第1章 「黙殺」 第39話 途切れる線
田嶋剛志の秘書・三輪が署を去った翌日。
強行犯係のフロアは、異様な静けさに包まれていた。
捜査本部からの「田川関連の捜査停止」通達は、紙一枚で全てを凍らせた。
だが──秋刀魚トリオと宮本班は止まらなかった。
午前。
魚沼が資料室から駆け込んできた。
「秋月さん……田川の口座記録、消えてます」
「消えた?」
刀根が眉をひそめる。
「昨日まであった“特定の入金”が……丸ごと無くなってます。
バックアップにも残ってません」
片桐係長が資料を覗き込み、低く唸った。
「……警察内部の権限じゃ触れない領域だな。
“外”から消された」
秋月は拳を握った。
「田嶋か……」
昼過ぎ。
宮本班の杉下が駆け込んできた。
「班長! 田川の携帯、解析データが……」
「どうしたの?」
宮本班長が振り返る。
「“破損”したって……解析班が……」
杉下の声は震えていた。
「そんなはずないだろ。昨日まで正常だった」
刀根が声を荒げる。
「破損じゃないわ」
宮本班長が静かに言った。
「“消された”のよ。
解析班の誰かが、上からの指示で」
秋月は唇を噛んだ。
「証拠が……全部消されていく」
夕方。
秋月は田川の部下の供述調書を読み返していた。
そこには、田嶋剛志の名がはっきりと記されている。
だが──
「秋月さん……」
魚沼が静かに近づいた。
「供述調書……“差し戻し”になりました。
『証言の信憑性に疑義あり』って……」
「差し戻し?」
刀根が立ち上がる。
「証言を無効にする気か……!」
「そういうことよ」
宮本班長が言った。
「証言だけじゃ足りない。
証拠がなければ、政治家は絶対に落とせない」
秋月は調書を見つめた。
「……田川が死んだ時点で、こうなる未来は決まってたのかもしれない」
「でも、諦めるのはまだ早い」
片桐係長が言った。
「どこかに必ず“残りカス”がある。
それを拾えば──」
その瞬間、署内放送が鳴った。
『強行犯係・秋月巡査部長、至急、署長室へ』
フロアが静まり返る。
「……またか」
刀根が呟く。
「行ってきます」
秋月は短く言った。
署長室。
署長は机に書類を並べていた。
「秋月くん。
田川関連の捜査は、正式に“打ち切り”だ」
秋月は息を呑んだ。
「……理由を教えてください」
「“政治的配慮”だ。
これ以上は、警察としても動けない」
秋月は拳を握りしめた。
「田嶋剛志の名前が出たからですか」
署長は答えなかった。
ただ、書類を閉じた。
「秋月くん。
君たちはよくやった。
だが……ここが限界だ」
その言葉は、優しさではなく“壁”だった。
夜。
強行犯係のフロアに戻ると、刀根と魚沼が待っていた。
「……ダメでしたか」
魚沼が静かに聞く。
「打ち切りだ」
秋月は短く答えた。
刀根が机を叩いた。
「ふざけんなよ……!
ここまで来て……!」
「刀根」
片桐係長が制した。
その声は静かだが、深い怒りを含んでいた。
「悔しいのは全員同じだ。
でも……今は動けない」
宮本班長が秋月の隣に立った。
「秋月。
あなたたちの捜査は正しかった。
でも、正しさだけでは届かない場所がある」
「……分かっています」
「悔しさは、次に使いなさい。
今は……ここで止まるしかない」
秋月はゆっくりと目を閉じた。
田川の死。
証拠の消失。
圧力。
封じられた捜査。
全てが、ひとつの結論へ向かっていた。
「……分かりました。
いったん、引きます」
その声は震えていたが、折れてはいなかった。
こうして──
田嶋剛志に繋がる線は、完全に途切れた。
秋刀魚トリオの胸には、
ただ、やりきれない悔しさだけが残った。




