「これ」 望美
◆異世界コード『NGY1180』
*「それ」世界
*田島・亜実がいる側の平行世界
◆異世界コード『NGY1150』
*「これ」世界
*矢崎・望美がいる側の平行世界
「案内の者が参りますので、その場で少々お待ちください」
インターホンの向こう側で、女性事務員が言った。数秒後、正門が開錠される音が鳴る。職員室から遠隔で開錠したようだ。
「そんじゃ、さっさと行きましょ」
「いや、まだ勝手に動くのはマズいですよ」
正門のレバーに手をかけた望美に、鍋島が言った。
「かなりの人数がいる小学校ですし、ターゲットのクラスが普段の教室にいるとも限りませんので」
鍋島がさらに言うと、望美は仕方なくレバーから手を放す。そして、照りつける太陽を髪越しに睨んだ。真夏の熱気は頭上だけでなく、熱せられた足元からも訪れる。案内役の教頭が、駆け足で正門に来なければ、望美は即その場で彼を射殺していただろう。
「この暑い中、どうも御苦労様です」
やってきた教頭が正門を開けた後、鍋島に言う。望美には一瞥しただけで、労いの言葉はない。この教頭は、女性の望美でなく男性の鍋島の方が偉いと勝手に考えた。
「では、さっそくですが校舎を回らせてください」
「申し訳ありませんが、ひとまず職員室へいらしてください。ちょうど校長もおりますので」
本物の警察官相手でも、彼はそのように動いただろう。マニュアル通りの流れではあるが、単に彼は自分と校長の体面を気にしたと考えられる。外部から来た立場の警察官に校内を我が物顔で歩き回られれば、教職である自分たちの立場に傷がつくわけだ。
「念のため、鍵をかけさせてもらいます」
子供でも頑張れば乗り越えられる程度の正門を、教頭は鉄壁の守りだと思っているらしい。監視カメラの目もあるが、逃亡や開き直りができる人間には非力だ。事が起きた後で、ワイドショーやポッカキットのスクープ映像になるのがオチだ。現に、偽警官二人組の「登校」を許している。その時点では、女性事務員と校長もすっかり騙されていた。
鍋島と望美が正門を通過した後、教頭は門を閉じた。途端に門はオートロックで錠がおりる。正門は単独でよじ登れる高さだが、錠がおりた際の音は重厚だった。裏門のことが無ければ、学校内に閉じこめられたように感じ取れる。
「では、参りましょう」
教頭はそう言い、職員室のある校舎に向けて歩き出す。彼の後ろに鍋島がつき、望美は鍋島の後ろで校内の様子を探る。校舎沿いに設けられた花壇には用務員がおり、ヘチマやヒマワリを手入れしていた。大きな麦わら帽子を被り、水のペットボトルをそばに置いている。
強烈な日光と熱波のため、さすがのNGY1150の現地日本でも、校庭での体育は自粛されていた。当時はたまたま、プールでの体育も行なわれていなかった。校庭とプールの方向を伺い、望美はその事を把握する。ただ、体育館か移動教室にいる可能性もある。
「あの、爆発の原因は既にわかっていますでしょうか?」
先導する教頭が鍋島に問いかけた。
「いいえ、残念ながらまだわかっていないようです。事故と事件の両方で調べている途中ですよ」
鍋島がすぐさま答える。実際は彼らが起こした事でしかなく、教頭が真剣かつ深刻な顔を浮かべている点は、笑いを呼びつけるよう。
「こういう時は事前にお電話があるものと思いますが」
「……ああ、署の者がまだ電話していませんでしたか。それは失礼しました。落ち着いたら署へ催促します」
「催促とは大袈裟ですね。しかしまあ、こんなご時世ですから」
教頭は内心呆れた様子だ。マニュアル通りであれば、警官が派遣される事を警察署から事前に伝えられるから。とはいえ、彼の上司たる校長がマニュアルを逸した行動を取った以上、教頭はひとまず深掘りをやめた。
「体育館は授業で使用中でしょうか? 児童には普段の教室に留まってもらいたいので」
鍋島が話題を喫緊へ移す。教頭は職員室に一番近いドアを開けた後、「ちょうど今はどこのクラスも使っていません」と答える。
「それならしばらく、教室から子供を一人も出さないでください」
鍋島の後ろにいた望美が、教頭に言う。まさか女性の警察官に指示されると思ってなかったらしく、教頭は虚を突かれたご様子。その現地日本は我々の日本と異なり、「男尊女卑」の空気が強い。個人的な予想だが、九州や東北のド田舎よりも強いと思われる。
「……そうした方がいいならそうしますが?」
教頭が言った相手は鍋島で、望美じゃない。
「ええ、そうして頂きますよ。さあ先にどうぞ」
鍋島は引き続き先導を促した後、望美にウインクでサインを送る。「任せてください」の意味であり、できるだけ穏便に進めたいのは当然だ。望美は憤りを感じるも、その場では堪えた。
職員室へ向かう短い道中で、鍋島と望美から同時に注目された物がある。それは校内案内図で、小学校全体を一目で把握できる大判の掲示物だ。矢崎のクラス「六年四組」の教室の場所もはっきり記されている。来訪者のために用意された案内図だが、矢崎と中野からすればありがたくない。
「このまんま行っちゃおうよ」
「いえ、せっかく順調にいけてますから」
望美の耳打ちに鍋島は即答した。当時は教頭も二人を緊急配備された警察官だと信じこんでいる。八王子駅前での爆発が、自分たちのところの特定の児童に深く関係しているとは思っていない。警官二人の緊急配備は大袈裟と捉えていた節すらある。
「お忙しいところ恐縮ですが、こちらで手続きをお願いします。来校者名簿にご記入してもらうのが規則でして」
教頭はそう言い、職員室のドアを開ける。火事の消火活動で来た消防士にも同じことを願うつもりだっただろうか……。キキィーという耳障りな音を立てるドアを、望美と鍋島が通った。先に職員室に入り、ペンを持ったのは望美の方。
「…………」
教頭は訝しげな目で、来校者名簿に記入する望美(もちろん偽名だ)を見ていた。NGY1150の現地日本における男尊女卑はなかなか強いと改めてわかる光景だ。
「連名でいいですよね?」
「えっ、ああはい。構いませんよ」
来校者名簿とペンを用意した女性事務員さえ、好奇の目で望美を見ていた。彼女と教頭は、男性の鍋島が代表して記入すると考えていたようだ。
職員室内の少し離れた所にいる校長は、暑い中やってきた警察官二人に一礼したぐらいで、テレビのニュース放送へ集中力を振り戻している。国営放送は報道ヘリからの中継映像をダラダラ流すだけで、「爆発の原因は調査中です」といった言葉をしつこく繰り返すばかり。それでも校長はテレビに集中している。警察官二人の到着に安堵すると同時に、事が大袈裟かつ他人事に感じられたのだろう。女性事務員も緊張が解けた様子で、日常的な態度だ。職員室から緊迫感は早くも消失している。件の軍事教練の教師が出勤していない日であった点も理由だろう。
女性事務員そばのディスプレイ上では、監視カメラの映像が常時流れている。正門と裏門だけでなく、小学校内の各所に設置されている。不審者対策で続々設けられるおかげで、機器メーカーとその株主が儲けられる。今なお続くAI需要もあるが、電子部品産業の現物株を買っておいて良かった。そこはさておき、監視カメラの一台が、三宅と井上が待機する車のアクシオを少しだけ映していた。車体後部でバカ面は見えないが、ナンバープレートをギリギリ読み取れる。望美が来校者名簿に記入する中、気づいた鍋島は内心ヒヤヒヤだった。……幸い女性事務員は、車に気づいていないか、気づいても気にしていないかのどちらか。望美が書いた来校者名簿に凡ミスがないかの方が重要らしい。
「それでは校舎内をどうぞ。帰るときはまたここに来てくださいね」
女性事務員は淡々とそう言い、来校者名簿を机の隅にポンッと置く。一瞬、「来校者」と記されたネックストラップ二人分を手に取りかけるも、警察官には不要だと悟れた。
「ハイ。では、私とこの者で校内を巡回させてもらいます」
鍋島は焦りが表れないよう気をつけつつ、望美と職員室からさっさと出ようと動く。矢崎がいる六年四組の教室へ直行すればいい。担任教師を言いくるめるネタは彼なりに考えてきたらしい。まあ活かされなかったが。
「私も一緒に参ります。教室の者に説明するのは大変でしょうから」
教頭がそんなことを言い、望美と鍋島についてくる。職員室が早くも通常モードになる中、彼はまだ熱心だ。この非日常に対し、教師としての務めを終わりまでこなそうと、やる気を抱いていた次第。




