22.導かれたのは、必然でした
レオガルドの表彰を見届けたシュゼットは帰路に着いていた。
馬車の揺れが緩やかな眠気を誘う。慣れない場所に居たせいか多少の疲労感が全身を包んでいたが、気持ちはとても満たされていた。
「なんだか嬉しそうですね」
「ええ、とても楽しかった。お父様におねだりした甲斐があったわ」
「このような無茶、もうなさらないで下さいね。一人でレオガルド様の仕合を観たいだなんて……」
シュゼットは侯爵令嬢。本来なら一人で出歩くなど許される身分ではない。ましてや庶民も大勢集まるような場所では尚更だ。それを分かっている上で彼女は『レオガルドの仕合を観客席から一人で観たい』と父親に頼み込んだ。
長い長い押し門答の末、最終兵器・愛娘の泣き落としによってシャフマンは折れた。身なりを下位貴族に扮すること、何か不測の事態が起こった場合は問答無用で広場を後にすることを条件に。
ちなみにその後、広場の周辺図を元に護衛をどう配置するか、予測しうる事態への対処法などが夜通し話し合われていたことをシュゼットは知る由もない。
「心配かけてごめんなさい。どうしても一人で観たかったの」
「レオガルド様に気を遣われたのですね」
「それもないとは言わないけれど、でも一番はわたしのワガママ」
「ワガママ?」
護衛を引き連れて行けば周囲の注目を浴びる。許可を得ずに行く以上、大事な仕合前のレオガルドの集中を乱したくないと思ったのも理由の一つ。
けれど一番は婚約者や侯爵令嬢としてでなく、彼の友人として仕合を観たかった。一般市民と混じって、彼らと同じ視線で、同じ空気の中で応援したかった。心配をかけると分かっていても貫きたかった。紛れもない我が儘なのだ。
申し訳なさそうな笑みにも隠しきれない充足感が溢れていて、ミーシェはやれやれと苦笑を浮かべる。
「楽しまれたのなら何よりです。何か変わったことはありませんでしたか?」
「変わったこと……」
脳裏を掠めたのは、レオガルドと別れる直前のこと。
***
「表彰式も観客席から見ているわね」
「ふん、さっさと帰れ」
「それじゃあ……」
背を向けかけたときだった。唐突に腕を勢いよく引かれ、気付けばレオガルドの背に庇われるような体勢になっていた。
突然のことに驚いたが、彼の雰囲気がまるで仕合のときのようにぴりぴりしていて、口を噤む。しばらく周囲を窺っていたレオガルドの空気が緩んだのを見計らい、小さく声をかける。
「……レオガルド?」
「ーー消えた」
掴んでいた手を離したものの、レオガルドの視線は遠くの林に固定されたまま動かない。
「どうしたの?」
「今視線を感じた……気がしたが、すぐに気配が消えて追えなかった」
「視線……」
「気のせいっつう可能性もなくはないが、念のためさっさと帰れ」
いつになく真剣な表情の婚約者にこくりと頷く。
踵を返そうとして、ふとあることに気付いて足を止める。
「もしかして庇ってくれたの?」
「っ、はぁ!?誰が…っ!!」
「ありがとう!」
短いお礼を残し、今度こそシュゼットは小走りでその場を後にした。
***
それからレオガルドに優勝杯が渡されるのを見届けて、すぐに馬車へと乗り込んだ。
彼が感じた視線というものはシュゼットには分からなかったが、一応用心に越したことはない。それにあれ以上留まり続けていたらレオガルドにもミーシェにも怒られていただろう。
(そういえば観戦中にも一度、視線を感じたような……)
うーん、と考えを巡らせていると、ミーシェの訝しむような視線を察知し、慌てて否定する。
「特になにも無かったわ」
「本当ですか?」
「ええ。たくさん人がいたなぁって思い出していたの」
曖昧に誤魔化して、探るような視線から逃れるために窓の外を見る。
何か話題を変えられそうなものはないかと流れていく景観に目を配ったそのときだった。
「ーー止めて!!」
シュゼットの大声に反応し、大きな揺れと共に馬車が停車する。
興奮した馬の鳴き声と、それを宥める御者の声。そのどちらにも耳を傾けることなくシュゼットは馬車を飛び出した。
地面を踏みしめて2、3歩進んだところで止まり、眼前にそびえ立つものをゆっくりと見上げる。
ややくすんだ白い壁。両開きの木の扉。木々の狭間に慎ましく佇む、背の高い建物。
(夢で視た、教会……?)
夢からそのまま飛び出してきたかのような光景になんだか現実感が湧かず、呆然としてしまう。
「シュゼット様!」
「あ……」
「いきなりどうなされたんですか」
「ご、ごめんなさい」
ミーシェの慌てた声にハッとし、謝罪を口にする。
言い訳したくても説明のしようがなく、お叱りを受けながらも意識は教会に張り付いたままだ。
どうしようもなくそわそわして落ち着かない。堪えきれず、侍女の名を一度呼ぶ。それだけで聡い彼女は主の意図を察した。
「思い入れのある場所なのですか」
「何て言えば分からないんだけど、わたしにとって大きな意味がある気がするの」
「……扉の前でお待ちしています」
「ありがとう」
扉の前に立ち、深呼吸を一度。取っ手を掴んで軽く前へ押せば、扉は音もなく開いた。速まる鼓動を感じながら中へと踏み入れる。ミーシェと護衛を外に残して扉はゆっくりと閉じた。
アーチ状の高い天井、左右に並ぶ長椅子、中央を流れる赤い絨毯。ステンドグラスから注ぐ光によって神秘的な雰囲気を醸し出す内陣の祭壇。深い縦長の構造は他の教会とそう変わらない。華美さはなく、どちらかといえば質素な造りだ。
長椅子をそっと指先でなぞる。使い古されてはいるが、丁寧に掃除されているのが窺える。
顔を上げれば柔らかい色合いの明かりがシュゼットを優しく照らす。
(不思議……)
身体に馴染むような安心感と居心地のよさーーそして、懐かしさ。この空間に歓迎されているのが本能で理解る。初めて訪れた場所である筈なのに、まるでずっと前から知っていたかのようだ。
「おや、これは可愛らしいお客さんだ」
予想だにしていなかった他者の出現に大きく肩を揺らす。
振り向くと紺色の衣服に身を包んだ初老の男性が立っていた。たおやかな笑みを口元にたたえながら。
身なりからしてこの教会の神父だろう。出くわす可能性を全く考えていなかったシュゼットは慌てて佇まいを正す。
「勝手にお邪魔していて申し訳ありません」
「いいんだよ、教会の扉は常に開かれている。しかしこれは珍しい」
「えっと……?」
「お嬢さん、女神の護り子だね」
(女神の、まもりご?)
聞き慣れない単語に目を瞬かせていると、白髪混じりの神父は赤い絨毯をゆっくりと踏みしめた。
「例えば勘がよく当たったり、幸運な出来事が続いたり、はたまたーー未来を見通せたり。お嬢さんにはそんな経験があるのではないかな」
今まで一度だってバレたことのない秘密をあっけなく見透かされ、ドクリと心臓が騒ぐ。
けれど不思議なことに、動揺はあっても焦りは生まれない。大丈夫という根拠のない確信がシュゼットの胸にはあった。
むしろ自分の持つ力の答えが分かるのでは、と期待を込めてじっと神父の言葉に耳を傾ける。
「それらは全て、女神様の加護によるもの。女神様は気に入った人間に加護をお与えになるそうだ。そういった人間を、女神の護り子と呼ぶんだよ」
「女神様の、加護……」
「私も会ったのはお嬢さんが初めてだ。なにせ女神様に気に入られるなんて滅多にないことだからね」
まさか実際に出会えるなんて、と笑う神父を疑う訳ではなかったが、まるでお伽噺のような話に実感が伴わない。異国の詩を聞いている気分だった。もう少し確証が欲しくてシュゼットはおずおずと問いかける。
「神父様は、その……どうしてわたしを女神の護り子だと思うのですか?」
「はは、自分が仕えている神様の護り子が分からない筈がない」
「ーーえ」
思わず祭壇を振り返る。ステンドグラスに描かれているのは白い服を身に纏う、美しい女神であることに今更ながら気が付いた。
「此処は時間を司る女神、クロッツェディアへ祈りを捧げる教会。お嬢さんも導かれて此処へ来たのだろう?」
ようやく一本に糸が繋がった。
そう、シュゼットは導かれたのだ。この場所へ。女神、クロッツェディアの元へ。偶然という名の必然によって。この居心地のよさや懐かしさも、彼女の領域に足を踏み入れているが故なのだろう。
予知夢という力も加護の恩恵。今未来を変えるために戦えているのは、この力があったから。もし予知夢がなければあの悪夢は現実となっていただろう。シュゼットは自然と両膝をつき、手を組んで瞼を閉じる。
精一杯の感謝を捧げ、瞼を開けると同じように祈りを捧げていたらしい神父と目が合う。
この教会がこんな街外れにあるのは何故か。女神の護り子とは昔からいるのか。いるならどうしてその存在が広まっていないのか。加護はいつか消えて無くなるものなのか。聞きたいことは他にもたくさんあった。
しかし、今日はこれで十分な気がした。
シュゼットに宿るこの力は、自分を護ってくれるものだと確かな答えを得たのだから。
「また来てもいいですか?」
「ええ、いつでも」
お礼の代わりに、シュゼットは静かに微笑んだ。
***
ーー時はやや遡る。
レオガルドがステージで優勝杯を受け取っているのを、遠く離れた木々の隙間から覗き見ている者がいた。
全身をローブで覆い、フードを目深に被っているため容姿や性別を窺うことは出来ないが、背丈はレオガルドとそう変わらず、年頃は同じほどだろうと推測される。
「満足されました?」
子供の後ろに、いつの間にか青年が立っていた。青年もまた、ローブをまとっている。
後ろに立たれたことに驚く様子もなく、子供は答える。
「ああ、とても面白いものが見られた」
「それは何よりです。そろそろお時間ですが」
「分かっている」
身を隠していた木から離れ、歩き出す。青年は半歩後ろをついていく。
「わざわざこのような形で大会をご覧にならずとも、いくらでも観られましょうに」
「この形だからこそ面白い仕合を観られるんだ。ーーレオガルド・ローグウェル。噂に違わず強かったよ。あれでまだ発展途上なのだから恐ろしい」
「ルイズ様のご子息でしたか」
「数年もしないうちにお前といい勝負になっているかもな」
茶化すようでいてどこか本気の色を滲ませるその言葉に、青年は「それはうかうかしていられませんね」と腰に差した剣を一撫でした。
「それに僥倖なことに、噂の婚約者も垣間見られた」
「観に来られていたのですか?この会場に?」
「ああ、しかも一人で、だ。侯爵令嬢が」
目をわずかに丸くする青年をよそに子供はくつくつと笑う。
剣の腕は確かでも傲慢で我が儘と有名なローグウェル家の長男。そんな彼は数年前、とある令嬢と婚約した。政略的だとか脅して婚約を強いただとか、当時は様々な噂が飛び交ったものだ。真相はどうあれ、形だけの婚約だろうと誰もが思っていた。
ところが偶然見かけたのは2人の仲睦まじそうな姿。遠くて会話までは聞こえなかったが、令嬢はレオガルドを怖がったり機嫌を窺ったりする様子もなく、至って対等に接していた。とても自然な笑顔を浮かべて。
「アウディガナ侯爵の……シュゼット嬢、だったかな。興味深い」
小さく呟いた子供ーー少年のローブを風が揺らす。
はためいたフードから金の髪がふわりと躍った。




