18.まさかの重い過去に大後悔です
コト、コツン……コトン。
駒を動かす音だけが部屋を反響する。
いつもなら、何かしら会話しながら進むチェス。しかし今日はお互いが黙したまま盤面だけが変化していく。
何故あんなことを言い出してしまったのか。
先ほどからレオガルドの頭をぐるぐると回るのはそれだけだ。表情に出さないように注意を払いながら、ポーンを一つ前ヘ進める。
チェスで負けたらケーキを一口食ってやる、なんて。そんなこと自分から言う必要性はどこにもなかった。むしろ突っぱねてやればよかったのに。
認めたくはないが、今までシュゼットに勝ったことは一度もない。負けるつもりはないけれど勝てる確率の方が低いことぐらいレオガルドにも分かっていた。
にも関わらず、どうしてこんな馬鹿な真似を。ああくそ、何やってんだ自分らしくもない。
まとまらない思考に苛立ちかけていると、不意にシュゼットから話しかけられる。
「お好きな食べ物はありますか?」
「……は?」
「いえ、そんな話をしたことが無かったなと思いまして。ひき肉とポテトのキッシュ以外にありますか」
「お前に関係ねぇだろ」
「たまにはこんな取り留めない会話もいいではないですか」
「俺は楽しくない」
「わたしは楽しいですよ、レオガルド様とお話するの」
まただ、とレオガルドは思う。
こそばゆいような、むずむずするような。どうにも落ち着かなくて、身の置きどころが分からなくなる。チェス盤をひっくり返し、今すぐ此処から去りたい衝動を必死で抑え込む。
悪態をつこうとした口から出た言葉は、レオガルドが意図しないものだった。
「…………肉」
「お肉ですか。ちなみに好みの味付けは?」
「別に何でもいい。……ただ、見た目がてかてかしてるやつは食いやすい」
「照り焼き美味しいですよね。わたしも好きです。そうだ、甘い物は普段食べられますか」
「剣の訓練の後とか、そういうとき食べることもある」
「甘い物は疲労回復にもいいって聞きますものね。好きな飲み物などはありませんか?あれば次から用意いたします」
「ない。つーか、外で口にしたくねえ」
「あら、どうしてですか」
まるで誘導されているかのように、シュゼットの問いに答えてしまう。あまりにも自然な会話の流れにレオガルドの本音に近いものが零れていく。
だからだろうか、口が滑ってしまったのは。
「――前に一度、毒を盛られた」
ハッとして手を止める。目を見開くシュゼットが視界に入った。
こんなこと言うつもり無かったのに。誰にも話すつもりのなかった過去を吐いてしまった自分に、思わず舌打ちが漏れる。
ここで有耶無耶にして引きずっていると勘違いされるのも癪だったから、早口で捲し立てた。
「別に大した話じゃねえよ。数年前に呼ばれた茶会で飲みもんに毒が仕込まれてた。毒っつっても腹を壊すような、そんな軽いもんだ。だからそれ以降、自宅以外では出来るだけ食わねえようにしてる。それだけだ」
今から数年前。4つほど年上の少年から誘われた、初めての茶会。
彼は剣の訓練を一緒に受けていた仲間であり、先輩でもあった。レオガルドが剣を始めた当初、色々なことを教え、親切にしてくれた。だからレオガルドも懐いていた彼からの招待を嬉しく思い、素直に応じたのだ。
茶会には同じく剣を学ぶ者達も集まっていた。剣についての談義もたまには楽しいだろうという彼の意見に賛同し、レオガルドは促されるまま紅茶を飲み干した。
途端、激しい腹痛に襲われ、その場で吐き気を催した。
吐いても吐いても一向に楽にならず、喉が焼け付くように痛い。脂汗が噴き出し、激しく咳き込みながら周りに助けを求めた。
けれど周りの者は誰一人助けを呼びに行こうとはせず、ただただレオガルドを見下ろしている。幼い少年が苦しむ様を楽しむかのように、瞳に愉悦を灯らせて。
混乱と激痛の最中、レオガルドは茶会に誘ってくれた先輩に救いの手を求めた。
しかし返ってきたのは歪んだ笑みと、それから――
『 』
そこでレオガルドの意識は途切れ、次に目が覚めたときにはベッド上だった。
聞けば2日間も意識がなかったという。紅茶に仕込まれた毒のせいで激しい腹痛と嘔吐が引き起こされ、脱水症状にもなりかけ、一歩間違えれば大変な事態になっていたらしい。
捕らえられた少年達は涙ながらに弁明したという。剣を学び始めてすぐに頭角を表した才能を嫉み、あっという間に追い抜かれてしまいそうな状況に焦っていた。少し痛い目に遭わせてやりたかった。お腹を下す程度の毒だった筈が、こんな事態になってしまった。ここまで大事になるなんて思わなかった――と。
まだ素直だったレオガルドはショックを受けた。まさか仲間だと思っていた人間に毒を盛られるだなんて想像すらしていなかったからだ。救いを求めた、あの時のことを思い出す。
優しかったはずの先輩はどこにもいなかった。そこに居たのは口元を歪めて笑う、一匹の悪魔。憎悪と嫉妬に駆られた、醜い感情の塊。
朦朧とする意識の中、鼓膜を震わせた音が忘れられない。
『ざまあみろ』
彼は確かにそう言ったのだ。苦しむレオガルドを見下ろしながら。
あんなにもどす黒い感情があるのか。それを一身に受けた記憶が蘇り、恐怖で身体が震えた。
どうして? ただ上達するのが楽しくて訓練を頑張っていただけなのに。彼はいつも親切にしてくれていたのに。茶会に誘ってもらえて嬉しかったのに。どうして。どうしてどうしてどうして。
(どうして、こんな目に遭わなきゃいけなかったの)
ベッドの中で繰り返した自問自答。
答えは早い段階でもたらされた。数日後、レオガルドの部屋に訪れたルイズによって。
『まあ、いい勉強になったな』
幼い我が子が仲間内から毒を盛られたというのに、淡々と紡がれる言葉には労りの色も慰めの響きも存在しない。
けれどレオガルドは心から父を尊敬し、信頼していた。強い父の言うことは全て正しく、絶対なのだと何の根拠もなく信じ切っていた。それがローグウェル家の家訓だからだ。
『他人を信じすぎるとこういう目に遭う。身を以て体験できただろう』
『……はい』
『強さは他者を引きつけるが、逆もまた然り。反感や恨みも買いやすい。今後はその辺の見極めていくといい』
『はい、父様』
すとんと胸に落ちた父の言葉。
そうか、そうだったんだ。
(他人を信じた僕が馬鹿だったんだ)
大した努力もしないで他者を羨み、妬んで、あろうことか毒を盛る。一人では何も出来ず、群れることでしか動けない、弱くて愚かな人間。そんな奴らを信用するなんて、ルイズの言う通り馬鹿の極みだったのだ。
――もっと強くならなくては。
妬むことすら出来ないほど強くなって見せつけてやればいい。自分はお前ら弱い人間なんかとは違うのだと。
愚かな弱者なんか必要ない。信じるのは己の強さだけ。それだけが自分を守る術なのだ。
その決意通り、レオガルドは以前にも増して訓練に没頭していった。めきめきと力をつけて五月蠅い周囲を黙らせ、大人から称賛を浴び続け、膨らんだ自我は暴走を始める。
毒を盛られて以降、薄れた食への関心。どうせ食べるならまだ美味しいと感じるものを口にしたい。好まないものは食べたくないと野菜を拒否するようになった。
当初は母も難色を示したが、父は何も言わなかった。その頃には同学年はおろか、先輩すら圧倒するようになっていたからだ。強さこそ全て。それが証明されていたからレオガルドの偏食も許容された。
そんな日々が、毎日が積み重なって、大の野菜嫌いになっていった。
「……俺の負けだな」
盤面を見下ろしたレオガルドは呟いた。
いつものような悔しさを覗かせる口調でなく、ただ静かに。
「仕方ねえな、約束通り……」
「申し訳ありませんでした」
旋毛が見えるほど深く、シュゼットが頭を下げた。
目を瞬かせたレオガルドは何に対する謝罪かを察し、くだらないとばかりに嘲笑う。
「同情か? ふざけんな、お前に同情されるほど俺は落ちぶれちゃいねえんだよ」
「違います。わたしの配慮が及んでいなかったことについてです」
顔を上げたシュゼットの瞳に映るのは憐れみではなく、自身への呵責だった。しかし何故彼女がそんな表情をするのか、レオガルドには全く分からない。
「正直に申し上げます。わたしはレオガルド様の野菜嫌いをただの我儘だと思っていました。嫌いだから食べないだけだと。だからこの間も野菜嫌いであることを知っていながら、助け舟を出しませんでした。
……ですが、そうではなかった」
スカートを握り締め、傷付いたような目を伏せる。
「そのような過去があれば他所で飲食物を口にしたがらないのも、食への意識が偏ってしまっても無理はありません。わたしはもっと考えなくてはいけなかった。レオガルド様が何故野菜が嫌いなのか、出した紅茶を召し上がらないのか、まずレオガルド様の思いを聞くべきだった。それなのに一方的な思いを押し付けるようなことをしてしまって……先ほどの約束は無効にしてください。本当に申し訳ありませんでした」
シュゼットは深く悔いていた、己の行いを。勝手に決め付け、レオガルドのトラウマを踏みつけるようなことをしでかしてしまった。
レオガルドがいくら傲慢で俺様でも、彼には彼の思いがある。言動には理由がある。鑑みなくてはいけなかった。理由を知ろうとしなければいけなかった。
先入観で決め付けて、自分が最善だと思ったことをレオガルドに押し付けようとした。
(……わたしの方こそ、傲慢じゃない)
まさか謝罪されると思っていなかったレオガルドは戸惑う。どうしてシュゼットが傷付いた顔をするのか。妙な居心地の悪さに気分が落ち着かず、掛けるべき言葉が見つからない。
伸ばしかけた手で頭をがりがりと掻き、立ち上がる。そしてワゴンに載っていた皿を手に取って座り直す。
「れ、レオガルド様?」
「約束は約束だ、ちゃんと一口食ってやる」
「お止めください、いいんです。あれは約束ではなくわたしが押し付けたようなもので、」
「俺から言い出したんだ。自分の発言には責任もつ」
クロッシュを開けるレオガルドに耐えきれなくなって、シュゼットは叫ぶ。
「人参が入っているんです!」
「!?」
――がちゃん!
思わずレオガルドはクロッシュを落とし、反射的に立ち上がって距離を取る。クロッシュに潰されたケーキは見るも無残な有様だ。
レオガルドが責め立てるよりも早くシュゼットが「ごめんなさい」とまた頭を下げる。
「……わたしも昔、人参が苦手だったんです。食べようとしないわたしを見かねて、お母様がこれと同じケーキを作ってくれました。とても美味しくて、最初は人参が入っているだなんて全く分からなかった」
ネタばらしされた幼いシュゼットは目を丸くした。これが本当に人参入りなのかと。だってこんなに美味しいのに。母は満足そうに微笑み、こう続けた。
『人参に限らず他の野菜もね、調理法や味付けを変えればどんなものにも変身できるの。ただ嫌いって思い込んで遠ざけちゃうのは、勿体ないと思わない?』
「それからわたしは人参が食べられるようになりました。だからレオガルド様にもこれを食べてもらえたら、野菜への意識が少しでも変わるんじゃないかと思って……本当にごめんなさい」
嘘は言っていない。野菜を食べられるようになって欲しいという思いだって本物だ。
けれど矯正を目的としている時点でアウトなのだ。どう言い繕ったところで結局やろうとしたことは騙し討ちなのだから。
非難されても文句は言えない。覚悟を決めてレオガルドの罵倒を待つが、いくら待っても反応はない。不思議に思い、レオガルドを見やると怒っているような困っているような、戸惑っているような、何とも表現し難い表情をしていた。
(どうしてそんな顔……それに、どうして怒鳴らないの?)
レオガルドの思惑が読めず、シュゼットも困惑する。どう聞けばいいのかも分からなくて場に奇妙な沈黙が満ちる。
それに耐えきれなくなったレオガルドが「だあぁあ!」と叫び、ケーキの欠片を鷲掴んで。
「ごちゃごちゃうるせぇ!! 騎士に二言はねぇんだよ!!」
「あっ」
そのまま口に放り込む。眉間に皺を寄せたままもぐもぐと咀嚼する様を呆然と見ていたシュゼットだったが、慌てて水を用意しようと立ち上がる。
文机にある水差しを手にしかけたとき、ぽつりと背後で漏れ出た声。
「――――……うまい」
思わず溢れた、紛れもない本音。
目を丸くしているシュゼットに気付いたレオガルドは、自分の口走ったことにハッとする。
「ちっ、違うぞ勘違いすんなよ!? ただ思ってたよりまともだったってだけだ!! 別にケーキが美味いとかそういう意味じゃ……」
「本当、ですか」
「……は?」
「美味しかったですか?」
「だから想像よりマシだったって意味だ!」
喚くレオガルドからは野菜への拒絶反応は見られないし、少なくとも不味いとも思っていない。胸に広がる安堵と申し訳なさ、そして紛れもない喜び。
レオガルドに倣ってケーキの欠片を指先で摘み、ぱくりと食べる。
口中にじんわり広がる素朴で優しい甘さ。シュゼットを人参嫌いから解放してくれた母の味……にはまだ及ばないけれど。何回も失敗して、やっと美味しく綺麗に焼き上がったケーキ。
母はもちろん、セレナやミーシェにだって味見してもらい、太鼓判を押してもらった。自分でも試食し、大丈夫だと思えた。でもやはり不安はあったのだ、レオガルドに美味しいと思ってもらえるか。
だからレオガルドのあの一言がなによりも嬉しい。これでようやくスタートラインだ。
「レオガルド様、今回は騙し討ちのような形を取ろうとして申し訳ありませんでした。今後はそのような真似、決して致しません」
「別にもういい。お前がしおらしいのは、なんつうか……気味悪い」
人が反省して謝罪してるのに気味が悪いとは、なんて失敬な。
しかし今回の件はシュゼットに非があると自覚しているので、反論は呑み込んで続ける。
「今度からレオガルド様とお会いするときはお菓子や料理を作ります。何の野菜が入っているかもきちんとお伝えしますわ」
「笑わせんな。俺が素直に食うとでも思ってんのか?」
「思っていません。だから作るのです」
「は……?」
レオガルドがシュゼットを信用していないのは知っていた。何故ならシュゼットもまた、レオガルドを信用していなかったからだ。
でもそれでは駄目なのだと、ようやく解った。上辺だけ形を整えたって意味はない。内面を見ようとしなければ、知ろうとしなければ、本質を変えられる筈がない。
もっと彼の思いを聞こうとしよう。
もっと彼の話に耳を傾けようとしよう。
もっと彼の言動の理由を考えよう。
もっと、レオガルドを信じる努力をしよう。
そのために手料理を振る舞うのだ。
彼に信用してほしいのなら、まずは自分から歩み寄ろうとしなくては。
「レオガルド様、提案があるのですが」
「……なんだよ」
「次はどこかへ出掛けませんか?」
まずはこの屋敷の外へ、一緒に出掛けてみよう。




