8 俺はジャンジャック 元王子
俺の名前はジャンジャック。
家名をもたない、ただの平民だ。
だが、元はこのオルレオ王国の、第三王子だった。
その時の名前は、ジャンジャック・フィオ・オルレオ。
何不自由なく暮らし、将来は婚約者だったルルレリア・リオ・カールレイ公爵令嬢と共に、新しく伯爵家を興す筈だった。
公爵家ではなく伯爵家というのは不満があったが、気楽に暮らすにはちょうど良いのかもしれないと、思っていた。
それが、何故今平民になっているかって?
正直、俺にも良くわかっていない。
ルルレリアとは、幼い頃から婚約をしていた。
彼女はとても美しく、そして優秀で、俺と二人でいると一枚の絵の様だと称えられたものだ。ただ、彼女は優秀なだけに冷たく、俺にも指摘ばかりしてきた。
こちらは王家の人間だというのに、随分と失礼なものだ。
俺たちが十六歳になった時、王国立魔法学園に入学した。その入学式で出会った、可憐な少女。それこそが、聖女マーシュ。
彼女の清楚で可憐なさまは、まさに守らなければならないと思わせてくれた。
そう。一人でも立っていられるルルレリアよりも、私が守るべきはマーシュなのだと、直感したのだ。
彼女の可憐さは、多くの男子生徒を惑わせてしまう。だから俺は、彼女と夜会で話した男子生徒には、すぐさま婚約者を用意した。
マーシュはいずれ、俺の婚約者となるのだ。そう、ルルレリアに代わり。だから男どもが、いらぬ期待を持ってしまうと、彼らが哀れだ。どうせ平民となるような次男三男坊どもだ。彼らの領地での婚約を、こちらで取り持ってやったのだ。
婚約者がいる男子生徒は、どうせその婚約者と結婚するしかないだろう。だから見逃してやった。俺の側近たちも、やがては婚約者と家をもり立て、我が王家を盛り立てる必要があるのだ。
そうして迎えた卒業式。
俺はルルレリアが、嫉妬からマーシュにしたと言う罪を元に、卒業式のあとのパーティで婚約を破棄する予定だった。
――断罪はできなかったが、婚約は破棄できたので良しとしよう。
これで、俺とマーシュは幸せになれる。
俺が賜る予定の伯爵家で、二人で愛の巣を築こうではないか!
そう思っていた。
なのに、どうして。
卒業パーティの途中で、近衛騎士団に連れられ、父上、つまり国王陛下の御前に出させられる。
国王の前ということもあり、先頭に俺、そしてその少し後ろに側近たち、一番後ろにマーシュという並びとなる。彼女は不安そうだったが、こればかりは仕方がない。
本当は、手を繋いでいてあげたいのに。
「ジャンジャック。随分と派手にやらかしたようだな」
「父上、すでにお聞き及びですか! はい。俺はルルレリアではなく、ここにいる聖女マーシュと共に、伯爵領を盛り上げて」
「どこのだ」
「……え?」
「その伯爵領とやらは、どこの伯爵領だと聞いている」
「それは……俺が興す予定の」
父上の目が、細くなった。
「お前がルルレリア嬢と共に臣下に下る先は、彼女の実家。つまりカールレイ公爵家が持つ、伯爵領だったのだが。はて、彼女と別れた後、どうするつもりか」
「え? は? いやそんな?! カールレイ公爵家の? そんな」
「何度も説明したはずだぞ。そして、彼女を大切にしろ、とも」
確かに父上には何度も、ルルレリアを大切にしろと言われた。だが、そんなの婚約者だからっていう意味だと思うじゃないか。
つまり、婚約者じゃなくなるなら、大切にしなくても良いと思ったんだ。
「聖女マーシュ」
「は、はい!」
マーシュの声が後ろから聞こえる。少しだけ震える声が、愛おしい。守ってあげないと。
聖女といえど平民のため、父上からではなく、父上の側近ダウグス・チョールエからの声かけになった。
「先ほどそなたの持ち物を検めたところ、所持していた食べ物から、ココラシオが検出された。どういうことかな?」
「ココラシオ……?」
「ジャンジャック殿下。王子教育で、ココラシオはやった筈ですが?」
やばい。
全然覚えていない。
「あ、あぁ。俺は覚えている。もちろんだ。だが、俺の後ろにいてくれている彼らには、わからないかもしれない。ダウグス殿から、教えてやってくれないか」
ダウグスが頷く。
よし! うまくごまかせたぞ!
「そういうことにしておきましょう。さて、殿下の後ろにいる、役立たずの側近ども。ココラシオとは何かを、教えてあげましょう」
「おい、役立たずとはなんだ!」
「お前は、宰相の四番目の息子ですね。殿下を諫めるどころか、一緒になって女に狂うとは。そんな側近、役立たずでしかないでしょう。他の者も同様だ」
俺が悪いことをしたみたいに言うが、あいつらがマーシュに夢中になっていたことに関しては、確かに役立たずだな。俺とマーシュを守るのが、側近の仕事だ。
「ココラシオとは、魅了薬の一種です。もちろん万能ではありませんし、食べ物にいれる程度では、心酔などできません。節度のある心を、相手に持っていれば」
そう言うと、ダウグスが何かを合図する。途端、端に控えていた騎士が近付き、俺たちに何かを無理矢理飲ませてきた。
「毒ではないので、安心して飲みなさい。これは陛下からのご命令です」
王命だと言われれば、素直に飲むしかない。味はとくにしないが、少しだけどろりと粘度があった。
そこから数分。
部屋には、沈黙が流れる。
「はい、そろそろ良いでしょうか。さて殿下。聖女マーシュを、どう思いますか?」
「え? 可愛いなと思う。あの可憐さは見ていて、手を差し出したくなるな」
「ご結婚なさりたいのですよね」
「結婚できるならしたい! でも、どうしてもか、って言われると……あれ?」
「そういうことです」
ダウグスの言うことが、わからない。
「飲んでいただいたのは、ココラシオの解毒薬です。ココラシオ自体、完全なる魅了薬ではないので、好意があれば、それを増幅させる。最初からきちんと線引きをしていれば、ココラシオを摂取しても、問題はなかったのです」
俺のあの感情は、魅了薬のせいだというのか!
「だとしたら、俺たちは無罪放免ではないのか?!」
「線引きをしていれば、と言っただろう、馬鹿者が」
それまで黙っていた父上が、口を開く。
その低い声に、怒っているのだな、と伝わってきた。
父上、そんなに怒らなくてもいいじゃないか。
「第一、殿下は外で貰った食べ物を食べてはならないと、教育されませんでしたか。そして、側近たちは貰った食べ物を、誰からかわかるようにして、王城に提出するよう、指示されていませんでしたか。少なくとも、私が陛下とともに学園に在った時には、そうしておりましたが?」
そう言えば、そんなことを言われていたな、なんて思い出す。
「でも、同じ学園に学ぶ生徒じゃないか。学園では、身分差もなく平等なんだろ?」
「……誰がそんなことを言いましたか?」
「え?」
「あの学園の中でも、身分の差はあります。無論、能力のある者であれば、たとえ身分が低くともチャンスは与えますよ。しかし、学園は王国の縮図。身分制度は、歴として存在しています」
そう言われれば、そんなこともルルレリアに言われた気がする。あの時は、マーシュが言うことが気に入らないのかと思っていたが。
あれ?
「あぁ、話の途中でしたね。聖女マーシュ。ココラシオは禁忌の薬草です。どうしてそれを、そなたが持っているのですか」
「え……いえその……。森で素敵なハーブを見つけたから、クッキーにいれただけで」
「へぇ。どんな効能があるのか、毒かもしれないものを、わざわざ殿下に差し上げるクッキーに?」
「ひど……酷いわっ! 私を疑うんですか?」
「疑う? とんでもない。確認ですよ。疑いなんて甘いものではありません」
確かに、毒かどうかわからないものを、俺に食べさせていたと聞くと、良い気分ではないな。
ん? しかし。
「なぁダウグス殿。俺たちが魅了薬にやられてると、疑ったりしなかったのか?」
「そもそも、勝手に外で食べ物を食べているとは思いませんし、事前にカールレイ公爵令嬢から、殿下方の不貞は、報告を受けておりましたが、魅了【魔法】の気配は感じませんでした。そして、魅了魔法以外の魅了薬には、強制力はないのですよ。わかりますか? つまり、殿下方は皆さん、ご自身の意志で、彼女を侍らせていたのです」
俺も側近たちも、何も言うことができなかった。
いや、本当は不貞じゃないと言いたかったが、反論できる状況でもなかったのだ。
ダウグスの目が、怖すぎて……。
「ジャンジャックは、身分剥奪の上、王城からの放逐。それとそなたらの息子は──あぁ同じで良いか。では側近の者も、身分剥奪と家門からの放逐で。領地で匿うことも、まかりならぬ。情けとして多少の路銀と、剣一振りは持たせてやろう。聖女マーシュは、王国教会にて奉仕だ。魔獣退治などで癒やし魔法が必要な場合は、女騎士と修道女とともに、移動するが良い。教会内部でも、外でも男性との接触は一切禁じる。親兄弟であってもだ」
側近たちの父親も同じ部屋にいたが、父上の目線にすぐに同意したらしい。
めでたくも何もないが、俺と同じ処分となった。
その場にいた俺たちは、全員別々の部屋に連れられた。そして、そのまま再び会うこともなく、別々に城から出されてしまった。
――僅かな路銀と、身を守る剣一つで。
それから俺は、考えることをやめた。
どうせ質問しても、教えて貰えないんだ。
だったら答えなんて気にせずに、とにかくその日過ごせる場所を見つけるべきだろう。そして、これからどうするかを、考えないといけない。
どうしてこうなったのかはわからないけど、国王が決めたことだ。城から出されてしまった以上、もうどうにもならない。
そう思って街を歩く。
だが、どの宿屋もとても高く、手持ちの金だけでは、何日も泊ることはできない。しばらく歩いて行くと、街外れに小さな宿屋があった。
そこはそれまでの宿と比べても格段に安かったので、とりあえず、その日の夜の露をしのいだ。
「もしかしたら、地方に行けば、宿はもっと安くなるのでは」
それを思いついた俺は、天才だと思う。
翌朝、宿のサービスだと言う食事を食べ、外へ出た。朝食は貧相なものだったが、食べられないよりはいい。
とりあえず地方に行くか、と馬車乗り場に向かう。
その馬車乗り場で一番遠い領地が、モルニカ子爵領だった。
「乗合荷馬車なんて、初めて乗るな」
乗合荷馬車は、荷馬車と、人が乗る馬車をあわせたものらしい。
人が乗る荷馬車の大きなものに、遠方へ送る荷物を同乗させて、人も荷物も安く運ぶというシステムだそうだ。
いくつかランクにより種類があるらしい。その中でも、一番安いものを選ぶ。
初めて乗る馬車にワクワクしていたが──なんだこれは。
ガタガタと大きく揺れるし、尻は痛くなる。しかも、モルニカ子爵領までは、四時間もかかるというではないか。
どうしてそんな場所に、行こうとしたんだろう。
だが、先に馬車の代金を払ってしまったのだ。モルニカ子爵領に行くしかないだろう。
同じ馬車に乗っているのは、老婆と小さな子連れの母親、それに目つきの悪い大柄の男だった。
子連れの母親は三十分もすると、降りていく。
残ったのは、俺と老婆と大柄の男。
最初の頃は外が面白いと見ていたが、それもすぐに飽きた。だいたい同じ景色だからな。
だが、突然馬車が止る。
「えっ。おい、どうした?」
「お客さん方! 馬車狩りです! すぐに逃げて」
馭者が慌てて、中に声をかける。
馬車狩り?! どういうことだ。
「おお、ようやくか。なかなか来ねぇから、待ちくたびれたぜ」
「へっ?! お、おっさん何を」
「おっと。動くんじゃないよ、坊や」
「お婆さん?!」
目つきの悪い男が立ち上がり、馭者を捕まえる。
俺はすぐ横に座っていた老婆に、短剣を突きつけられていた。
「ハ。婆だと思って、舐めないほうが良いよ。アタシャ短剣の使い方は、うまいんだ」
隙のない動きに、その言葉が本当だと悟る。
馭者は、積んでいる荷物の暗証鍵を開けさせられた後、その場で切り捨てられた。
人が倒れる音が、あんなにも大きいなんて、初めて知った。
「アンタ、金持ってるだろう? その服は随分ときれいなもんだ。あぁ、あんたもきれいだねぇ。高く売れるんじゃないか」
その言葉にぞっとする。
だが、今はどうにもならない。隙をついて逃げられるときを、探すんだ。
俺は剣と金、そして着ていた上着を脱がされて、馬車の後ろに移動させられそうになった。
馬車を降りる瞬間。
ほんの僅かな隙をついて、必死で馬車から逃げた。
けれどすぐに捕まり、でかい男に殴られる。何度も何度も顔も体も殴られ、体からだんだんと力が抜けていった。
男はそれで満足したのか、手を緩める。その緩めた手から体を捻らせ、相手の急所を蹴り上げた。
反応なんて見ずに、すぐに近くの森に逃げ込む。
必死で走っていると、やがて後ろから追いかけてくる音も、聞こえなくなった。
おそらく諦めたのだろう。
森の中をとにかく前に進み、流れる沢の水を飲み、食べられるのかわからない草を食べた。
そうして何日も歩いているうちに、人の声が聞こえてきたんだ。
明るい光。
森を抜け、どこかの領地に辿り着いたのだと、わかった。
俺の意識は、そこで途切れた。