9
「う、頭が……痛い……」
出航から約三時間。
「イカロス翼号」は、星間連邦の巡視船の手が届かない、広大なデブリ宙域の境界(通信デッドゾーン)へと滑り込んでいた。
船内に漂っているのは、劣悪な空調設備とオイル臭をごまかすために噴射されている、過剰で安っぽい「人工フローラルアロマ」の悪臭だった。合成香料の強い化学臭が鼻腔を突き、アキラの頭痛をさらに激化させる。
それだけではない。足元からは、周期的に「ぐぐぐ、みし……」という気味の悪い低周波の振動が伝わってきていた。
(スラスターの推力偏向ノズルだ……。左右でわずかに同期がズレている。コンマ三度、ポート側(左舷)の噴射角が外に逃げているぞ……。だから進行方向を修正するために、船体全体に無駄なねじり応力がかかり続けているんだ……!)
アキラは頭を抱えた。
設計偽装で安全率を一・〇五まで削られた船体で、推力すら不均衡なままデブリ宙域を進む。これはもはや航行ではなく、壊れかけの時限爆弾を宙に放り投げているに等しい。
「アキラさん、お腹が空きませんか? これ、配布されたお昼ご飯ですよ」
声のする方を見ると、通路の大部分をキノコ台車で占領しているエリが、無邪気に小さな合成樹脂のブロックを差し出してきた。
『標準規格栄養食・味覚均一化タイプ』。
アキラは溜息をつき、その無機質な灰色のブロックを受け取ると、諦めたように一口かじった。
――ガリッ。
次の瞬間、アキラの動きが完全に停止した。
白目を剥き、その場に固まる。
(……ない。ノイズが、一切ない……!)
激辛発酵トウフのような、脳をバグらせる刺激的な「痛覚エラー」はそこには存在しなかった。
タンパク質四十五パーセント、脂質二十パーセント、糖質三十パーセント、残りは必須ビタミンとミネラル。完璧に分子構成が均一化されたその物体は、アキラの脳にとって「完全に予測可能な味覚データ」でしかなかった。
もし面白かったと思っていただけましたら、下部の【☆☆☆☆☆】から評価や、ブックマーク登録で応援していただけると、執筆の大きな励みになります!




