表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
目黒の秋刀魚  作者: 双鶴


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

8/40

第1章 「黙殺」 第8話 三枝玲奈

 三枝玲奈の住所は、世田谷の古いマンションだった。外壁は少し黒ずみ、階段の手すりはところどころ塗装が剥げている。だが、昼下がりの光が差し込むと、どこか温かい雰囲気すら漂っていた。


「……意外と普通の場所ですね」秋月がつぶやく。


「“影”ってのは普通の場所に潜むんだよ」刀根が妙にカッコつけて言う。


「刀根さん、急に名言っぽいこと言わないでください。似合わないので」


「似合わないって言うな!」


 そんな賑やかなやり取りをしながら、三人は三階へ向かった。

 魚沼が静かに言う。


「部屋番号、ここです」


 ドアの前に立つと、秋月がインターホンを押した。


 ……反応なし。


 もう一度押す。


 ……沈黙。


「また留守パターンですかね?」秋月が首をかしげる。


「いや、いる。気配がある」刀根が言う。「ほら、床がきしんだ」


「刀根さん、なんでそんなに気配に敏感なんですか?」


「刑事だからだよ!」


「いや、ただの勘ですよね」


「うるせぇ!」


 秋月が優しく声をかける。


「三枝玲奈さん。警察です。お話を伺いたいだけです」


 しばらくの沈黙のあと──


「……帰って」


 低く、しかしはっきりした女性の声が返ってきた。


「帰れねぇよ」刀根が即答する。


「刀根さん、優しく!」


「優しくしてるだろ!」


「してません」


「……してないか」


 そのとき、ドアノブがゆっくりと回った。


 ドアが少しだけ開き、細い目がこちらを覗く。


「……何の用?」


 現れたのは、長い黒髪を後ろで束ねた女性。

 左足をわずかに引きずっている。

 その目は、こちらを値踏みするように冷静だった。


「三枝玲奈さんですね。お話を──」


「話すことなんてない」


 バタン、とドアが閉まりかけた瞬間、刀根が慌てて声を上げた。


「待て待て待て! 逃げる気か!?」


「逃げない。あなたたちが帰ればいいだけ」


「いや、帰れねぇんだよ!」


「刀根さん、落ち着いてください!」秋月が慌てて止める。


 魚沼が静かに一歩前に出た。


「三枝さん。

 あなた、黒瀬の“右腕”ですよね」


 ドアの隙間が止まった。


「……誰から聞いたの?」


「元秘書の白石さんです」


「白石……あの人、余計なことを」


 ドアが完全に閉まるかと思われたが、三枝はゆっくりと開けた。

 そして、こちらをじっと見つめる。


「……入って」


「え、いいんですか?」秋月が驚く。


「外で話すのは嫌い。中でなら話す」


「なんか……思ったより協力的?」刀根が小声で言う。


「刀根さん、聞こえてますよ」秋月が肘で小突く。


 三人は部屋に入った。

 中は驚くほど整っていた。

 家具は最小限、色も白と黒だけ。

 生活感がほとんどない。


「座って」


 三枝は淡々と言い、ソファを指差した。


「単刀直入に聞きます」秋月が切り出す。「宮田洋司さんの件、あなたは関わっていますか?」


「関わってない」


「じゃあ、なぜ工場の屋上にいたんですか?」刀根が食い気味に言う。


「見てただけ」


「見てただけって……何を?」


「黒瀬」


 秋月と刀根が同時に息を呑む。


「黒瀬さんを……見張っていた?」


「そう。あの人、最近おかしかったから」


「おかしい?」秋月が尋ねる。


「焦ってた。

 宮田が“何かを知った”って言ってた。

 だから、宮田を呼び出した」


「呼び出したのは黒瀬……」秋月がつぶやく。


「でも、落としたのは黒瀬じゃない」


「え?」刀根が目を丸くする。


「黒瀬は“押してない”。

 宮田は──自分で落ちた」


 部屋の空気が一瞬止まった。


「自分で……?」秋月が眉をひそめる。


「黒瀬に追い詰められて、パニックになって……

 足を滑らせた。

 私は見てた」


「じゃあ、他殺じゃない……?」刀根がつぶやく。


「でも“事故”でもない。

 黒瀬が追い詰めたから落ちた。

 だから──黒瀬は“殺した”のと同じ」


 秋月は深く息を吸った。


「三枝さん。

 あなたは黒瀬の味方ですか?

 それとも──敵ですか?」


 三枝は少しだけ笑った。

 その笑みは、どこか寂しげだった。


「味方でも敵でもない。

 私は“影”。

 光が動けば、影も動く。

 黒瀬が落ちるなら──私も落ちる」


「落ちるって……どういう意味ですか?」秋月が尋ねる。


「黒瀬は逃げる。

 でも、逃げ切れない。

 あの人は“誰か”に追われてるから」


「誰か?」刀根が身を乗り出す。


 三枝はゆっくりと秋月を見た。


「宮田の“弟”。

 あの人が──黒瀬を追ってる」


 三人は同時に固まった。


「弟……?」秋月がつぶやく。


「そう。

 宮田工業の裏金を巡って、兄弟はずっと揉めてた。

 黒瀬は弟と手を組んでたけど……

 裏切った」


「裏切った……?」刀根が息を呑む。


「だから弟は黒瀬を追ってる。

 宮田を落としたのは黒瀬じゃない。

 でも──弟は黒瀬を“殺す気”でいる」


 部屋の空気が一気に緊張した。


 秋月は静かに言った。


「三枝さん。

 黒瀬はどこにいますか?」


 三枝は少しだけ迷い、そして答えた。


「……港湾倉庫。

 逃げる準備をしてる」


 刀根が立ち上がる。


「よし、行くぞ!」


「刀根さん、落ち着いてください!」


「落ち着いてられるか! 事件が動いてんだよ!」


 魚沼が淡々と言う。


「港湾倉庫、地図出しました」


「早いな!」


「聞かれると思ったので」


「お前ほんと優秀だな……!」


 三人は部屋を飛び出した。


 黒瀬、宮田の弟、そして“影”の三枝玲奈。

 事件は、さらに加速し始めていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ