第1章 「黙殺」 第10話 港の影、もうひとつ
黒瀬を追って港湾エリアを駆け抜ける三人は、もはや刑事というよりスポーツ選手のようだった。潮風が強く吹きつけ、倉庫の影が長く伸びる。
「黒瀬、どこ行った!?」刀根が叫ぶ。
「魚沼さん、位置は!?」
「……消えました」
「消えた!? 人間が!?」
「刀根さん、落ち着いてください。消えたというより“カメラの死角に入った”だけです」
「それを先に言え!!」
秋月は息を整えながら、倉庫の並びを見渡した。
そのとき、遠くのコンテナの影がわずかに揺れた。
「……あそこだ!」
三人は同時に走り出した。
コンテナの裏に回り込むと、黒瀬がいた。
フードを深くかぶり、肩で息をしている。
しかし、その横に──もうひとつ影があった。
秋月は思わず足を止めた。
「……誰だ?」
黒瀬の隣に立つ男は、黒いパーカーにジーンズ。
フードを深くかぶり、顔は見えない。
だが、黒瀬よりも背が高く、雰囲気がまるで違う。
黒瀬が低い声で言った。
「来るな。こいつは……俺より危ない」
「危ないって……誰なんだよ!」刀根が叫ぶ。
男はゆっくりと顔を上げた。
フードの影から覗く目は鋭く、しかしどこか悲しげだった。
「……宮田洋司の弟だ」
秋月と刀根が同時に固まった。
「弟……!?」
男は静かに言った。
「兄さんは……俺を裏切った。
裏金を全部、自分のものにしようとした。
黒瀬はそれを知ってた。
だから──俺は黒瀬と組んだ」
「組んだって……じゃあ宮田さんを追い詰めたのは……」秋月が言いかける。
弟は首を振った。
「違う。俺は兄さんを殺してない。
あの日、工場に行ったのは黒瀬だ。
俺は……ただ、兄さんに“話をしに行け”と言っただけだ」
「話をしに行けって……それ、脅しじゃないですか」秋月が言う。
「脅してない。
ただ……兄さんが逃げ続けるから……
俺は、兄さんに向き合ってほしかっただけだ」
その声は、怒りよりも悲しみに近かった。
黒瀬が口を開く。
「宮田は……自分で落ちた。
俺は押してない。
ただ、追い詰めただけだ」
「追い詰めたら同じだろ!!」刀根が叫ぶ。
「違う。
俺は“落とすつもり”はなかった。
宮田が勝手に……」
「勝手じゃない!」秋月が一歩踏み出した。
「あなたたちが追い詰めたんです。
動画で、噂で、金で、脅しで。
宮田さんは逃げ場がなかった!」
黒瀬は黙った。
弟はゆっくりと秋月を見た。
「……俺は兄さんを殺してない。
でも、黒瀬は……」
「おい」黒瀬が弟を睨む。
「言うな」
「言うよ。
黒瀬、お前は“逃げる”んじゃない。
お前は“全部隠す”んだ」
黒瀬の目が鋭く光った。
「黙れ」
「黙らない。
お前は──」
その瞬間、黒瀬が弟の腕を掴んだ。
弟は驚き、バランスを崩す。
「やめろ!!」秋月が叫ぶ。
刀根が走り出す。
「黒瀬ぇぇぇ!!」
しかし黒瀬は弟を突き飛ばし、逆方向へ走り出した。
「逃げた!!」
「またかよ!!」
「魚沼さん、追跡!!」
「……黒瀬、倉庫群の奥へ向かってます」
「よし、行くぞ!!」
秋月は弟の肩を支えながら言った。
「大丈夫ですか?」
「……俺は……兄さんを……」
弟の声は震えていた。
「弟さん、あなたの話はあとで聞きます。
今は──黒瀬を追います」
秋月は刀根と魚沼の後を追って走り出した。
黒瀬は逃げる。
弟は泣く。
港の風は、事件の核心へと三人を押し出すように吹いていた。




