Lapse3(時の経過)
「ああ、はいはい、同窓会ね。うん、そう。そういえばそうかも」
中身のない音声を連ねて、空白を埋めていく。
大掃除でうっかり一か所だけ磨きすぎたせいで周囲の汚れが目についてしまうように、今まで気にならなかった沈黙が急に存在を主張し、のしかかってくる。
「あの同窓会、急に日程が決まったんだっけ。8月だったよね。ほら、お盆の前だっけ後だっけ?」
高西は会話が自分の方に飛んでくるとは思わなかったかのように、何度か目をしばたたく。
その間の数秒が、身に堪える。
問いかけるということは、答えが返ってくるまで待たなければならない、と当たり前のことに気付くのはこんなときだ。
「前」
「そうそう、連絡のメールが回ってきたの3日前くらいでびっくりしたもん。急だったから先生もお昼しかいらっしゃれなかったっていうし。そのわりにはみんなよく集まったよね。夏休みで帰省してる人が多かったとはいえ、あんなに来るとは思わなかった」
「30人くらい?」
「そうそう、それくらい。私なんか仕事の都合がつかなくて顔出すだけになっちゃったのに。そうだ、あのときは職場行く前に寄ったから、今とは違って結構仕事っぽい服だったでしょ? あ、そのときか、市民プラザの職員だって言ったの。そっか、うん、忘れてた忘れてた。にしても、幹事の思いつきで行き当たりばったりって感じなのに、よく店の予約取れたよね」
「団体客のキャンセルがあったから」
「あ、そうだったの? 知らなかった。なんかコネがあったってだけは聞いてたけど。いいよね、コネクション。もしかしてキャンセルで空きがあるってわかってからやるの決めたのかな。かもね、急だったし。どっちにしろ運がいいよね、幹事ってば。私もあそこらへんぶらついたことあったけど、あんなところにお店あるの気付かなかったよ。ロゼットじゃなくて、ローズじゃなくて、あれ——」
なんてお店だったっけ、と軽く投げようとして中空に留まった問いを、どうするか迷う。
これはキャッチボールではなくお手玉なのだ。ひとつ落としたら、すべてのバランスが崩れるような。
「ル・ルージュ」
「そう、それそれ」
それで、上村さんは、と高西が言うのを、上村でいいよ、とさりげなく押し戻す。
「ルージュってことは赤か。そういえば赤ワインの種類が多い店なんだっけ。メールに書いてあったかも。うん、そうだったそうだった。まあいくらなんでもあの時間からは飲まないよね。あ、そもそもみんな車か。私なんてバス、は今通ってないんだよね、自転車で行こうとしてるって言ったら行きも抜けるときも送ってもらっちゃったよ。いいかげん運転の練習しなきゃね。ルージュ・エト・ノワール、赤か黒か、ってね。ルーレットなんかの、知ってる? あ、ワインだと黒じゃなくて白か。ルージュ・エト……えー……」
「ブラン」
「ブラン? 白ってブランっていうんだ。へえ、知らなかった。フランス語って縁がなくて。あ、これフランス語だよね? 合ってるならよかった。ルージュ・エト・ブランで、赤か白か。ルージュ・エト・ノワールなら、赤か黒か。うん、これさえ覚えておけばワインとルーレットには困らないね」
私の人生はワインとルーレットだけで構成されているわけではないので今現在困っているのだが。
「そうそう、ルーレットといえば赤に16回だか賭けて勝ち続けて、でも実は心臓発作か何かで途中で死んでて、カジノと遺族とでいつ死んだのか裁判になった人の話があったよね。
14回目までは確実に自分の意志で賭けていた、いや生きていても体を動かせなかったはずだからその回は無効だ、なんて。2倍2倍がずーっと重なるとすごい数だよ。2の16乗って、確か五万は超えてて六万いくつとかそんな数になるんだよね。この話聞いて数学の授業中ずっと計算してたもん。いやあ、指数は怖いね。あれ、怖いのは賭け事の方だったっけ? まあいいか。
あとはほら、ある色に賭けて負けても、また同じ色に前より多く……えーと、勝てば2倍になるなら前の額の1.5倍以上か。その額を賭けて、勝つまでそれをずっと続けたら結局損はしないわけなんだよ。確率は2分の1だから、いつかは必ずその色が出ることになるし。すごいよね、この発想は。
だけど、今は同じ色に賭け続ける回数は制限されてるんだってね。こんな賭け方をする客ばっかりだとカジノが潰れるから。まあルーレットってゼロが出れば胴元が総取りになるんだけど。あ、これもひとつのルーレットにゼロがひとつのとふたつのがあるんだよね。シングル・ゼロとダブル・ゼロで、それぞれ賭け率が違うの」
「ふうん」
薄い反応にはっと気づく。
「そういえば確率は高校1年で習う内容だったっけ」
高西と同じクラスになったのは3年生だけである。
簡単に計算すると、クラスは8組、数学教師はひとつの学年に4人なので、同じ数学の先生に当たっていなかった確率は単純計算で4分の3となる。
これは勝算が薄い。
「えーとじゃあね、いきなり宣伝なんだけど、市民プラザは、市民講座だけじゃなくていろいろやってるからよかったら高西も来てみてね。ホールでは児童合唱団の発表とか、大学の落語研究会の寄席とかやってて、だいたいは入場無料だよ」
「市民ホールの方?」
「あ、違う違う。市民プラザの中のホールのこと。まあ講堂みたいなものだけどね。ごめんね、ややこしくて。
まあとにかく、ホールさん、って職場では市民ホールのことこう呼んでるんだけどね。ホールさんみたいな、オーケストラとか演劇とか歌謡ショーとか、そういう有名どころの巡業みたいなのは来ないけど、なんていうか、地域のイベントは結構やってるよ。
そうはいっても、ここらへんの高校の合唱コンクールなんかはみんなホールさんなんだよね。うちの高校もそうだったし。あ、あと年明けの成人式の会場でもあるんだけど、もしかして高西の中学校はホールさんに当たってなかった? あとそうだ、年末なんか市民プラザはハンドベル演奏会だけど、ホールさんは第九やるもんね」
規模の違いは僻むものではない。大きさを競って最終的に行きつくのはパイプオルガンである。
「そういえば演奏会のリハーサル見て驚いたんだけど、ハンドベルって小学校の音楽室で見たおもちゃみたいなのとは違って、色がついてないんだよ。金属の色そのままなの。よく間違えないよなあ、って思って。なんか印でも付いてるのかな」
「色?」
「高西は見たことない? えーと、ほら、ドは……いやドは置いといて、レはレモンだから黄色、ミはミカンだからオレンジ色、ソは空だから水色、みたいにベル自体に色がついてたよね。あとは何色だったっけ」
息をつくその隙に、で、上村は、と高西が言葉をはさむ。
「俺のこと、わかった?」
聞いてほしくないところにざくりと斬り込んできた。
答えられない、もしくは答えたくない質問には答えない。
「やだなあ。私が初対面の人相手にリンパ球について語り倒すような人間だと思う?」
ついさっき市民プラザについて語り倒したのを完全に棚にあげて、屈託のない笑みを作る。
利用者の方からの問い合わせへの対応、講演会の講師の方との交渉、はたまた通りすがりの方への道案内とサービス業務をこなす市民プラザに勤めて約9カ月、爽やかな笑顔は格段にうまくなった。
そうでなくても乾物屋に行けば炙ったたたみいわしと煎茶を店先でサービスされ、焼肉屋ではレジでフルーツキャンディーをサービスされる笑顔である。
高西は無言である。沈黙が重さを増して、体に食い込むようだ。
初対面の人はいい。
親しい人もいい。
しかし、中途半端な知り合いというのは非常に面倒だ。
それは喩えるなら予告付きのじゃんけんのようだと思う。
事前にグーチョキパーのどれを出すか宣言するが、本当に宣言通りになるとは限らない。いくら考えても答えは出ないと頭では理解していても、惑わされて、やりにくくなる。叔父上の不出来ななぞなぞのようだ。
じゃんけんはじゃんけんなのだから、どうせ出す手など3通りしかないし、予告があろうが無かろうが相手が何を出すかはわからないことに変わりはない。そう割り切ってしまえばあきれるほどシンプルなのに、明確な答えの存在を諦めきれないのだ。考えて考えて、不毛な思考のループから抜け出せなくて、その息苦しさに耐えかねてついには考えること自体放棄してしまう、その瞬間の敗北感はたまらなく苦い。
予告付きじゃんけんが苦手なのは、相手が知っているかもしれない、と思うからでもある。私にはわからないけれど、相手は私の予告と実際に出す手の間に何らかの法則を見出しているかもしれない。
その関係の不安定さが、目に見えない部分での不均衡が、私を居心地悪くさせる。
「まあいいか」
高西はつぶやくように言って、ひとり頷く。
次の手はグーかチョキか、それともパーか。
わからないなら、どれが出ても儲けもしないが損もしないだけ張ればいいのだ。こんなときに限ってゼロが出るのが賭け事の常でもあるが。
頭の隅でぽつりと生まれた悪い予感は打ち消せないままに、息を潜めるようにして出方を窺う。
本当に、中途半端な知り合いというのは対応に困る。
ほら、たとえば今みたいにいきなり抱きしめられたときなんか、特に。




