7
【Day 4 / 08:45 ―― 第八宇宙港・第四ターミナル(搭乗連絡橋前)】
「ゲホッ、ごほっ……うう、最悪だ……」
アキラは涙で潤んだ目をこすりながら、ゴミ箱のふちからようやく顔を上げた。
口の中に広がるカプサイシンの強烈な痛覚と、脳内でリピートされる「チチチ……」という不吉な破断音。二つの地獄が脳内でスクラムを組み、アキラの精神をすり潰しにかかっていた。
目の前に鎮座するツアー船「イカロス翼号」は、ただの鉄の棺桶にしか見えない。
乗る前から死が確定している船。
引き返そうにも、タカシに握らされた借用書(年利百二十パーセント)の電子署名はすでに星間ネットワークの彼方で承認されている。乗らねば、ダウンタウンの冷たい路地裏で飢え死にするか、IHIの監査部に物理的に消されるかだ。
「進め、進め」と、後ろの乗客たちがアキラを急き立てるように押し寄せてくる。
押し流されるように搭乗列へと戻った、その時だった。
「――お腹の減る旅ですね、お互いに」
アキラの背後から、不意に、場違いなほどおっとりとした声が降ってきた。
それはまるで、安物の合成アロマではなく、本物の澄んだ温室に咲く花の香り――いや、もっと湿り気を帯びた、むせ返るような「高湿度な土」と「青臭い胞子」の匂いを伴って、アキラの鼻腔をくすぐった。
「あ?」
アキラが首を捻り、背後を振り返る。
そこに立っていたのは、一瞬、自分の脳内シミュレーターがバグを起こして幻覚でも見せているのかと疑うような、可憐な少女だった。
年は十七か、十八。
透き通るような白い肌に、大きな丸い瞳。腰まで届くプラチナブロンドの髪を細いリボンで緩く結んでいる。着ているのは、フリルと刺繍があしらわれたお嬢様風の仕立ての良いワンピースだ。このオイルまみれで、違法サイバーパーツを隠した荒くれ者が行き交う第四ターミナルにおいて、彼女の存在は完全に浮いていた。
だが。
アキラの「エンジニアとしての眼」は、彼女の容姿以上に、その『足元』へと注がれた。
少女の背後には、重厚な金属製のキャスターが取り付けられた巨大な貨物台車が三台、連結器で数珠繋ぎにされて並んでいた。
その台車の上には、びっしりと並んだアクリル製の特殊培養ケース。中には、不気味なほど鮮やかな斑点模様を持ったキノコたちが、青白い霧を放ちながら群生している。
(キノコ……栽培プラント? いや、待て、計算がおかしい)
アキラの脳内CADが、瞬時にその荷物のトータル質量を算出した。
台車自体の構造、ケースを充填する培養土の体積、アクリル板の厚み、水分含有量――。
(バカな。総重量、最低でも三百キログラムはあるぞ。フォークリフトか、自動搬送ドロイド(AGV)はどうした?)
それらは存在しなかった。
その三百キロを超える鉄と土の塊を載せた台車の先頭部を、少女はただ、自身の「か細い両手」でしっかりと握りしめていた。
そして、信じられないことに。
――ト、ト、ト。
少女は、足音すら立てずに、その大質量を軽々と「手押し」で前進させていた。
「おい、ちょっと待て……」
アキラは呆然として声を漏らした。
もし面白かったと思っていただけましたら、下部の【☆☆☆☆☆】から評価や、ブックマーク登録で応援していただけると、執筆の大きな励みになります!




