田舎の寒いノリ。
突然、故郷のノリでネタをぶっ込んで来た兄。
そのノリは、私の兄だと皆が知ってる故郷だからできるネタで、ここではただ滑るだけ。
医務室に響き渡った兄の明るい声は、当たり前のように静寂を生んだ。私は、はぁ、とため息をついてゼインを見る。
「それ、言うのやめてっていつも言ってるじゃないか。恥ずかしい。」
「えー、だって本当のことだからなー。」
「昔の話をいつまでネタにするつもり?」
ハハッと爽やかに笑うと、ゼインは大股で近づいてくる。すると私の機嫌などお構いなしに、ぎゅーっと抱きしめる。少し懐かしい気分。
力強い腕に包まれ、革と馬、そしてほのかに故郷の森の香りがした。
故郷にいた時のように頬を押し付け、ちゅっちゅっと音を立ててキスしてくる。無駄にキスが上手い、これも経験の差なのだろう。更にくすぐったい。
楽しくもないのに、くすぐったさで笑ってしまう。
「ゼイン、ははっ、くすぐったい。やめてってば。」
「これでも我慢してるくらいだ、俺のリーシュー♪その病衣すらも似合うな。今回の活躍も聞いたぞー!」
ちゅっちゅされるくすぐったさと、少し伸びた髭が当たって痛い。妙な感覚に笑いながら身をよじる。
そんな兄の過剰なスキンシップは、恋人がいない時限定のもの。心の中で「あー、あのお姉さんとは別れたのか。」と考える。ゼインは私の抗議を無視して、笑いながらもう一度頬にキスをした。
「久々の再会なんだから、会えなかった分いいだろ?お前も、俺に会えなくて寂しかっただろ?」
「会えたのは嬉しいけど、人前でこういうのはやめて。」
「じゃあ、リーシュの部屋に案内してくれ。寮の部屋があるんだろ?」
「いいけど、…狭いよ?」
「身を寄せ合って寝ようぜ」
「泊まるつもり?」
ちょうど、魔物の素材と核を売りに行こうと思っていた。私が交渉するより、ゼインみたいなゴリゴリの人物の方が交渉が楽に進むから手伝って貰おうと考えた。せめて交渉のアドバイスだけでも…と。
しかし、その瞬間、なぜか医務室の空気が凍りつく気配を察する。
その元を辿ると、クラウの気配がまるで嵐の前の静けさのように重い。彼の顔から笑顔が消えていた。瞳が鋭くゼインを捉え、唇が硬く結ばれている。トレイはテーブルに下ろされ、皿がカタリと鳴った。
「リーシュから、離れてくれますか?」
クラウの声は低く、いつものにこやかな響きが完全に消えている。彼は前に出て、私とゼインの間に割り込むように立つ。
「リーシュはボクの婚約者なので。気安く触らないで。もう貴方のリーシュじゃない。」
その言葉に、私は目を丸くする。
婚約者?その話はクラウが断ったんじゃ??
ゼインは急に間に入ってきた可愛い見た目の彼に呆気にとられているようだ。一瞬驚いたように眉を上げ、だがすぐに口の端を吊り上げ、面白そうに笑う。
「お前…男か?王都では女装が流行ってるのか?」
「男だけど、これは流行ってるとかじゃなくて、好きで着てるだけ。」
「へえ、それで婚約者って? リーシュの?ははっ」
兄は、完全に故郷の価値観で「面白いなー」とへらへら笑う。彼の目はいたずらっぽく光り、絶対にこの状況を楽しんでいた。
そんなゼインの態度にクラウの視線がさらに鋭くなる。
クラウの瞳には、明らかな苛立ちが宿っていた。もしかすると、私が絡まれてると思っているとか?それで助けてくれようと「婚約者」なんて言ったのかもしれない。
「ゼイン、からかわないでよ。怒るよ?」
「えー?その自称婚約者さんが束縛激しそうだから、これでも心配してんのに。」
「いらないよ、そんな心配。彼女ができたらすぐそっちばっかり行って、普段は構わない癖に。」
「彼女いない間はお前をたっぷり愛してるじゃないか。」
「人肌恋しいだけでしょ。」
ゼインはからかうように笑い、クラウを押し退けてわざらしく私の肩に手を滑らせる。そして、軽く髪を撫でるその動きに、クラウの顔がさらに強張る。
「ベタベタ触らないで!」
クラウの声には、普段の軽快さがない。彼の手が私の腕をそっと掴み、ゼインから引き離すようにする。私は彼の手の温もりに引き寄せられるように、半歩近づいた。
すると、ゼインが笑い、腕を組んでクラウを見下した。
「嫉妬深い自称婚約者さんよ。リーシュの気持ちに答えられない俺の立場に同情して、もっとふれあいの時間をくれてもいいと思うんだけどな。広い心でさ。」
「またそんな言い方する。…いい加減に」
私がそう言った瞬間。
クラウが私の手をぎゅっと握り、引っ張り走り出す。私は彼のなすがまま、共に医務室を飛び出した。消毒液の匂いと朝食の香りが混じる空間から、一気に廊下のひんやりした空気に引き出される。
いつもならこちらを気遣いながら走ってくれるのに、今はそれが感じられない。ゼインの態度で怒らせてしまっただろうか。
「っクラウ!怒ってる?ゼインが変な絡みかたしてごめん。」
私は慌てて声を上げるけど、彼は振り返らず、真っ直ぐ前を見据えて走り続ける。背中から、さっきの医務室での張り詰めた空気がまだ抜けていないのが伝わる。
医務室の扉が閉まる音が背後で響き、更に目的地も分からずに進み、暫く走り続けるとクラウがようやく立ち止まる。人気のない廊下の窓辺で、彼は私を振り返った。
その眼差しは、いつものにこやかなクラウとは別人のように真摯で、どこか切迫している。
「リーシュ、…好きな人って、あいつなの?」
彼の声は低く、わずかに震えていた。
◇ ◇ ◇




