶の色、レオガルド様の髪色に少し似ているなって思ったんです」
婦人はほんの少し目を丸くした後、笑みを深めた。
ソーサーに戻したカップの中に、嬉しそうな、安心したような表情のロザリナが映り込む。
「安心したわ」
「え?」
「レオガルドと仲良くやってくれているみたいで」
どう答えるべきか困って、曖昧に微笑む。
「あの子が急に婚約したい相手がいるだなんて言い出したとき、本当に驚いたの。それまでは剣の訓練ばかりに精を出す子だったから」
「レオガルド様が剣を始められたのは何歳頃だったのですか?」
「3歳頃……だったかしら。夫の模擬仕合を観て、とても感銘を受けたみたいで。『とうさまみたいきしになる!』って次の日から短剣を振り回すようになったわ」
「本当にルイズ様を尊敬されているのですね」
「ええ。たまに稽古をつけてもらえた日なんか張り切り過ぎてしまって、翌日熱を出したこともあるのよ。あの子ったらいくら止めても聞かなくて」
懐かしむように口元を綻ばせるロザリナは“侯爵夫人”ではなく“母親”の顔をしていた。
その表情に安堵にも似た心地になったのは、レオガルドへの愛情を確かに感じられたからだろう。
彼を諫める者は誰もいなかったのか。出会った当初はよくそう思ったものだった。
“力こそ全て”というローグウェル家の家訓は知っていた。他人が口を出していい問題ではないことも理解していた。けれど横暴を実力と許容するのは違う。強ければ何でも許されていい訳がない。幼い彼を正しく導くのは、他ならぬ家族の役目の筈なのに。
まさかとは思うが、才能さえあれば後はどうでもいいのか。家族すらも求めているのは“優秀な跡継ぎ”だけなのか。そんな大きなお世話とも言える考えが幾度も頭を過ぎった。
(……よかった)
レオガルドを大事に想う人がちゃんといる。本当に、良かった。
「普段レオガルドとどんなことを話しているの?」
「本の話が多いでしょうか。あとはチェスをよく指しています」
「まあ、あの子が? 家ではチェス盤に触ったことすらないのに」
「レオガルド様は冒険活劇を好まれますが、最近は推理ものも読まれるようになりました。『こんな面倒くさいことしてないで決闘しろ!』なんて言っていましたけど」
「ふふ、レオガルドったら」
「他にも――」
シュゼットの口から語られるレオガルドの姿にロザリナは楽しげに耳を傾ける。2人を包み込む、明るく柔らかな空気に話も弾んでいく。
レオガルドの母親と彼の話で盛り上がるなんて、3年前のシュゼットには想像もつかなかった。あの時は最悪な結末をどう回避するか、レオガルドをどう矯正していくかばかりを考えていたから。
「怒らないで聞いてほしいのだけど」
「? はい」
「私ね、この婚約は難しいと思っていたの」
その言葉に驚きはない。むしろ妥当な意見だとシュゼットは他人事のように思う。
「あの子……レオはあの通り、とても我が強い子でしょう? その上相手に合わせることも苦手だから……」
ロザリナは苦笑する。無理だろうと思っていた。すぐに破談になるだろうと確信していた。実母であるロザリナでさえ、レオガルドの自己中さには目が余っていたからだ。
有り余る才能を開花させたが故、レオガルドはどんどん増長していった。唯一絶対の家訓に加え、当主であるルイズも「結果を出しているうちは好きにさせておけ」と言い放ったため、息子の言動に口が出せなくなってしまった。
けれど何も感じていなかった訳ではない。お腹を痛めて産んだ我が子が歪んでいくのを、間近で見ていることしか出来ない歯がゆさと情けなさは、ロザリナをじくじくと苛んだ。
いつか、その傲慢さで身を滅ぼしてしまうんじゃないか。
そんな恐ろしい予感に震えていた矢先だった。
レオガルドから『婚約したい相手がいる』と青天の霹靂とも思える申し出があったのは。
しかもその相手というのがアウディガナ侯爵の令嬢。王太子の婚約者候補と噂される少女だと聞き及んだ際には目眩すら覚えた。
婚約の挨拶に訪れた少女は年齢に比例しない落ち着きと礼儀正しさ、そして愛らしさと賢さを備えていて。名家の侯爵令嬢がレオガルドに耐えられる筈がない。きっと上手くはいかないだろうと、少女に申し訳なさすら感じていた。
しかし、予想は見事に覆される。
「レオがね、この間人参を食べたの」
「えっ」
「人参だけじゃないわ。ほうれん草も、玉ねぎもよ。いつも視界にすら入れなかったのに、自分から口に運んだの。貴女のおかげよ」
「い、いえ、私はなにも……」
静かに首を振る。紛れもなく、この少女のおかげなのだ。
興味すらなかった本を読むようになったことも。
大嫌いだった野菜を食べるようになったことも。
出掛ける際の表情が明るくなったことも。
刺々しかった雰囲気がわずかに柔らかくなったことも。
全て、シュゼットと出会ったから。
彼女が不甲斐ない母親に変わって、レオガルドを導いてくれた。
「今日はね、レオガルドと貴女がどんな風に過ごしているのか聞いてみたかったのよ。それからお礼も言いたかった」
「そんな、お礼だなんて滅相もありません」
「ありがとう。我が儘なあの子に付き合ってくれて。貴女がレオの側にいてくれる幸運を感謝するわ」
「ロザリナ様……」
「これからもどうか、レオの側にいてあげて」
シュゼットは膝の上で拳を握り締める。
あと6年後に起こり得る、最低最悪な結末。回避できた暁には婚約は解消するという約束。もしかしたらそれは、優しいこの人を裏切る行為になるのかもしれない。信頼を踏みにじってしまうのかもしれない。
けれど、それでも。あんな惨めな最期を迎える訳にはいかないのだ。シュゼットも、レオガルドも。――だから。
「はい、私でよろしければ」
今はありったけの思いを込めて、微笑もう。
決してレオガルドを当て馬の俺様になんかさせない。
それだけは、嘘偽りない決意なのだから。




