Longitude(経度)
ロンギチュード
はい、じゃあまずは自己紹介から始めますか。
名前と2年のときのクラスと、部活とか趣味とかなんでもいいので一言、順番に言ってきましょう。
じゃあええっと、アイカワから……いや、そんなにうんざりした顔しなくても。え、ずっと出席番号1番なのか。3年間……じゃなくて12年連続? 小学校から? 幼稚園か保育園は……なるほど、アイオイさんね。残念だったな、引っ越しちゃって。
はいはいわかりました。じゃあワタナベ、より後ろがいるのか。……ワラビ、でいいのかな、読み方。うん、ワラビから……え、そのパターンは飽きたって言われても。パターンに従っておくっていうのも悪くないと思うぞ。それなりにうまくいくから定石になったんだし。どうせ、何? 出席番号の終着駅? うん、よし、なんか意外とかっこいいキャッチコピーに免じて再検討しよう。
えーじゃあはい、今度こそわかりました。アイカワとワラビと、あとマツダにウエムラ。四隅の4人でじゃんけん、負けたとこから縦に一筆書きでいきます。
はい、立ってー。3秒以内に立たないと強制的に負けだぞ。
さん、にい、いち。
「上村は、何がいい? 好きなの選んで」
「甘いのがいいな」
フェンスの向こうの話し声は、ぼそぼそとも聞こえない。
「もちろんあったかいので」
ことさらに時間をかけて、ひとつひとつ並んだ商品を見ていく。
「ココアとかカフェラテより、今は、レモネード」
ボタンを押せば金属製のボトルが、がこん、と転がり出てくる。
「ありがとう」
「どういたしまして」
百円玉を1枚足して、出てきたのは缶コーヒーだ。
ほかに手頃な場所を探すのも億劫で、初めに入ってきた、映画館に近い方の門までぐるりとフェンスに沿って歩いて、また公園に戻る。
中の液体の熱がそのまま伝わってくるかのように、金属は熱い。右手、左手、また右、と持ち替えながら、蓋を開けて熱を逃がすまでの時間を惜しむ。
空いた手で、地球儀の枠組みだけが回るような遊具の縦の部分、経度をつかんで力を込める。
ぎぎっと重い音がして公転と同じ向きに回り始める。いったん動くと力はあまり必要ではなくなり、ある部分に差し掛かるときいっと高い音できしむ。
回し始めたら止められない。この音が聞こえなくなったら、この場所は静かすぎる。
「開けて」
ボトルを差し出すと、代わりにもう口の開いた缶を持たされる。
ぴちん、と留められた金属がちぎれる音がして、また缶とボトルを交換する。
甘い。酸っぱい。あたたかい。
舌の上で転がして、そっと飲み下す。温められて、吐く息はこんなにも白い。
隣に目をやれば、すぐに視線が重なった。
「なに?」
「ん、私も汚れっちまったなあ、とね」
お天道様の下で下着店の袋を振りかざすわ女子高生を脅すわ、私の汚れっぷりもなかなかすさまじいものがある。
「奢ってもらってから言うのもなんだけど、私やっぱり高校3年のクラスなら一番年上だったよ。さっき思い出したの。クラス最初に自己紹介があってさ、相川とワラビー、あ、和良比さんね、がこう、アグレッシブに譲り合った結果、なんと窓際最後列の私から始めることになったんだよね。そのとき誕生日も自己紹介に入れてみたら、私以降そういう雛型みたいなのができちゃったわけ」
ざらついた金属の枠を掴む手は、力を込めるたび節が白くなっている。きい、と音がして、世界を均すかのように垂直な線は走っていく。
「あ、彩乃ちゃん」
高西正希と微妙な距離を保ちつつ並んで歩いていく。去っていく姿に手を振ると、胸の前で遠慮がちに振り返してくれたのが嬉しくて、胸を張る。
「どう、さっき会ったばっかりの子とこの打ち解けぶり。このぶんだとナンパとか軽くできそうじゃない?」
「したいの?」
「いや、単にできるぜって自慢。だいたい普段は、初対面の人相手にリンパ球について語ったりしないんだからね」
遊具をそっと逆回転させる。地球と違うこの球体は、人が力を与え続けないと止まってしまうが、天体の力に縛られないから時を遡る方向へも回ることができる。
もし時を戻せるならば、たったこれだけ。2時間分、経度30度くらいで十分だ。
さて、とボトルの蓋を閉めてバッグに突っ込む。
「自己紹介から始めますか」
この人は、私が名を呼ばないのに気付いただろうか。
戻れるなら、出会う前に。
相手の名前を訊くときはまず自分から名乗るのが礼儀だという。逆にいえば、相手に名乗られたのならばこちらの名も教えなければならない、ということだ。
相手に挨拶されたら、挨拶を返せ。たとえば、叔父上が電話で律儀に引っ掛かったように。
相手に名乗られたら、名乗り返せ。たとえば、水元彩乃がおそらく不本意ながらも答えたように。
それは、強制ではないけれど、限りなく強力な儀礼上の縛りである。
同じような事例はほかにもある。
「トマス・ジェファーソンは何代目の大統領ですか?」と、英語では問うことができない。「何代目」に相当する英語の表現が存在しないため、この通りの英文に訳すことができないのだ。
それでは、同じ意味の問いは英語では不可能かといえば、否である。ひとつの文では問えなくても、ふたつの文ならあっけないほど簡単だ。
たとえば、こんなふうに問えばいい。
「エイブラハム・リンカーンは第16代大統領です。では、トマス・ジェファーソンは?」と。
例を示して、倣うよう促す。
形式を縛って、望んだ答えを得る。
それは、先例という強制だ。
「上村晴名。晴れた日の名前で、ハルナ。21歳、独身。市民プラザ勤務」
では、あなたは、と。
私が今日出会い、今私の目の前にいる、その人に向けて問う。
「あなたは?」
ウーティス、なんて許さない。
——私が会ったのは、誰だったの。
「高西順也。従順ナリと書いて、ジュンヤ。25歳、独身。レストラン『ル・ルージュ』勤務」
「従順はないと思う、従順は」
「じゃあ順調ナリで」
「うん、そっちの方が似合う」
まあつまり、確かに高西ではあるわけだ。




