「これ」 矢崎
◆異世界コード『NGY1180』
*「それ」世界
*田島・亜実がいる側の平行世界
◆異世界コード『NGY1150』
*「これ」世界
*矢崎・望美がいる側の平行世界
三日後に小学生最後の夏休みが始まる日だった。矢崎を始め、教室にいた子供たちは早くも浮足立っていたはず。たとえ中学受験の勉強で忙しくとも、非日常的な日々が続くことに変わりはない。惰性的に学校へ行き、同じメンツで同じ方向を見て、同じことを学ぶ義務から一旦解放される。
その内たった数日間だが、矢崎は中野と遊ぶ約束を取りつけられていた。二人は別々の中学へ進むことになっていたため、一生の思い出づくりだ。スケジュール組みを任された中野は、矢崎に行き先をまだ秘密にしていた(オリジンの調査資料によれば、上野やお台場へ遊びに行く気だったという)。
矢崎は彼のスケジュール組みに不安を抱かず、心待ちにしていた。ウキウキな気持ちを押し殺し、あの親に見咎められないよう気をつけていた。通称親心の過保護により、数日間の「夏休み」を取り消されても不自然じゃない。
そんな二人の、いや、教室の子供たちの夏休みは二時間目に砕け散る。補講が入ったわけじゃなく、望美と鍋島が入ってきたから……。
二時間目の国語で、矢崎たちは四字熟語を学んでいた。教室の黒板には「切磋琢磨」と「一致団結」の四字熟語と、それらの意味を示す文が書かれていた。
教室の外から、乾き破裂した音が鳴り聞こえてきた。担任教師と一部の子供はそれが銃声だと把握できた。徴兵経験のある担任の男性教師はさらに、ピストルの銃声だと把握する。現地小学校の軍事教練の必須分野に射撃は含まれていないため、ただ事じゃないとわかる。大半の子供は先ほどと同じ爆発音や爆竹か、何かしらの事故による音と捉えていた。
少しこもり反響して聞こえた銃声に対し、担任教師は授業を中断し、緊急時の手順を思い返した。子供たちは互いに顔を見合わせる。矢崎と中野も顔を見合わせたが、無関係じゃない出来事が進行中だと、二人は早くも気づいたらしい。
「ドアと窓にカギをかけなさい! 廊下の窓を早く!」
銃声から数秒後に、担任教師が子供たちに叫ぶ。そう言った彼は、自身の机(職員室でなく教室の机)へ早足で向かう。そして、一番下の抽斗を開く。奥に見える、「非常用スタンガン」と記された小型金庫。四ケタの暗証番号で開くタイプだ。
矢崎と中野を除き、教室の子供たちは悪い意味で平静でいた。典型的な正常性バイアスもあり、担任教師の言行をつまらないネタか過剰反応だと捉えていた。災害時の訓練や軍事教練で学んだ事はどこへやら。
「訓練じゃないよ!」
教師はそう言うも、子供たちの反応はまだ鈍い。
「賢一は窓を頼む。おれはそこのドアをやるから」
中野は立ち上がり、教室後ろ側のドアへ駆ける。冷房のため、教室の二ヶ所あるドアは両方閉まっていたが、内鍵はかかっていない。すぐに矢崎も立ち、クラスメイト同士の隙間をかき分け、廊下に面する窓へ向かう。子供たちは「何だよ」とか「気をつけてよ」などと声を漏らし、矢崎と中野の行動を冷ややかに見物する始末だ。
「前のドアに鍵を!」
廊下側の窓に内鍵をかけ始めた矢崎は、列の一番前に座る女子に言った。ところが、言われた側の女子は虚を突かれたかの如く、座ったまま。代わりに、隣りの席の男子へ目配せした。その男子は情けなさを覚えつつも席を立ち、教室前側のドアへ歩む。担任教師は金庫を開けたところだ。
……残念ながら、二歩分は遅かった。走っていても突破されただろうが。望美と鍋島が前のドアを勢いよく開け、教室に踏みこんでくる。二人は警察官の服装をしており、何やら面倒事が起きたと、子供たちや教師は把握できた。特に矢崎と中野は、絶対起きちゃならなかった事態だと、早くも嘆いている。
鍋島が後ろ手にドアを閉める音が、教室に重く響いた。
「慌てずに席で」
「動くな!」
先に口を開いた鍋島の声に被せ、望美が怒鳴る。先ほどの銃声は鍋島が鳴らしたものだが、彼女もすでにピストルを構えている。自国の警察官が銃を構えている姿は、現地日本のニュースで子供も目にしていたが、直に見たのは初めてという者がほとんど。直近で目にする機会があったのは矢崎ぐらい。
その矢崎は窓のそばに立ち、望美と鍋島の出方を伺っていた。彼自身は望美と鍋島の顔を見ていないが、家族から人相書き程度は耳にしている。急ぎでそれを思い返していた。
「何事でしょうか? お巡りさん?」
担任教師はスタンガンを握っている。「構えていた」ではなく、彼は安全装置がかかったままのスタンガンを、自らの足元に下げた状態だ。警官姿の二人組を前に気が緩んでしまった。無論、二人組の方は緩んでいない。
……望美はためらわず、教師の左胸を撃った。ダブルタップの二発を食らった彼は衝撃で仰向けに崩れ、自身の机の側板に後頭部をぶつけ倒れる。スチールデスクの側板が、ボコンと腑抜けた音を立てた。矢崎たちの担任教師は即死だ。最終学年で担任が死ぬという出来事は滅多に起きないもの。
「キャアー!」
女子の一人が叫ぶも、ほとんどの子供たち(矢崎と中野含む)は硬直した。映画やドラマのワンシーンでなく、まさに眼前で起きた出来事だが、彼ら彼女らはすぐに受け入れられなかった。
「騒がず黙ってて!」
望美は叫んだ女子に銃口を向ける。顔へ突きつければ悪化すると考え、照準は右肩辺りだ。女子は大人しくした方が無難と考え、すぐさま無表情で顔を伏せ、黙りこむ。
「授業をジャマしてすまない。実はその、探してる子がいてね」
申し訳なさそうな口調で、鍋島が言った。望美が上から許可を取れたからいいものの、小学校は「特別保護施設」に該当する。本来なら刑罰が科される。オリジン内で、紳士淑女規定を悪法と呼ぶ者は今も少なくない。
矢崎と中野は、複合体オリジンや紳士淑女規定など知らないため、警官コスの二人組がいわゆる「無敵の人」の如く暴れるものと考えていた。二人が死や世間を恐れず、暴虐を自分たちの教室で繰り広げるのだと。何が目的であれ、矢崎はまず自身の死を覚悟し、親友中野やクラスメイトの巻き添えを案じた。
「探してるのは俺ですよね? 矢崎賢一なら俺のことです」
窓辺の矢崎はそう言い、両手を挙げた。さぞ屈辱的な所作だろうし、勇ましい利他主義だと一旦言ってやろう。
運動場の数少ない樹木でセミがうるさく鳴いていたが、締め切られた教室には響かない。




