第1章 「黙殺」 第13話 港の対峙
港に着いたとき、空はすでに薄いオレンジ色に染まり始めていた。倉庫の影が長く伸び、風がロープを揺らす音だけが響いている。秋月、刀根、魚沼の三人は車を降りると同時に走り出した。
「位置情報、まだここで合ってますか?」秋月が息を切らしながら尋ねる。
「はい。宮田直樹は倉庫群の中央付近です」魚沼がタブレットを見つめたまま答える。
「よし、急ぐぞ!」刀根が前を走りながら叫ぶ。
「刀根さん、転ばないでくださいよ!」
「転ばねぇよ!!」
倉庫の角を曲がった瞬間、三人は足を止めた。
そこに──直樹がいた。
黒いパーカーのフードを深くかぶり、両手をポケットに突っ込んだまま、海を見つめている。背中越しでも、張り詰めた空気が伝わってきた。
「宮田直樹さん……」秋月が静かに声をかける。
直樹はゆっくりと振り返った。
その目は、怒りでも憎しみでもなく、ただ深い疲れを湛えていた。
「……来たのか」
「あなたを止めに来ました」秋月が一歩前に出る。
「止める? 俺を?」直樹はかすかに笑った。「止められると思ってるのか?」
「思ってます。あなたは“誰かを殺す人間”じゃない」
直樹の目が揺れた。
「兄貴は……俺を裏切ったんだよ」
「裏切ったんじゃありません。あなたたちは“すれ違った”だけです」
「違う!!」
直樹が叫んだ瞬間、倉庫の影からもう一つの影が飛び出した。
黒瀬だった。
フードを深くかぶり、息を荒げながらも、目だけは鋭く光っている。
「直樹! やめろ!!」
「黒瀬……」秋月が息を呑む。
直樹は黒瀬を睨みつけた。
「お前が全部壊したんだろ……!」
「違う! 俺は──」
「黙れ!!」
直樹が黒瀬に向かって走り出した。
「やばい!!」刀根が叫ぶ。
「止めてください!!」秋月が追いかける。
黒瀬は逃げようとしたが、直樹の腕が黒瀬の胸ぐらを掴んだ。
「兄貴を追い詰めたのはお前だろ!!」
「違う!! 俺は……俺は兄貴を守ろうとしたんだ!!」
「守る!? どこがだ!!」
直樹の拳が黒瀬の頬に飛んだ。
黒瀬は倒れ込み、地面に手をついた。
「やめてください!!」秋月が二人の間に割って入る。
直樹は荒い息を吐きながら、秋月を睨んだ。
「どけ……! こいつを……終わらせないと……!」
「終わらせるって……何をですか?」秋月が静かに尋ねる。
直樹は拳を握りしめたまま、震える声で言った。
「兄貴は……俺を信じてくれなかった。
裏金のことも……会社のことも……全部俺のせいにして……
俺は……ただ……兄貴に認めてほしかっただけなのに……!」
その声は、怒りではなく、悲しみだった。
秋月はゆっくりと首を振った。
「あなたは兄貴を恨んでなんかいない。
ただ……兄貴に“見てほしかった”だけなんです」
直樹の目が大きく揺れた。
「……俺は……」
「宮田洋司さんは、あなたを恐れていたんじゃありません。
“あなたを巻き込みたくなかった”んです」
直樹はその場に膝をついた。
「兄貴……なんで……なんで何も言ってくれなかったんだよ……」
黒瀬がゆっくりと立ち上がり、直樹を見下ろした。
「……兄貴は、お前を守ろうとしてた。
俺は……それを知ってた。
だから……俺は兄貴を裏切れなかった」
直樹は顔を上げた。
「じゃあ……なんで兄貴は……!」
「お前が怖かったんだよ。
お前が兄貴を憎んでると思い込んで……
兄貴は……勝手に怯えて……勝手に逃げたんだ」
直樹は唇を噛んだ。
「……兄貴……」
秋月は静かに言った。
「宮田直樹さん。
あなたは兄貴を殺していません。
でも──兄貴を救うこともできたはずです」
直樹は涙をこぼした。
「……俺は……兄貴に……会いたかっただけなのに……」
刀根がぼそっと言った。
「兄弟って……めんどくせぇな……」
「刀根さん、空気……」秋月が苦笑する。
魚沼が静かに言った。
「宮田直樹さん。
あなたにはまだ“できること”があります。
兄の死を、正しく語ることです」
直樹はゆっくりと頷いた。
「……わかった……俺は……逃げない」
その瞬間、倉庫の奥で“カンッ”と金属音が響いた。
三人が同時に振り返る。
そこには──
フードを深くかぶった“別の影”が立っていた。
秋月が息を呑む。
「……三枝玲奈……!」
影は何も言わず、ゆっくりと姿を消した。
事件は、まだ終わっていなかった。




