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目黒の秋刀魚  作者: 双鶴


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第1章 「黙殺」 第14話 影の女、動く

 倉庫の奥で金属音が響いた瞬間、空気が一気に張り詰めた。秋月、刀根、魚沼、そして膝をついたままの宮田直樹が同時に振り返る。薄暗い通路の奥に、フードを深くかぶった細身の影が立っていた。


 三枝玲奈だった。


 彼女は何も言わず、ただ静かにこちらを見ている。その視線は冷たくも鋭くもなく、むしろ“観察”に近い。秋月はゆっくりと立ち上がり、彼女に向き直った。


「三枝玲奈さん……あなた、何をしに来たんですか?」


 玲奈は一歩だけ前に出た。左足をわずかに引きずる癖が、薄暗い倉庫の床に小さな音を刻む。


「直樹を迎えに来た」


「迎えに……?」刀根が眉をひそめる。


「黒瀬が逃げたから。直樹は黒瀬を追う。だから……直樹を止めに来た」


「止める? あなたが?」秋月が問い返す。


「そう。直樹は……黒瀬を殺す気だった。でも、殺したら終わりじゃない。直樹の人生が壊れる」


 玲奈の声は淡々としているのに、どこか切実だった。


 直樹は顔を上げ、玲奈を睨んだ。


「なんで……お前が俺のことなんか……!」


「あなたの兄貴が……私に頼んだから」


 その一言で、空気が止まった。


「兄貴が……?」直樹の声が震える。


「宮田洋司は……死ぬ前に私に言った。

 “弟を頼む。あいつは不器用で、俺より真っ直ぐだから”って」


 直樹は言葉を失った。


 秋月は玲奈を見つめながら、静かに言った。


「あなた……宮田さんと会ってたんですか?」


「会ってた。黒瀬に命令されて、宮田を監視してた。でも……宮田は私に優しかった。

 “黒瀬に利用されるな”って……何度も言ってくれた」


 玲奈の声が少しだけ揺れた。


「だから……私は宮田を裏切れなかった。

 黒瀬の命令で宮田を呼び出したけど……落とすつもりはなかった。

 でも……宮田は自分で落ちた。

 私は……止められなかった」


 直樹が立ち上がり、玲奈に近づく。


「じゃあ……兄貴は……お前を信じてたのか?」


「信じてた。

 “あの子は悪い子じゃない”って……最後まで言ってた」


 直樹は拳を握りしめ、唇を噛んだ。


「兄貴……そんなこと……」


 刀根がぼそっと言った。


「宮田さん、見る目あったんだな……」


「刀根さん、今は静かに……」秋月が小声で突っ込む。


 玲奈は直樹の前に立ち、まっすぐに言った。


「直樹。

 あなたは兄貴を殺してない。

 でも……黒瀬を殺したら、兄貴が悲しむ」


 直樹は目を閉じ、深く息を吸った。


「……わかってる。

 俺は……兄貴のために……もう逃げない」


 玲奈は小さく頷いた。


「それでいい」


 その瞬間、倉庫の外からサイレンの音が近づいてきた。宮本班長の車だ。


「来たな……」刀根が肩を回す。


「直樹さん、ここからは僕たちが引き取ります」秋月が優しく言う。


 直樹はゆっくりと頷いた。


「……頼む」


 玲奈は秋月に向き直り、静かに言った。


「黒瀬は……まだ逃げてる。

 でも、逃げ場はもうない。

 黒瀬は“あの場所”に行く」


「“あの場所”って……どこですか?」秋月が尋ねる。


 玲奈は倉庫の奥を指差した。


「宮田が落ちた……あの工場。

 黒瀬は……あそこで終わらせるつもり」


 秋月は息を呑んだ。


「……戻る気か」


「戻る。

 黒瀬は逃げるのが上手いけど……

 最後は必ず“最初の場所”に戻る」


 刀根が拳を握った。


「よし、行くぞ!!」


「刀根さん、落ち着いてください!」


「落ち着いてられるか!!」


 魚沼が淡々と地図を開く。


「工場まで、車で15分です」


「よし、急ぐぞ!」


 秋月は玲奈に向き直り、深く頭を下げた。


「教えてくれてありがとうございます。

 あなたの言葉で……事件が一歩進みました」


 玲奈は少しだけ微笑んだ。


「私は影。

 でも……影でも、誰かを照らせることがある」


 秋月はその言葉を胸に刻み、走り出した。


 黒瀬が向かう“最初の場所”。

 宮田が落ちた工場。


 事件は、ついに核心へと戻ろうとしていた。


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