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目黒の秋刀魚  作者: 双鶴


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第1章 「黙殺」 第15話 最初の場所へ

 夕暮れの工場地帯は、昼間とはまるで別の世界だった。赤茶けた鉄骨が長い影を落とし、風が吹くたびに古い看板がカタカタと揺れる。宮田洋司が落ちた、あの廃工場。黒瀬が“戻る”としたら、ここしかない。


 秋月、刀根、魚沼の三人は車を降りると同時に走り出した。工場の入り口はチェーンで封鎖されているが、横のフェンスが一部破れている。


「ここから入ったな……」刀根がフェンスを押しながら言う。


「黒瀬さん、ほんとに忍者みたいですよね……」秋月が苦笑する。


「忍者っていうか……逃げのプロだな」刀根が胸を張る。


「刀根さん、それ言うの三回目ですよ」


「三回目か?」


「三回目です」


 軽口を叩きながらも、三人の足取りは速い。工場の内部は薄暗く、鉄の匂いと埃が混ざった空気が漂っていた。


 


 奥の通路から、かすかな足音が聞こえた。


「……いた」秋月が小声で言う。


 薄暗い通路の先に、フードをかぶった黒瀬の背中が見えた。黒瀬はゆっくりと歩き、宮田が落ちた吹き抜けの縁へ向かっている。


「黒瀬!!」刀根が叫ぶ。


 黒瀬は立ち止まり、振り返った。フードの影から覗く目は、いつもの鋭さではなく、どこか疲れ切っていた。


「……来たか」


「逃げるの、もうやめましょう」秋月が一歩前に出る。


「やめられない。俺は……全部終わらせに来たんだ」


「終わらせるって……何をですか?」


 黒瀬は吹き抜けの縁に手を置いた。


「宮田を追い詰めたのは俺だ。でも……宮田を落としたのは“俺じゃない”。宮田は……自分で落ちた。俺は……それを止められなかった」


 秋月は静かに言った。


「黒瀬さん。あなたは宮田さんを殺していません。でも──宮田さんを救うこともできたはずです」


 黒瀬は苦笑した。


「お前……直樹と同じこと言うな」


「直樹さんと話したんですか?」


「話したよ。あいつ、兄貴のこと……ずっと誤解してた。兄貴も……あいつのこと誤解してた。俺は……その全部を見てたのに……何もできなかった」


 黒瀬は縁に片足をかけた。


「だから……ここで終わらせる」


「やめてください!!」秋月が叫ぶ。


 刀根も走り出した。


「黒瀬ぇぇぇ!!」


 黒瀬は手を広げ、笑った。


「俺は逃げのプロだ。でも……逃げ続けるのにも疲れたんだよ」


「逃げるのやめればいいだけだろ!!」刀根が叫ぶ。


「簡単に言うなよ……」


 黒瀬が後ろへ体重をかけた、その瞬間──


「黒瀬!!」


 鋭い声が工場に響いた。


 三枝玲奈だった。


 左足を引きずりながらも、全力で走ってくる。


「黒瀬!! 死ぬ気か!!」


 黒瀬は驚いたように目を見開いた。


「……玲奈?」


「宮田さんは……あなたを恨んでなかった!! あなたを……“利用されるな”って心配してた!! あなたは……宮田さんの味方だった!! 逃げる必要なんて……どこにもない!!」


 黒瀬の足が止まった。


 玲奈は息を切らしながら、黒瀬の腕を掴んだ。


「黒瀬……あなたは悪人じゃない。ただ……不器用なだけ」


 黒瀬は震える声で言った。


「……俺は……宮田を救えなかった」


「救えなかったのは……私も同じ。でも……だからって死んでいい理由にはならない!!」


 黒瀬はゆっくりと縁から足を下ろした。


 秋月は大きく息を吐いた。


「黒瀬さん……戻ってきてください」


 黒瀬はしばらく黙っていたが、やがて小さく頷いた。


「……わかった。逃げるのは……もうやめる」


「よっしゃあ!!」刀根が叫ぶ。


「刀根さん、声が大きいです」


「いや、これは叫ぶだろ!!」


 玲奈は黒瀬の腕を離し、秋月に向き直った。


「黒瀬は……もう逃げません。あとは……あなたたちの仕事です」


 秋月は深く頷いた。


「任せてください」


 黒瀬はゆっくりと手を上げた。


「……逮捕されるのって、こんな気分なんだな」


「黒瀬さん、まだ逮捕とは言ってませんよ」


「言ってないのか?」


「言ってません」


「じゃあ……なんで手を上げたんだ俺……」


「知りませんよ!!」


 工場に、久しぶりに明るい笑い声が響いた。


 宮田洋司の死。兄弟の誤解。黒瀬の逃走。影の女・三枝玲奈。

 すべてが、ようやく“終わり”に向かって動き出した。


 だが──工場の外で、誰かがこちらを見ている気配があった。


 秋月は振り返った。


 そこには──誰もいなかった。


 風だけが、静かに吹き抜けていった。


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