着任初日 おっさん教官のつまらない座学と三人の問題児 - あの頃は屋根なんてなかった -
「つまりこの設問はよ、一点張りで賭けるのは一回限りにしておけって話だぃ」
「どうでもいい……!」
「どうでもよかぁねぃよ。戦いに奇跡なんてもんはねぇ、勝ち目がねぇと思ったら逃げろって話だぃ」
式の残りを黒板に足して、バカげた勝率の戦いに挑む愚かさを数値化した。
「計算できても同じ……っ、ボクはその324分の1に賭ける……っ!」
若い頃のタンケルグも聞き分けのない子だった。ファルス・デモンストーカーがそれだけ心に深い傷を負っているのは、今の強情な姿を見るだけでもわかる。
「それはただの無謀ではなくて、ファルスさん?」
ただそんな姿がしゃくに障るという人間もいるのだろう。相手に合わせて態度を変える女はまたもや後ろの席のファルスを挑発した。
「うるさい、黙れ、ボクに話しかけるな……」
「子供っぽいのですね、ファルスさんは」
「男に媚びる女に言われたくない……っ!」
「あら、強い人間に媚びることの何が悪いの? この方はレコンキスタを果たされた英雄の中の英雄ですよ?」
余裕を見せるエリスにファルスは激しい怒りを向けた。口論、結構。青少年らしくてよろしい。……と言いたいところだがこじれる前に止めておくか。
「こらこら、ケンカすんねぃ。ほれ、これはお前にやるよ。自分で振って、324分の1の格率の壁を知るといい」
ファルスは猫が引ったくるように席にやってきた担任からダイスを奪い取った。一方でエリスは後ろを振り返り、またもや胸の谷間を強調させて担任に愛想を振りまいた。
「俺はいいからクラスメイトと仲良くしろぃ……」
「あら、教官は若い女性の胸はお嫌いで? ミネルヴァ教官よりあると思うのですけれど……?」
「ああ、でけぇな、いい眺めだぃ!」
あまり相手にせずに黒板の前へと逃げて、チョークで黒板を叩いた。
「じゃ、次は富くじの当選確率の話だぃ。箱の中に100個のくじが入っているとして、大当たりが1個あるとする。この場合、最も賢くくじを引けるのはどのタイミングだぃ?」
「ええと……んん……」
次こそは自分が先に正解を当てる。3人の生徒たちはノートに視線を落として自分なりの計算を始めた。
それでいい。自分の頭で考えて答えを出すこと、その事実が大切だ。答えが間違っていても別にいい。それがそいつの答えなのだから、真実は数学者に追わせておけばいい。
「最初にクジを引くのが正解……」
「へぇ、面白ぇ! 根拠は?」
「全部ボクが引けばボクの勝ち……」
「ハハハハッ、そりゃいいねぃ!!」
実に現役のモンスタースレイヤーらしい回答だ。何があろうとも力でねじ伏せるのが傷だらけのファルスのやり方だった。
「私は最後の10個になってから全て引くべきかと思います。本当に当たりが入っているか知れたものではありませんから」
「ほぅ、そりゃまた慎重だねぃ?」
「はいっ♪ 言い逃れできない状況まで追い込めば、後は私の好きに料理できますので♪」
「お、おぅ……」
この娘、怖いな……。
趣味:料理ってそういうことか……?
しかし答えを聞く限り、これはファルスの回答の亜種だ。算数ですらない『己の力で己の望む状況を作り出します』という力強い回答だった。
「あ、あたしは……ちょうど、50回目で……引くべきかな……と思います……」
「へぇ、根拠は?」
「それが無難……かなって……」
「初手から引くのは無謀。かといって待ちすぎても機を逃す。バランスの取れた回答だねぃ」
模範解答だが生徒たちの間では賛否両論だった。答えなんてどこにもないのに、それぞれが自分なりの主義主張をしていた。
禅問答に生徒を押し付けたおっさんは腰の剣に手をかけて窓の外を眺めた。3年前は屋根なんてなかった。シーリングファンからやさしい風が吹いてくるというのに、何か物足りない……。
「早いがそろそろ実技に入っちまうかぃ……?」
あの頃の青空教室が恋しい……。
「あら、それはありがたいですけれど、教官がミネルヴァ教官に怒られてしまいませんか?」
「あ、あたしは……実技より……こっちの方が、面白くて……その…………」
「それより、この問題の答えは……っ!?」
それぞれの主張に耳を傾けて、おっさんは顎を撫でた。剃り残しが気になる。最近、ヒゲがまた濃くなったかもしれない。
「エリス、この学校の校長先生は誰だ?」
「はい、それはセイウス教官です♪」
「そう、ミネルヴァには怒られちまうかもしれねぃが、なんか教室は息が詰まってよくねぃ……。実技に入っちまおうかっ!」
エリスは不良校長の言葉をおかしそうに笑った。他の二人にはあきれられた。
「ミストル、お前さんが嫌なら教室で自習しててくれてもいいぜぃ。できれば担任の顔を立ててもらいてぇけどな、お前さんの好きにしたらいい」
来いと命令して欲しかったのだろうか、ミストルはかえって不安そうな顔をした。
「あ、あたし……参加します……」
「ありがてぃ。ま、楽しくやろうやぃ!」
残るファルスは後回しにされてイラついたのか、担任の目の前まで既に距離を詰めていた。体格差は30センチほど。えらく小柄で、ボロボロで、守ってやりたくなるような娘だった。
「答え!」
「答えなんて最初からないねぃ。当たりが出るまで引く、いい回答だった! ならば俺はお前さんに、力でねじ伏せるための技を教えよう! より鍛え上げて生存確率を上げてやろう!」
「望むところ……!! 最強のデモンスレイヤーッ、オマエがいなかったらっ、もう脱走してる……っ!!」
「はは、焦るな焦るな、せめて1年間はここに居ろぃ。俺がこれまで出会った全てのデモンの特徴、倒し方を全部教えてやる。どのダイスの面を振ってもお前さんが勝てるように鍛え上げてやるよぃ!」
この程度の言葉で信頼を勝ち取れるはずもない。しかしそれなりに満足はしたようで、ファルスは一歩下がって小さくうなづいた。それから人の腰に吊された魔剣に目を向けた。
「その剣、タンケルグにあげるの……?」
「そりゃアイツが勝手なこと言ってるだけだぃ。こんなヤバい剣、他のやつに譲れんよ」
「じゃあ、ボクがタンケルグより強くなったら、ボクにちょうだい……」
「やれねぇっつってんだろぃ……っ」
まあいい、悪くもない生徒とのファーストコンタクトとなった。
その後、あてがわれた教練場ではなく校舎裏に生徒たちを誘って、そこで青空教室ならぬ木漏れ日教室を始めた。
エリスはともかく、他の二人は精神的に少しどうかしている。彼らに必要なのはありがたい説法ではなく人からの肯定であり、屋内教練場での効率的な訓練ではなく、野外で健全な汗を流すことだった。
これといって特殊なことは教えていない。かつて得意としていた守りの剣と、10年間の間ダレス師匠に教わった技を彼らに少しずつ継承させていった。
昼食をはさんだ後も校舎裏での教練を行った。食後の簡単な座学の後に再び校舎裏に出て、西の空が赤くなるまで彼女らの望む指導を与えた。
「地味だけど、悪くない……。他の教官よりマシ……」
「地味で悪かったねぃ、お疲れさん!」
ファルスには次第点をもらえた。
「わかりやすかったです……他の教官よりも、ずっと……」
「そうか! 無理はしなくていいからよ、よかったらまた付き合ってくれぃ」
「う、うん……っ。お疲れ様、教官……」
ミストルの方はまあまあだ。少人数での教練なのが幸いしてか、少なくともつらそうな顔をするようなことはなかった。いい方向に導けていると信じたい。
「お疲れ様です、教官♪」
「い、いやタオルなんていいよっ、大事なタオルがおっさん臭くなっちまうよぅ!」
「そうですか、では私が拭いて差し上げますので上を脱いで下さい♪」
「脱ぐかバカ乙女っっ?! お、おいぃぃーっ!?」
エリスはおじさんの汗を白いタオルで拭った。首や横顔はともかく、背中の下にタオルを押し込むのだけはよしていただきたい。あまつさえ女子生徒が学校長の胴に腕を回すなどもっての他だ。
「こんなところをミネルヴァ教官に見られたら、修羅場になってしまいますね……♪」
「わかってるなら止めてくれぃ!!」
「ふふふっ、いじりがいのある人……♪ では、今回のところは軽いジャブ程度ということで……」
「これが、ジャブゥゥ!?」
彼女は大きな胸を押し付けての密着を終えると、魂胆の見えない微笑の後に舌を出した。
「お疲れ様でした、教官。また明日、遊びましょうね♪」
「なんという問題児……っっ、もう勘弁してくれぃ!!」
「いやでーすっ♪ ふふふっ、最高のオモチャ、見つけちゃった……♪」
その時、女用務員は見た。木陰にいた女用務員は『何も見なかった』と首を横に振って、いそいそと校舎裏から逃げていった。彼女には後ほど、分厚いブロックチョコレートを差し入れることにしよう……。
初日から問題だらけの学校長生活がたった今終わった。




