第1章 「黙殺」 第28話 黒塗りの向こう側
目黒署の午後は、緊張とざわめきが入り混じっていた。佐久間の車が見つかり、倉庫街で血痕が発見され──捜査本部は重い空気に包まれているはずなのに、強行犯係の部屋だけは相変わらず賑やかだった。
「係長、これ見てください。魚沼さんが作った“黒幕候補リスト”」
刀根がホワイトボードを指差す。
「刀根さん、それはまだ仮の段階です。勝手に見せないでください」
魚沼が静かに言う。
「す、すみません……でも“田中・田村・田代・田端・田所”って……多すぎません?」
「“田”のつく苗字は日本で非常に多いですから」
「係長、これ全部当たるまで帰れませんね」
「帰るわ!!」
そんな騒ぎの中、魚沼がふと声を落とした。
「秋月さん。黒瀬さんの暗号ファイル……復元が進みました」
部屋が一瞬で静まった。
会議室に移動すると、スクリーンには黒瀬の暗号ファイルが映し出されていた。黒塗りされていた部分が、うっすらと文字の形を取り戻している。
「魚沼さん……これ、読めるんですか?」
「はい。まだ完全ではありませんが、“最初の一文字”は確定しました」
魚沼がキーボードを叩くと、黒塗りの下から浮かび上がった。
『田』
「やっぱり“田”か……!」
刀根が身を乗り出す。
「ただ、次の文字の形が少し見えてきました。縦線が一本……その横に短い払い。つまり“田◯”の“◯”は、縦線を含む漢字の可能性が高いです」
「縦線……?」
秋月が呟く。
「田川、田崎、田原、田岡、田嶋……」
刀根が指を折り始める。
「刀根さん、全部言う必要はありません」
「はい……」
そこへ、宮本班の杉下が資料を抱えて入ってきた。
「班長! 佐久間の車の“ハンドル部分”から指紋が出ました!」
「佐久間のじゃないの?」
秋月が問う。
「はい。佐久間の指紋とは別に──“もう一人の男の指紋”が」
会議室の空気が一気に張り詰めた。
「その指紋……誰の?」
宮本班長が身を乗り出す。
「照合の結果──
“田川圭介”
外部コンサルタントとして宮田工業に出入りしていた人物です」
「田川……圭介……?」
秋月が息を呑む。
「この人、裏金ルートの調査でも名前が出ていました」
魚沼が資料をめくる。
「そうだ……“宮田工業の外側にいるのに、内部より詳しい人物”」
秋月の声が低くなる。
「兄貴が最後に会ってたのも……黒瀬さんが怯えてたのも……佐久間さんが連れていかれたのも……全部“田川圭介”ってことか……」
刀根が呟く。
その時、秋月のスマホが震えた。
画面には──
宮田直樹
秋月はすぐに出た。
「秋月さん……佐久間さん……見つかったんですか……?」
「まだ。でも、手がかりは増えてる。直樹さん、何か思い出したことは?」
直樹はしばらく黙った後、震える声で言った。
「……“田川”って名前……兄貴が……最後に会ってたのも……あいつなんだ……!」
「直樹さん、その人は──」
「言えない……! 言ったら……俺も……!」
通話が切れた。
会議室に戻ると、魚沼が新しいデータを表示した。
「黒瀬さんの暗号ファイル、さらに復元が進みました。“田”の次の文字……はっきりしました」
スクリーンに浮かび上がったのは──
『田川圭介』
「田川圭介……」
秋月が呟く。
「宮田工業の裏金ルートに関与し、倒産直前に“宮田さんと密会”していた人物です」
魚沼が淡々と続ける。
「黒幕の名前……ついに、輪郭どころか“実体”が見えてきたな」
片桐係長が腕を組む。
強行犯係の部屋がざわめく。明るく、賑やかで、テンポは速い。
その空気の中で、物語はついに“黒幕・田川圭介”へと走り出した。




