39 小料理屋アニタ改め、小料理屋ジャン
春になった。
俺がアニタ嬢の店を受け取り、半年だ。
料理なんてしたことがなかったので、最初は大変だったが、どうやら俺には存外才能があったらしい。
舌には自信があることもあり、随分と美味しい料理を作ることが、できるようになった。
「こんにちは!」
「いらっしゃい。奥にどうぞ、レディ」
アニタ嬢がやっていたガレットランチを、店内でも食べられることをアピールしたり、来店のお客様を丁寧にもてなしたら、それが受けたのか、女性客が一気に増え、売上げがあがったのだ。
それがまた自信に繋がり、俺は今、最高に楽しい。
「お久しぶりです、ジャンジャックさん」
「アニタ嬢!」
店内が落ち着いた頃。
昼の営業を終了しようと店外に出たところで、声をかけられた。
あぁ、今日も変わらずに女神のようだ。
「良かったら、お茶でもどうぞ。今店じまいのところだったんだ」
「じゃあせっかくだし。お邪魔します」
「アニタ嬢がオーナーなんだから、そんな言葉いらないのに」
言えば、ふふ、と笑う。なんて可憐なんだ。
まるで花がほころんだように笑う彼女は、以前よりも女性らしくなってきた。
いや、前も美しかったのだが。
「大盛況みたいですね。嬉しいけど、ちょっとうらやましい」
「女性客が、増えてくれて」
「ジャンジャックさん、エスコートが身についているから。きっと皆さん、嬉しいのでしょうね」
小さい声で、ホストみたいとか、その手があったか、などと言っているのが聞こえる。
なるほど、パーティの主催者、つまりホストみたいな気持ちでやれということか。
流石はアニタ嬢だ。目の付け所が違う。
「ジャンジャックさんのおかげでお店は盛況だし、そのおかげで我が家もゆとりができたし、本当に感謝してます」
「いや──」
アニタ嬢について、そしてモルニカ子爵家について、以前聞いていたことが浮かぶ。
税のほとんどを、優先的に領民に使う子爵家。
そのために、金策に東奔西走していたという、アニタ嬢。
「ジャンジャックさん?!」
アニタ嬢の前に膝をつく。そっと片手をとり、私は彼女を見上げた。
「アニタ嬢。改めて、あなたに愛を伝えます」
「へ? あの、私は」
「あなたに婚約者がいることは、わかっている。婚約を解消して欲しいなんてことは、言わない。ただ、私の愛があなたにあることを、知っていただきたい」
「……」
当たり前だが、彼女は困惑した表情を浮かべている。
だが、ここで喜ぶような女性であったなら、きっと私はこんなことは言わない。
そもそも今の俺は、それを喜ぶ女性に、愛を告げなかっただろう。
「私が初めてこの領地に来たとき、あなたは私のことを知っていたのに、助けてくれた。聖女マーシュにも、毅然とした態度をとった。彼女を連れてきたランディオに対しては、選択肢を用意した」
「それは、私が領主家の人間だから」
「それができるあなただからこそ、領民はついていこうと思うんだ」
ここで初めて、彼女が少し嬉しそうな表情を浮かべた。
領民のこととなると、本当に素直なんだな。
「あなたの、領民を第一に考えるところ。領地のためを思う心。そして、だからといって全てを切り捨てるわけではなく、最良を考えるところ。そうしたところを、愛しています。私は──俺は、本当にあなたを愛しいと思う」
彼女は、椅子から立ち上がり、床にしゃがみこんだ。
「アニタ嬢!」
俺と目線をあわせると、俺の手をもう片方の手で包み込む。
や、やわらかい。
「ジャンジャックさん、ありがとうございます。私は婚約者であるディアスのことを、大切に思っているし、愛しています。だから、あなたの愛を受け取ることはできません。ですが、一人の友人として、ジャンジャックさん──ジャンのことを信頼しています」
ゆったりと笑う彼女は、まさに女神だった。
あの日、俺が目覚めたときに見た彼女と変わらない、優しさを含んだ瞳。
ただ優しいだけではなく、厳しさも、強さも秘めた瞳。
「アニタ嬢、ありがとう。俺はあなたの信頼を得ることができたのか。あんな、どうしようもない第三王子だったというのに」
「人間は、変わることができるんですって。ジャン」
立ち上がり、今度は太陽の光のような笑みを浮かべる。
そんな彼女は、領地を背負って立つ覚悟を持つ、一人の美しい女性だ。
俺は、そんな彼女と出会えたことを、誇りに思った。




