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Lose1(負ける)

ルーズ

 下がれ。時間の無駄だ。面白い話というやつが面白かった例はない。

 そこをなんとか、お許しが頂けるのならほんの一時、お耳を拝借しとうございます。

 勝手にしろ。耳だけは空けておいてやる。話し終わるまで口を利くつもりはないがな。

 はい、さすれば。我が殿のお心を煩わせることもない、何事も起こらぬ話でございます。


 むかしむかしの、お殿様の話。もちろん、我が殿とは縁もゆかりもございませんとも。

 道を行くのは、それはそれは立派な大名行列でございました。

 あるとき殿様の扇に鳥の糞が落ちてまいりました。「替えを持って参れ」「御意」

 殿様の扇は新しいものに替えられまして、大名行列は何事もなく進みます。

 あるとき殿様の刀に鳥の糞が落ちてまいりました。「替えを持って参れ」「御意」

 殿様の刀は新しいものに替えられまして、大名行列は何事もなく進みます。

 あるとき殿様の頭に鳥の糞が落ちてまいりました。「替えを持って参れ」「御意」

 殿様の頭は新しいものに替えられまして、大名行列は何事もなく——。


 待て。いくらなんでも世の中に、そんなばかな話があるか。

 ええ、どうやら世の中にはこのような、「ばかな話」というものがございますようで。



 どうもこの殿様は汚れたら洗ってまた使うのではなく新品と交換するという思考回路らしい。バブリーなお方である。

 つまり、何が言いたいのかというと。

 まさか高西もいろいろ交換可能な人だったのだろうか。例えば、肩から上の部分とか。


 そんなばかな話があるか、と言われるまでもなくわかっている。

 でも、それならば。


「…………どうして」

 その先に続くべき言葉を私は知らない。

 思いがけない再会は、まるで、幽霊に出会ったような。

 私は、ここで先ほど会った高西と再会するはずだったのだ。高校時代の高西ではなく。


 本物の幽霊を見つけたとき、生身の人間はこれまでにないほど実体をもつ。

 体が重い。声とともにこぼれる息が白く変わる。瞬きをするその間、目を閉じるのが怖い。

「いや、兄貴に言われただけなんでわかんないんですけど」

 困ったように事情を告げられる。

 兄、ということは、弟、となるわけで。

 ああ、弟か。弟だ。

 当然といえば当然だ。

「ああ、びっくりしたー」

 緊張が一気に緩む。げんげっちまったぜ、と心の中で呟く。

 恐慌に陥っている最中には自分でそうと気付けないものだ。まあ冷静に考えれば交換したのは首ではなく服である。それも、ジャケットだけだ。

 まだ厚みのない体も柔らかそうな肌も青年というより少年のものである。

 髪は短めで、ジャケットの下は薄手の服の、高校生くらいの、「男の子」。なるほど、そうきたか。


「高西の弟で、えーと、高校生?」

「はい」

「そっかー。高校の頃の高西とそっくりだもんね。いやうん、別に悪くないと思うしそんな嫌そうな顔しなくても。あ、私、高西と高校3年のときクラスメイトだったんだよ」

「え」

「なに?」

「じゃあ、ウエムラさん?……は」

「あ、申し遅れましたが上村晴名です。晴れた日の名前でハルナね。市民プラザの職員です」

 市民プラザ職員というのはその名の通り市に雇われており、こうした場面でしっかりした身元として重宝する。まあただの自慢だが。

「高西正希です。正しいに希望の希でマサキ。高一です」

「それで、なんだっけ?」

「いや、つまり、兄貴と同じ年……?」

「それはまあ、同じ学年だしね。もっと上に見えた?」

「まさか」

 そうだろうとは思ったが訊くだけ自由じゃないか。

 短大時代にも、家族で行った焼肉屋の会計の際に私だけミントガムでなくフルーツキャンディーを渡されたこともある。化粧をしていなかったからか、どうやらミントが苦手なお年頃に見えたらしい。まあ今でもドロップの缶を振ってハッカ味が出てくると己の不運を嘆く私としては、別に構わないのだが。


「なんか、すいませんでした」

「あー、謝るのはたぶんこっちだと思うよ。巻き込んじゃってごめんね」

「それで、何て言われたの?」

「映画館を出たら、誰かに声をかけられるかもしれないって。で、その相手が『ウエムラ』さんだって確認したら『お手つき』って言うように。あ、あと上着交換しろって無理矢理」

 読めた。高西が私の行動を読んでいたことが読めた。

「……高西さ、あ、兄ちゃんの方ね、高校時代から性格変わってない?」

「いや、前からあんなんだと思うけど」

「うわ、そうだったのか。初めて知った」

 ——俺は良い人じゃないから。

 実は高西は前からそんなに良い人ではなかったのか。


 思いついて、ねえ、と声を潜めて高西弟に顔を寄せる。

「高西、あ、兄ちゃんの方ね」

「あの、それいちいち呼びにくいような」

「じゃあ、えーと、正希くん?」

「はあ」

「——のお兄ちゃんのことなんだけど」

「それも呼びにくいような」

「いや実はその話なんだけど、ちょっと正希くんのお兄ちゃんの方は度忘れしちゃって。いまさら面と向かって訊くのもなんだし、正希くんにこっそり教えてもらえたらな、と」

 それは度忘れではなくただ覚えていないだけじゃないのか、などと指摘するなかれ。

 ちゃんと知っていた。卒業式の練習で何度も聞いた覚えがある。ついさっき高西に会うまではしっかり覚えていたはずなのに、口にする直前に度忘れした。証明する機会がなかったのが真に悔やまれる。


「アヤノ」


「……えーっと、さすがにそれはないと思うけど」

 ほぼ確実に女の名前だし、男だとしたら一生誤解を受け続けるだろう名前である。もしそこまで印象深ければ私も忘れるはずがない。なんたって卒業式の練習で耳にしているのだ。

 これは罠か。高西らは揃いも揃って私を罠に嵌めようとしているのか。兄のみならず弟も侮りがたしと見た方がいいのか。

 いや、前からああいう性格だったらしい高西が、高西弟に指示を出していたというのも考えられる。

 どこまで私の行動を読んでいるんだ、千里眼なのか高西め、といささか空恐ろしくなってきたところで、高西弟の視線の方向に気づいた。


 高西弟の視線をたどると、こちらを見つめる女の子に行き着く。目が合った。

 ああ、そんな顔をしないでほしい。そんな、まるで幽霊でも見たような。


 唐突に焦点が絞られるように彼女が何者か見当がついて、視線の焦点はどこにも合わせぬまま小声で問う。

「ねえ、アヤノさんって、デートで映画見てる途中に寝ちゃって怒らせたっていう彼女?」

「なんでそれを」

 高西の情報は正しかったらしい。素直に驚きを示すあたりが高校生らしくまだかわいげがある。将来は兄ちゃんみたいになるなよ、うん。

 ただこの状況で、アヤノさんから視線を外して私の方に勢いよく向き直るのはいかがなものか。あと勢い余って腕をつかむのもよろしくない。


 ほら、逃げられた。


 だからひとりで反省会なんかしてないでほかの映画に誘えばよかったのに、と高校時代の自分を棚にあげて辛辣に思う。

 このあたりの中高生というのは、だいたいはこのあたりに出没する。商店街に映画館、中規模ながらもショッピングモールが集中している中心地だ。ちなみに市民プラザも近い。

 私が兄さん(本物)と歩いているのを目撃されたのもこのあたりだったし、休日には約束しないでもこのあたりをうろついていれば友人と行き遇えたものだ。

 要するに、ちょっと歩けば知り合いに当たる中で、高西弟の彼女がいたところで何の不思議もないわけだが、間が悪いにもほどがある。

 世の中にはこういう、そんなばかな話があるか、と呻きたくなるような不運な偶然があるものだ。


「ちょっと、アヤノ!」


 妙に聞き覚えがある声だ。

「あんたなにやってんの、バカニシ!」

 それは、髪は短めで肩より少し上、薄手の服だけれどコートはくしゃくしゃにして片手に掴んだままの、高校生くらいの女の子で、『淋しくて、巴里』の終了間際にロビーに足早に出てきて、今日これから誰かと待ち合わせしていたらしい、私が高西の彼女(一般名詞)と間違えた彼女(指示代名詞)である。


 その彼女は高西正希の知り合いで、アヤノさんともお知り合い。

 まあびっくり、なんて偶然なのかしら、とはさすがに言えない。

 いくらなんでも現実に、そこまでばかな話は転がっていないのである。


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