第1章 「黙殺」 第18話 黒塗りの名前
黒瀬の取り調べが続く中、秋月と魚沼は強行犯係のデスクに戻っていた。
朝の喧騒は落ち着き、署内は少しだけ静かになっている。だが、秋刀魚の周りだけは例外だった。
「秋月、これ見てみろよ」
刀根が紙コップのコーヒーを片手に、魚沼のパソコン画面を覗き込む。
「近いです。コーヒーこぼれます」
「おっと……危ねぇ」
「危ないのは刀根さんの距離感です」
「お前、朝から辛辣だな……」
そんなやり取りを横目に、秋月は魚沼の画面に映る“黒瀬のクラウドフォルダ”を見つめた。
昨日見つかった第二の暗号ファイル。
その中には、元役員三名の名前と──ひとつだけ“黒塗り”された名前があった。
「魚沼さん、復号はどこまで?」
「ここまでです」
魚沼が画面をスクロールすると、黒塗り部分の周囲に“復号の痕跡”が浮かび上がっていた。
黒瀬が自分で消した形跡だ。
「黒瀬さん、かなり丁寧に消してますね」
「ええ。普通の削除じゃなくて、“上書き消去”です。復元が難しいタイプ」
「つまり……絶対に見られたくない名前ってことか」刀根が腕を組む。
「そういうことです」
そこへ、片桐係長が戻ってきた。
手にはコンビニの袋。中身はおにぎりと缶コーヒーだ。
「お前ら、朝から難しい顔してんな」
「係長、黒瀬さんの暗号ファイル、あと一歩なんです」秋月が言う。
「一歩ってどれくらいだ?」
「あと……三歩くらいです」
「遠いじゃねぇか」
係長がため息をついたその時、宮本班長が会議室から顔を出した。
「秋月、魚沼。ちょっと来て」
会議室に入ると、ホワイトボードには新しい情報が書き込まれていた。
・黒瀬のスマホは“二重の位置情報”
・元役員二名は“黒瀬の背後に誰かいる”と証言
・黒瀬は裏金の存在を知っていた
・黒瀬は“誰か”を庇っている**
「黒瀬は、宮田さんを呼び出したことは認めたわ。でも“押したのは俺じゃない”と言い張ってる」
「黒瀬さんの言葉、嘘じゃないと思います」秋月が言う。
「私もそう思うわ。黒瀬は嘘が下手。隠す時は黙るタイプよ」
「じゃあ……押したのは誰なんですか?」刀根が尋ねる。
「そこよ。黒瀬は絶対に言わない。
でも──“黒塗りの名前”がその答えだと思う」
宮本班長が秋月を見る。
「復号、進んでる?」
「はい。魚沼さんが……あと三歩です」
「遠いわね」
魚沼が静かに口を開いた。
「黒塗り部分の周囲に、微妙な“文字の跡”が残っていました。
完全に消したつもりでも、データの端に“圧痕”が残ることがあります」
「圧痕?」刀根が首をかしげる。
「紙に強く書いた時、下の紙に跡が残るでしょう? あれと同じです」
「おお……なんかすげぇ……!」
「刀根さん、褒めても何も出ませんよ」
「出ねぇのかよ!」
魚沼がキーボードを叩くと、黒塗り部分の“圧痕”が浮かび上がった。
ぼんやりとした線。
かすれた文字。
だが、確かに“名前”の形をしている。
「秋月さん、これ……読めますか?」
秋月は画面に顔を近づけた。
線の流れ、文字の癖、筆跡の傾き──
それらを丁寧に追っていく。
「……これ、“直樹”って読めませんか?」
会議室が静まり返った。
「宮田直樹……?」
宮本班長が呟く。
「黒瀬さん、直樹さんを庇ってる……?」秋月が言う。
「でも直樹さん、黒瀬を殴りに来たんですよ?」刀根が言う。
「兄弟ってのは複雑なんだよ」片桐係長がぼそっと言う。
「係長、経験あります?」
「……黙れ」
宮本班長がホワイトボードに“直樹”と書き足した。
「黒瀬は直樹を守っている。
大塚も藤森も“黒瀬の背後に誰かいる”と言った。
そして宮田さんを追い詰めたのは──“身近な人物”。」
秋月が静かに言う。
「直樹さん……あなたは何を隠しているんですか」
その瞬間、署内のスピーカーが鳴った。
『至急、強行犯係は正面玄関へ。至急。』
片桐係長が顔を上げる。
「なんだ……?」
秋月、刀根、魚沼が走り出す。
正面玄関には──
直樹が立っていた。
顔色は真っ青。
手は震え、目はどこか虚ろ。
「直樹さん……?」秋月が声をかける。
直樹はゆっくりと秋月を見た。
「……俺、話したいことがあるんだ」
その声は、今にも崩れ落ちそうだった。
事件は、ついに“核心”へと踏み込もうとしていた。




