「それ」 田島
◆異世界コード『NGY1180』
・通称「それ」世界
・田島と亜実がいる側の平行世界
◆異世界コード『NGY1150』
・通称「これ」世界
・矢崎と望美がいる側の平行世界
真夏の陽光が注ぐ中、田島と柏崎は横断歩道を渡り、仮設交番まで急いだ。履き慣れない靴で何度か転びかけるも、恥じてる余裕はない。炎暑と恐慌に動かされているよう。交番へ足を踏み入れることに、緊張も躊躇もしていなかった。まあ当然か。
「今年も夏休み中はかなり忙しくなるよな」
「ええ、仕事が減ることはありえない時期ですよね」
男性警官二人が交番の奥側で喋っていた。手前側には女性警官が座り、パソコンで事務をこなしている。近辺のマンションで爆発が起きたばかりだが、その三人の警官は「別命あるまで待機」が命じられていた。
仮設交番は事務室の大部屋と、休憩室兼給湯室の小部屋で構成されていた。元々の交番の工事が済むまでの仮設交番のため、壁などの内装は安普請だ。
それでもクーラーは十分効いており、暑さと苦労を過ごしてきた田島と柏崎には心地よい。しかし、涼みに来たわけじゃなく、二人は交番のカウンターに寄り掛かる。
「かなりヤバイのに追われてるんです!」
「ねえ助けてよ、お巡りさん!」
口々に叫ぶ二人。事情を知らない者なら、哀れにもクソ暑さで狂ったように見えるだろう。
「ハイハイ、交番は遊び場じゃないからね」
「これでもお兄さんたちは仕事中だよ」
奥にいた警官二人がカウンターに近づきながら言った。手前の女性警官はパソコンのキーボードを叩くのを止め、田島と柏崎をじっと見ている。
「変な人に追われてるんです! この前なんて家に来たんですよ!」
柏崎がためらわずに叫んだ。警官たちは顔を見合わせ、話の真偽を推し量る。田島は後ろを振り向き、亜実たちが近くにいないか探った。彼の視界に入るのは通行人だけで、交番へは誰も目をくれない。
「とりあえずだけど、この紙にちょっと書いてもらうよ。決まりでね」
男性警官はそう言い、カウンター上の受付用紙の束から二枚取る。それからペン立てのボールペンも取り、田島と柏崎に記入するよう言った。
こんなの書いてる場合じゃないと感じつつも、仕方なくペンを走らせる二人。この隙に襲われるのではないかと、二人とも心臓バクバクで、自然と字が乱れる。
「落ち着いて書いてよ。……おおっと、ゴメン。こっちは交通関係の紙だった」
渡し間違えた警官が、正しい受付用紙を二人に渡す……。田島と柏崎は苦笑いを浮かべ、その用紙に始めから書き始めたのだった。
二枚目の用紙に記入している間に、亜実たちは交番を襲撃する態勢を整えた。交番の警官三人組はその動向を露知らず、田島と柏崎が余計な面倒事を起こさないよう気をつける始末。女性警官は早くもキーボードを再び叩いている。バックスペースキーを叩く音だけ、妙にうるさい。
刈り上げ短髪と七三分けカット眼鏡の男性警官二人は、この小学生二人組が何か問題を起こして、家か塾を抜け出してきたんだろうと勘違いし、事態を軽く考えるらしい。お団子ヘアの女性警官は、キーボードを叩き続けつつも、田島と柏崎が熱中症で「ココ」で倒れないかとヒヤヒヤしたご様子。三人組が待機を命じられた理由を察せる。
「スーツの変な人に追われているんです」
受付用紙を書き、カウンター越しに警官へそれを渡した田島が言った。柏崎も続けて、「一人じゃなくて何人もいるんですよ」と言う。
「ハイハイ、親御さんは今どこかな? 仕事中で繋がらない?」
男性警官は用紙を一瞥するなり、田島に言った。もう一人の男性警官は柏崎に「不審者の情報かい?」と言う。
「両親はどちらも仕事に行ってます」
「ワタシの家も」
田島も柏崎も、両親は仕事で不在だ。平成一桁まで珍しかった共働き世帯も、今や標準的になっている。
「けど、電話したら繋がるかも」
「おっ、さっそく電話してみて」
柏崎の申し出を警官は内心喜ぶ。午後の面倒事を緩和できそうだからだろう。もう一人の男性警官は柏崎が書いた用紙をまじまじと読み、女性警官にも読ませた。
「あっ、充電切れてる」
柏崎がスマホを手にしてから言った。彼女のスマホ画面に表示されるのは、バッテリーゼロを伝えるアイコンのみ。
「……ハア、そんじゃ、ここのを使いなさい」
「スイマセン、番号覚えてなくて」
申し訳なさげに、手にするスマホを指差す柏崎。彼女は父親のスマホの電話番号を思い出そうと試みるもダメだった。
「仕方ない。学校に電話するしかないね。迎えに来てもらうから」
男性警官は面倒臭げに、固定電話のあるデスクへ向かおうとした。田島は「それじゃ意味無いんですよ!」と言うも、苦笑いで返される。すっかり、家出の不良少年少女程度に思われていた。
「このバッテリーで充電しなさ、してください」
「お、お水をどうぞ」
そこへ、柏崎の受付用紙を読んでいた男性警官と女性警官がやってきた。やけにへりくだる口調だ。男性警官はモバイルバッテリーと充電ケーブルと持ち、女性警官は水入りのとても小さな紙コップを持っている。二人は同時に、柏崎にそれらを渡す。小学校へ電話しようとした男性警官は立ち止まり、訝し気に眺めていた。
「どうもです」
柏崎は早くも理由を察せていた。……彼女の父親はキャリア官僚だ。彼女は水を一口飲むと、残り一口を田島に渡す。彼も察せたが、気まずさを覚えている。
「藤松。私が代わりに電話するから、横山と一緒に二人の話を聞いてあげて。丁寧にね」
「どういう事だよ?」
藤松という男性警官は、固定電話の受話器を持ち上げて言った。電話の手間を任せるとはいえ、同僚警官二人の変化に戸惑っている。
「平岡さんはその、そこのお嬢さんのお父様に心当たりがあるそうで」
横山という女性警官が述べたところで、藤松は察せたようだ。
「ああハイハイ、そういう事情か」
藤松は柏崎と田島の振舞いをうかがった後、部屋の奥へ歩いていく。お偉いさんの子供(田島は違うが)の安心安全を預かったわけで、彼なりに気を入れ替えていた。
「もう一杯持ってく、持ってきますね! あっ、お連れの分も!」
横山は逃げるように、給湯室へ駆けていく。あのとても小さな紙コップで、今度は二杯持ってくるらしい。
「私は八王子警察署、八王子南口交番の平岡という者です。……ああっ、切らないでください。署に確認を取ってもらえば、平岡という者がいるとわかりますから。……はい、至急お繋ぎして頂きたい方がおりまして。緊急のご用件です」
受話器を手にした平岡が喋っている。おかしいほど恭しい様子だ。通話先は現地の東京都庁だ。
「お父さん、かなり偉い人だもんね」
田島が柏崎に言った。子供ながら「親ガチャ」を感じていたかもだ。彼の父親も公務員だが、キャリア官僚とは呼べない。
「あまり家にいてくれないのは悲しいけど、こういう時は頼りになるから皮肉だね」
柏崎はそう呟くと、モバイルバッテリーで充電中のスマホに触れる。画面に浮かぶのは、まだあのアイコン。警察官の平岡が都庁へ電話してくれているといえ、柏崎自身から電話した方が早い。娘の置かれた状況をスムーズに理解できる。なにせ、特別な存在だから。




