女子生徒ミストルの事情 - おっさん、相談される -
ミネルヴァにはこてんぱんに叱られてしまったが、あの晩の個人指導はエリスに大きな変化をもたらした。
エリスは以前にも増して情熱的に教練に励むようになり、わき目も振らずに弓と剣を使いこなして泥臭い汗を流すようになった。優雅さは失われたがむしろ担当教官からすれば燦然と輝いているようにすら見えた。目標に向かって一心不乱に励むその姿にミストルまで感化され、互いに共鳴し、校舎裏の教練はさらに熱を帯びたものになった。
もっと強ければファルスと一緒に戦えた。ファルスもあそこまで傷つかなかった。皮肉にもその想いがエリスとミストルを静かな友情で結び付けて、日に日に彼女たちは腕を上げていった。
そんな折、ミストルが放課後の校長室を訪ねてきた。それは安息日を目前に控えた、来客の応対を終えたそのすぐ後のことだった。ノックは聞こえたがそれっきりなんの音沙汰もなしで不思議に思い、校長室の方からドアを引いてみると、そこに緊張に縮こまったミストルがいた。
「すまん、ちょいと立て込んでて気付かなかった。さあ入れ入れっ、よくきてくれたねぃ!」
ノックの後に声はかけたのだろう。彼女なりの小さな声で。
「お忙しいのに……ごめんなさい……」
「忙しくなんかねぃよ。客が茶菓子も食わずに帰っちまってな、さあ座って食った食った!」
「で、でも……」
ミストルは体格は立派だが遠慮深い女性だ。それが学生服をまとうと、高身長とグラマラスな体型と若い顔立ちが絶妙な魅力をもたらす。まあ本人は己の魅力にてんで気づいていないようだったが。
「チョコレート、お好きなんですね……?」
「おう、俺は元々はもっと涼しい地方の人間でねぃ、あっちじゃ高くてこんなに気軽には食べられなかった」
何度も勧めてから先に手を付けてみせると、やっとミストルは控えめな口で自分の分のチョコレートを前歯でかじってくれた。
「チョコレートは嫌いかぃ?」
「いえ……好きです……」
「なら遠慮しないでどんどん食え。残しても棚に戻る前に職員の腹ん中に消えちまうんだからよ」
「あたしなんかが食べてしまって……申し訳ないです……」
だいぶマシにはなったがこういう娘だ。この子はエリスやミネルヴァとは正反対だ。ミストルには自己を殺したがる悪い癖がある。ミストルは将来有望な斧使いではあるが、精神面に不健全な歪みを抱えていた。
「しかし明日は残念だ。フルーツパーラーに行く約束だったのにねぃ」
「ごめんなさい……。ファルスが治ったら……ご迷惑でなかったら連れて行って下さい……」
「心配しなくともこのままご破算にはさせんよ。……茶、出涸らしでもいいかぃ?」
「はい……あたしなんて、出涸らしで十分です……」
まったくこの娘はこれだから困る……。
「……やっぱ給湯室まで行ってくるかねぃ」
引き留めようとするミストルに陽気な笑いを返して、給湯室で茶を作った。といっても水魔法で空気中の水蒸気を液体に変えて、茶葉を入れ替えたティーポットにそれを入れて、炎の魔法で沸騰させて、蒸らしたら氷魔法で冷やしながら校長室に帰っただけのことだ。
「ごめんなさい……あたしみたいな落ちこぼれのために……大切な教官の時間を……使わせてしまうだなんて……」
「俺が俺の時間を好きに使って悪いかぃ?」
「いえ、あたしが悪いんです……」
「そんなこたぁねぃと思うけどねぃ」
本題がなかなか出てこないところがやはりエリスたちと正反対だ。生徒とのアイスティーでのお茶会を楽しみながらゆっくりさせてもらった。ミストルがやっと本音を口にしたのはそれからだいぶ経ってからのことだった。
「あたし、変わりたいのに変われないんです……。こんな性格のせいで、何をやってもダメで……この前なんて、ファルスの背中も守れませんでした……」
「だからそのために強くなろうとしてるんじゃぁないのかぃ?」
「でもあたし……強くなっても……。きっと、ダメな人間のままだと思います……」
「なるほど考えているねぃ。戦士として強くなるだけではダメだと、そう気づいたと」
教練を通じて自信を付けてもらえば少しずつ変わってゆくとこちらは楽観視していた。しかしこうして本音を聞いてみると、想像以上にこの子は後ろ向きだ。自分のすることを何でも否定してしまう不健全な精神状態にある。
「明日、暇かぃ? よけりゃ手伝ってもらいたいことがあるんだけど迷惑かねぃ?」
「あ、はい……っ、お手伝いします……っ! たくさん、足を引っ張ってしまいましたし……これまでの穴埋めをしたいです……」
この子に足りないのは[自信]と[心の力]だ。エリスに宿るようなあの情熱の炎を彼女が手にした時、きっとこの子は大きく化けるだろう。
「よしっ、なら明日は散々こき使ってやるから昼前にここで待ち合わせだ! 逃げたりしたら承知しねぃぜぃ!」
心の力。それはタフな訓練でばかり培うものではない。人は様々なことで自信を付けてゆくものだ。
ミストルが自分の殻を破る手伝いをしてやりたい。そのためには明日を楽しい休日にする必要があった。
「きょ、教官が望むなら……エリス、みたいなこと……あたしも……します……。だからお願い、見捨てないで……」
そいつばっかりは勘弁してくれぃ!
「そりゃ嬉しいねぃ。強くなろうって想いがその胸にありゃ、いつかエリスやミネルヴァみたいな強い女になることだってできるさ!」
しかしデリケートな年頃の女の子を傷つけるわけにもいかない。拒まずにただ励ました。すると黒髪でグラマラスで大柄な彼女が顔を真っ赤にするのだから、純情でかわらしいものだった。
そこにミネルヴァ教官が訪ねてくると、気づかい屋が過ぎるミストルはお辞儀をしてから足早に校長室を出ていった。
「残念でしたね、校長先生。生徒たちとのデートは中止だそうですね」
「ははは、その話かぃ。いやそう思うだろぅ? ところが明日はミストルに付き合うことにした」
ミネルヴァからの返答はなかった。ついさっきまでは愛想がよかったのにえらく不機嫌な顔色になった。
「あー……もしかして、明日誘ってくれるつもりだったかぃ……?」
「別にっ、予定を前倒しにして明日教官と遊びたいだなんて思っていませんよっ!」
「そりゃ間が悪ぃ……。そうだ、ミネルヴァも――」
「行くわけがないでしょっ、セイウス教官のバカーッッ!!」
ミネルヴァは鼻息を乱して書類を校長の書斎机に叩き付けて、荒々しい鬼神のように去っていった。
そんな修羅場っぽい場面を用務員のおばちゃんに見られたような気がしたが、おかしな噂話になる前にお茶菓子で買収した。事情を説明すると、用務員のおばちゃんはオススメのデートスポットまで教えてくれた。
いや、違うんだけどな……。




