第1章 「黙殺」 第17話 黒幕の影をなぞる朝
翌朝の目黒署は、事件の重さとは裏腹にどこか落ち着かない空気が漂っていた。
黒瀬が“何かを隠している”と確定したせいだろう。
だが強行犯係の部屋だけは例外で、秋刀魚の三人が揃うと、いつものように賑やかさが戻っていた。
「刀根さん、朝からカレーの匂いがします」
「朝カレーは正義だろ」
「事件現場に残ったらどうするんですか」
「匂いで犯人が出頭してくるかもしれねぇだろ」
「そんなわけないでしょう」
「お前ら朝からうるさいぞ」
片桐係長が新聞を畳みながらぼそっと言う。
この“秋刀魚の賑やかさ”が、事件の重さを少しだけ軽くしてくれる。
捜査会議室に入ると、宮本班長がホワイトボードの前に立っていた。金崎と杉下も揃っている。
班長はペンを置きながら言った。
「今日は元役員三人の金の流れを追うわよ。黒瀬は確保したけど、まだ全部は話してない。
だから残りの“大塚”と“藤森”を徹底的に洗う」
秋月と魚沼は大塚、刀根は藤森を担当することになり、片桐係長が刀根に同行することが決まった。
「安心しろよ刀根」
「係長が一緒って安心じゃないんですよ」
「お前が余計なこと言わないように見張るんだよ」
「ほら安心じゃねぇ!!」
秋月と魚沼が向かったのは、大塚が経営するコンサル会社だった。受付の女性がにこやかに迎える。
「大塚社長はただいま会議中でして……」
「朝九時から会議ですか?」秋月が尋ねる。
「はい。毎日九時から“会議”です」
魚沼が小声で言う。
「秋月さん。“会議”って言ってますけど……会議室、空いてます」
「空いてるの!?」
受付の女性が慌てて言い直す。
「い、いえ……社長は“外部の会議”でして……!」
「外部ってどこですか?」
「そ、それは……!」
秋月が優しく微笑む。
「大丈夫です。僕たち、怖くないので」
受付の女性は一瞬だけ刀根の顔を思い浮かべたのか、観念したように言った。
「……港のカフェです」
「モーニングかよ!!」秋月が思わずツッコむ。
「秋月さん、声が大きいです」魚沼が淡々と注意した。
一方その頃、刀根と片桐係長は藤森の自宅へ向かっていた。
「藤森って、今“投資家”なんですよね?」刀根が言う。
「投資家って言えば聞こえはいいが……実態は怪しいもんだ」片桐係長がぼそっと返す。
インターホンを押すと、派手なシャツの藤森が出てきた。
「なんだよ朝っぱらから。俺は忙しいんだよ」
「忙しいって……何してるんです?」刀根が聞く。
「投資だよ投資! 今は仮想通貨の時代なんだよ!」
片桐係長が小声で刀根に言う。
「こういうタイプは大体、金の流れが汚い」
「係長、聞こえてますよ」藤森が怒る。
「聞こえていいんだよ」係長が堂々と言う。
「お前、裏金のこと知ってるだろ」
「し、知らねぇよ!!」
「じゃあその高級時計は?」刀根が指差す。
「こ、これは……!」
「裏金だな」
「違う!!」
「じゃあ何だ?」
「……ポイントで買った」
「嘘つけ!!」
その頃、秋月と魚沼は港のカフェに到着していた。大塚は優雅にモーニングを食べている。
「大塚さん、おはようございます」
「……誰だ君たち」
「警察です」
「帰れ」
「帰りません」
魚沼が淡々と言う。
「裏金の件でお話があります」
大塚の手が止まった。
「……黒瀬か。あいつは……俺たちを裏切ったんだよ」
「裏切った?」秋月が身を乗り出す。
「そうだ。裏金を動かしていたのは俺たち三人だ。だが黒瀬は“別の誰か”と組んで、金を独占しようとした」
「別の誰か……?」
「名前は言えない。言ったら……俺が消される」
魚沼が静かに言う。
「秋月さん。大塚さん、嘘は言ってません。でも“全部”は言ってません」
「……ですね」
同じ頃、藤森も同じことを言っていた。
「裏金を動かしてたのは俺たち三人だ! でも黒瀬は“誰か”と組んで金を横取りしようとしたんだ!!」
「その“誰か”って誰だ?」片桐係長が問う。
「言えねぇよ……! 言ったら……俺が消される……!」
刀根が叫ぶ。
「お前ら全員、誰に消されるんだよ!!」
秋月のスマホが鳴った。刀根からのメッセージだ。
『大塚も藤森も、“黒瀬の背後に誰かいる”って言ってる!!』
秋月は深く息を吸った。
「魚沼さん。黒瀬さんは“駒”じゃなくて……“駒を動かす駒”だったんですね」
「はい。そしてその上に“本当の黒幕”がいます」
「黒幕……」
秋月は空を見上げた。
「黒瀬さんが庇っている“誰か”。大塚さんも藤森さんも怯えている“誰か”。そして宮田さんを追い詰めた“誰か”。」
魚沼が静かに言う。
「秋月さん。その“誰か”……黒瀬さんの暗号ファイルの“黒塗り部分”に書かれていた名前だと思います」
「つまり……」
「黒瀬さんは、その人物を守っている。そしてその人物こそ──事件の核心です」
秋月は拳を握った。
「次は……その“黒塗りの名前”を暴きましょう」
事件は、いよいよ“黒幕”の影へと近づいていく。




