38 プロポーズ
劇場内は暗く、他のボックス席の様子は見えない。
逆に、ここから他の座席はよく見えるのだ。なるほど、お偉い人たちはこうやって観察をしているのだな、なんて知りたくもないことを、知ってしまった。
オーケストラピットに明かりが灯る。
重厚な音楽が一曲かかり、ゆっくりと幕が上がっていった。
「お嬢」
「ふぁっ?」
「ちょっと、もう少し色っぽい声出してもらえませんか?」
「それは、無理な申し出では……」
ディアスの手が、私の髪に触れたのだ。
声も、なんだかやっぱりまた──甘く聞こえる。
いや待って。
耳の横に流している髪の毛にキス……キス?! ちょっとこういうの、本当にちょっと──ドキドキしてしまう。
「お嬢──アニタ様」
「ん……うん」
髪にキスをした姿勢のまま、ディアスが私を見る。
舞台から漏れるほのかな明かりが、彼の表情を照らす。
あれ、ディアスの瞳ってこんな色だっけ。
これって……私のドレスの色では?
──それに気付いた途端、私の頬は一気に熱くなった。
私は今、ディアスの瞳の色の服を纏っているんだ。
え、それって。
いや、私が決めたわけじゃないけど、でも。
だけど。
それが妙に嬉しいと感じてしまった。
つまりそれは、そういうことであるわけで。
「私、ディアスのこと好きなのかも」
「……お嬢?」
思わず口をついて出た言葉に、ディアスが固まる。
あ、やばい。
これは、言ってはいけなかった? 嫌がられるかな。
今日この場で言う必要は、なかったのかもしれない。
どうしよう。
せっかくの時間を楽しんでから、言えば良かったのかもしれない。
でも、さっきまでのディアスは、私のこと嫌っているような感じではなかった。
だけどもしかして、こういう場所では、ああするのが、一般的なマナーだっただけ?
もしもそうだとしたら、私はディアスと今まで通り話をするのも難しくなるのだろうか。
どうしよう……!
焦って、不安になって、目を何度も瞬かせてしまう。
そんな私に、ディアスはゆっくりと瞳を細めた。
そうして。
「アニタ様」
私の体が、ディアスの腕の中に引き込まれる。
「わわっ」
「だから、もっと色っぽい声を、と言ってるじゃないですか」
「ディアスの声が……色っぽいから無理ぃ」
「俺の声を色っぽいと感じてくれているなら、重畳です」
ディアスに抱きしめられた私は、彼の胸板をがっつりと感じてしまう。
彼の心臓の音が聞こえる。
ディアスの心臓の音、初めて聞くけど、結構早い。
――早い?
それはつまりもしかして?
そういうことで良いの?
ねぇ、ディアス。そういうことなの?
「お嬢。お嬢。アニタ様」
小さな声で、私を呼ぶ。
ただそれだけのことなのに、なんだかとても嬉しい。
彼の体がゆっくりと離れていく。
体温が遠くなることが寂しく感じるなんて、ほんの数分前の自分では、思いもしなかっただろう。
ゆっくりと、彼の体が動く。
そうして、ディアスが私の前に、跪いた。
あ、これって。
そう思ったのと、同じタイミングで。
「アニタ・モルニカ様。俺はあなたを恋慕っております。どうか、俺をあなたの伴侶として、お選びいただけませんか?」
私の手を取り、まるで懇願するような瞳で──いや、これは懇願しているのだろう──私を見た。
舞台上では、お芝居が進む。
音楽が鳴り、まるで私たちを祝福しているかのような、軽やかなメロディが聞こえてきた。
私の答えなんて、決まっている。
「一緒に我が子爵領に、骨を埋めてください」
ディアスの手を取り、私から彼の手に口付けをした。
「……っ! ディア……!」
意趣返しをしたつもりだったのに、ディアスに再び抱きしめられてしまう。
「愛しています、アニタ様」
私がそれに返事をしようとしたところで、ディアスの続ける言葉に、固まってしまった。




