17.真心は伝わると信じています
妹が王太子の婚約者になるかもしれない。
その件については、一旦置いておくことにする。
サニアの成長度合いからいってもおそらく数年後の話。今すぐどうこうなるものでもない。
探りを入れつつ様子を見ていくのが当分の指針になるだろう。
そもそもこの件でシュゼットが出来ることは限られている。
本来ならば、王家と婚姻関係を結べるのは貴族にとって大変名誉で喜ばしい話なのだ。ましてや王太子との婚約なんて、誰もが夢見て切望する立場。妹にとってもアウディガナ家にとってもまたとない縁談であることは間違いない。
シュゼットにとっては近付きたくない相手で、妹の婚約者に収まられるのも勘弁してもらいたいのが本音である。だからと言って自分の都合で妹の幸せの邪魔はしたくないし、する気もない。
そうなると、気になるのは黒髪の少女の存在。
サニアがレイアール学園に入学する年、ヴィンセントは3年生。まさしくその年、まるで運命のごとく黒髪の少女に出会い、恋に落ちる。
もしもサニアが王太子の婚約者だったら、その光景にきっと傷付くだろう。シュゼットがそうであったように。
争い事が嫌いで心優しい性格だから黒髪の少女をいじめるようなことはしないだろうが、心を痛めて毎日ひっそりと泣いているかもしれない。
そんなのは嫌だ。大切な妹が理不尽に傷付けられるだなんて。
かと言ってしゃしゃり出すぎれば最初の悪夢に元通り、という可能性だってあり得る。
となれば、シュゼットのやるべきことは一つだけ。
(レオガルドには、何としてでも黒髪の少女を振り向かせてもらわなければ……!!)
決意を新たに、シュゼットは腕まくりをする。
厨房で、隣に母親を伴って。
「お母様、よろしくお願いします!」
「ふふ、シュゼットったらやる気十分ね」
「もちろんです!」
なにせ自分と、妹の未来が懸かっていますから。
***
晩餐会から約一ヶ月後のその日。
レオガルドは戦々恐々とした気持ちでアウディガナ家の敷居をまたいだ。
いつものように通されたシュゼットの部屋でソファに腰を下ろすと、やけに時計の音が気になり、意味もなく周囲を警戒してしまう。
ちなみにシュゼットは少々用があるとかで席を外している。
大の野菜嫌いにも関わらず、次から次へと運ばれてくる野菜料理。侯爵家当主と夫人が同じテーブルに着く中で拒否することも野菜が苦手などと白状することも出来る筈がなく、もはや根性で料理を胃の中に放り込んだ。しかも振られる話題に答えつつ、ポーカーフェイスを貫きながら。
(……拷問っつうのはああいうのを言うんだな……)
うっかり思い出し、こみ上げる気持ち悪さに口を覆う。
本当は来たくなかった。心底嫌だった。仮病や急用を言い訳に約束をすっぽかすことも頭をよぎったが、そうしたら負けを認めたも同然な気がして、必死で自身を奮い立たせた。
予め手紙で両親が家にいないことは確認を取ったし、大丈夫。前回みたいな目に遭うことはない。大丈夫大丈夫ダイジョウブ……。
まるで祈るように言い聞かせていると、軽いノックと共にシュゼットが部屋に入ってきた。
「お待たせしました、レオガルド様」
「客である俺を待たせるなんていい度胸だな」
「申し訳ありません。準備に少し手間取ってしまって」
いつもより刺々しい言葉もすんなり受け流し、シュゼットは押してきたワゴン上でお茶の準備を始める。
通常なら使用人が行う筈の作業にレオガルドは訝しげに眉をひそめた。
「はっ、いつから使用人に格下げになったんだお前」
「先月のお詫びも兼ねて、今日はわたしがおもてなしさせて頂こうと思いまして」
詫びというワードに反応する前に、細く湯気の立つカップがレオガルドに差し出される。
毒味とばかりにシュゼットがカップに口を付けて見せても、少年はカップを睨みつけたまま動かない。
野菜嫌いとは別に、気になっていたこと。
(やっぱり飲まないのね)
今まで一度もないのだ。レオガルドがこの邸で出された紅茶や菓子に口を付けたことは。両親がいるときを除いて。
セレナの誕生会でも『子爵家のものなんか』と飲食物に一切手は付けていなかった。だから最初は、使用人や爵位が低い家を見下しての行動だと思っていた。でも違った。そもそも根本的にレオガルドは、
他人を信用していないのだ。
信用していないから、初めから疑ってかかる。信用できないから、必要に迫られない限り出されたものも口に入れない。
野菜嫌いとの関連性は不明。関係あるかもしれないし、ないかもしれない。けれど、何かしらの繋がりはあるのではないか。シュゼットにはそんな気がしてならなかった。
尋ねても素直に答えてくれる訳がないだろうし、その部分に触れる必要はまだない。今必要なのは、レオガルドが出した飲食物を口にしてくれるきっかけだ。
そこがクリアできなければ、野菜嫌いの克服なんて夢のまた夢なのだから。
ふう、と息をつく。ワゴンに載せていたお皿をレオガルドの前に置くと、あからさまに身体をびくつかせた。余程前回の晩餐会が恐怖だったようだ。
少しばかりやり過ぎたことを反省しつつ、クロッシュを開けた。表れたものにレオガルドは目を瞬かせる。
「これは……」
「オレンジのケーキです。わたしが焼きました」
「お前が!?」
こんがりと焼けたきつね色のスポンジ。見た目を華やかに彩る、生地に混ぜられたオレンジの粒。添えられた生クリームが柔らかなコントラストを醸し出す。
「お母様に教わりました。レオガルド様に召し上がっていただきたくて」
「お前の作ったもんなんか食いたくねえ」
「そう仰らず、一口だけでも」
「はっ、どうしてこの俺がこんなもの食わなきゃならないんだよ。腹は壊したくねぇしな」
「レオガルド様」
いつものように嘲笑を浮かべて暴言を繰り返すレオガルドを、シュゼットは真っ直ぐに見据える。真摯な眼差しに、レオガルドも口を閉ざす。
「この間はわたしが口添えしたせいで、レオガルド様に無理をさせてしまいました。それを本当に申し訳なく思っています。今日、来られないかもしれないと心配していましたが、レオガルド様はいらして下さいました」
「……別に、約束は約束だ」
「お詫びにもならないかもしれませんが、レオガルド様に少しでも喜んでいただきたくてケーキを焼きました。召し上がって、いただけませんか?」
レオガルドを見つめる視線には、何の混じりけもない。ただただ彼に真っ直ぐ向き合おうとする思いだけが込められている。
レオガルドはいつもみたいに口汚く吐き捨てられなかった。ここまで面と向かって自分に語りかけてくる他人など、今まで一人も居なかった。だから返答に詰まった。どう受け止めていいのかが分からなくて、困惑してしまう。
シュゼットとしても、一種の賭けでもあった。
食べさせるという目的だけを達成すればいいのなら方法はいくらでもある。それこそ本を読ませたときのように、チェスの勝敗を賭けにしてしまう手だってあった。
けれど今回は、強制という形を取りたくなかった。読書と違って、食への意識は日常と深く絡み合っている。無理を強いても効果があるのはその一瞬だけ。逆に“食べさせられた”という意識だけが残って、ますます意固地になったり敬遠する恐れがある。長期的な変化を求めるためには、僅かでもレオガルド“が”食べようという姿勢が大切なのだ。
だから搦め手は使わず、自分の思いを素直にレオガルドへぶつけた。相手が拒否すれば話はそこで終了になる場合もあり得る。寧ろその可能性の方が高いのではないだろうか。
――それでも、真っ向勝負を選んだのは。
沈黙が場を支配する。まるで互いの思惑を探り合うように交差する視線。開きかけたレオガルドの口は、結局は音にならずに閉ざされる。シュゼットはその間も決して目を逸らさなかった。
永遠にも一瞬にも思えた時間を終わらせたのは、先に目を逸らしたレオガルドだった。
「…………チェス」
「え?」
「チェスで勝負だ。もしお前が勝ったら……一口だけ、食ってやる」
「!」
「か、勘違いすんなよ! どうせ俺が勝つんだからな! お前が期待をもったところをボコボコにしてやるのも楽しそうだと思っただけだ」
不満そうな表情も虚勢を張った声色も、全ては動揺を隠すためのもの。レオガルドなりの歩み寄りを示してくれたことが嬉しくて、自然とシュゼットの口元は綻ぶ。
「有り難うございます、レオガルド様」
「っ、さっさと始めるぞ!」
乱暴にも思える動作でレオガルドはチェスの準備を始めるが、微かに赤くなった頬は隠せていない。分かりやすい照れ隠しにくすりと笑い、シュゼットも駒を並べ始める。
真っ向勝負を選んだのは間違っていなかった。
だって。
(人の心を動かすのは、やっぱり人の心だもの)




