第1章 「黙殺」 第9話 港湾倉庫の追跡劇
港に着いた瞬間、潮の匂いとトラックのエンジン音が混ざり合い、空気がざわついた。秋月、刀根、魚沼の三人は倉庫群の間をすり抜けるように歩きながら、まるで遠足の子どもみたいに落ち着きがない。
「黒瀬、絶対ここにいるな」刀根が鼻を鳴らす。
「なんでそんな自信あるんですか?」秋月が笑う。
「こういう“逃げ場が多い場所”を選ぶのは、逃げ慣れてる奴の特徴だ!」
「それ、ただの偏見ですよね」
「偏見じゃねぇ、“経験”だ!」
刀根の声が港に響き、近くのカモメが飛び立った。魚沼がタブレットを見ながら静かに言う。
「黒瀬の車、倉庫C-12の裏に停まってます」
「よし、行くぞ!」刀根が勢いよく走り出す。
「刀根さん、待ってください! 突っ込むの早い!」秋月が慌てて追いかける。
「魚沼さん、刀根さん止めて!」
「無理です。あの人、走り出したら止まりません」
「ですよねぇ!!」
三人は倉庫C-12の裏へ回り込んだ。そこには確かに黒瀬の車が停まっていたが、肝心の本人の姿はない。
「……いない?」秋月が眉をひそめる。
「いや、いる。気配がある」刀根が言う。
「また気配ですか……」
「刑事の勘だ!」
「勘じゃないですか!」
「うるせぇ!」
そのとき、倉庫の中から“ガタンッ”と大きな音が響いた。
「来た!」刀根が叫ぶ。
「刀根さん、突っ込まないで──」
言い終わる前に、刀根は倉庫の扉を開けていた。
倉庫の中は薄暗く、木箱が迷路のように積まれている。その間を黒い影が素早く走り抜けた。
「黒瀬!!」刀根が叫ぶ。
「待てぇぇぇ!!」
「待つわけないですよ!」秋月がツッコミながら追いかける。
黒瀬は驚くほど足が速い。木箱を飛び越え、狭い隙間をすり抜け、まるで倉庫の構造を熟知しているかのようだった。
「魚沼さん、位置予測できますか!?」秋月が叫ぶ。
「できます。黒瀬は“出口B”に向かってます」
「よし、俺が回り込む!」刀根が方向転換する。
「刀根さん、そっちは“出口C”です!」
「えっ!? どこだよB!!」
「反対です!」
「なんで先に言わねぇんだよ!!」
「今言いました!」
倉庫内に三人の声が響き渡る。
秋月が木箱の角を曲がった瞬間、黒瀬と真正面でぶつかりそうになった。
「うわっ!」
黒瀬はフードを深くかぶり、顔は見えない。しかし、その動きは鋭く、迷いがない。
「黒瀬さん、話を──」
言い終わる前に、黒瀬は秋月の肩を押しのけて走り去った。
「ちょっ……速っ!!」
「秋月、どこだ!?」刀根の声が響く。
「今すれ違いました! 出口Bに向かってます!」
「任せろ! 俺が止める!」
「刀根さん、さっき出口Cに行きましたよね!?」
「今度は合ってる!!」
「本当ですか!?」
「多分!!」
「多分かよ!!」
出口Bの前で刀根が構えていた。
「来い……来い……来い……!」
黒瀬が全力で走ってくる。
「よし、来た!!」
刀根が飛びついた──が、黒瀬は軽やかに横へステップし、刀根は勢いのまま地面に転がった。
「ぐわぁぁぁ!!」
「刀根さん!!」秋月が駆け寄る。
「大丈夫ですか!?」
「大丈夫じゃねぇ!! あいつ、動きがプロだ!!」
「プロって……何のプロですか」
「逃げのプロだ!!」
「そんな職業ないですよ!」
「あるんだよ!!」
黒瀬は出口から外へ飛び出した。
「魚沼さん、追跡お願いします!」
「はい。黒瀬は“港の方”へ向かってます」
「よし、行くぞ!!」
「刀根さん、走れますか!?」
「走るしかねぇだろ!!」
三人は再び走り出した。
港の端に黒瀬の姿があった。海風にフードが揺れ、黒瀬はゆっくりと振り返る。
その瞬間、秋月は気づいた。
「……黒瀬さん、あなた──」
黒瀬は何も言わず、海の方へ一歩下がった。
「待ってください! 飛び込む気ですか!?」秋月が叫ぶ。
黒瀬は静かに首を振った。
「飛び込まない。でも──捕まらない」
そう言うと、黒瀬は港の奥へ走り出した。
「待てぇぇぇ!!」刀根が叫ぶ。
「刀根さん、もう少し冷静に!!」
「冷静に追えるか!!」
黒瀬は倉庫群の奥へ消えていった。
秋月は息を整えながら言った。
「……黒瀬さん、逃げ慣れてますね」
「だから言っただろ、“逃げのプロ”だって!」刀根が胸を張る。
「胸張るところじゃないですよ!」
魚沼が静かに言う。
「黒瀬は“誰かと合流する”つもりです。追跡を続けましょう」
「よし、行くぞ!!」
「刀根さん、今度は出口の方向間違えないでくださいね」
「間違えねぇよ!!」
「さっき間違えましたよね」
「うるせぇ!!」
三人は再び走り出した。
黒瀬、そして宮田の弟。
港の風は、事件がさらに加速する予感を運んでいた。




