墜ちる㕶星、拾う百萬星。 〜48
形の上では、「国連軍」による攻撃の中核を担ったフィリピン海軍に追われて、人民解放軍・海軍の南海艦隊は「転進」の真っ最中だ。
ーーー誰が攻撃を担当したのか。
おそらく、南海艦隊の現場にいる指揮官にとって、誰がは大した問題ではなかった(どの程度かの方が余程に差し迫った問題だった)。
だが、後方に控えている偉大なる党の新しい支配者達としては、、誰ではなく、どの程度かでもなく、何故の方がは深刻極まりない問題となっていた。
ーーー幸先が悪いじゃないか。
支配者が代替わりした途端に、紛う無き正義の象徴である解放軍が、悪辣且つ格下の武装組織如きに撲り負けるのはよろしくない。
自らが今まで見下していて、今後末永く扱き下ろし続ける予定のフィリピン共和国の軍隊に、道徳的大正義である自国の艦隊が窮地に追い込まれた。この現実は単なる間違いであり、可及的速やかに修正されなければならない。吐き気に襲われるほどの悪徳の極みだった。
戦線から遠く離れた所にいると、実に心の余裕を広く持つ事が出来る事の証明である。
一歩間違えれば即死に追い込まれる戦線にいれば、即死に追い込まれる順番を少しでも後回しにしてもらう為にはどう行動すれば良いのかだけを気にする。だから、心の余裕は運命を逆転させる為の贄として炎へとくべられ、生死に直結しない判断は最後尾へと繰り返し回される。
とりあえず、南海艦隊は、空軍には大陸側から空軍戦力を艦隊防空として回し、陸軍とロケット軍には地対艦ミサイルによる援護攻撃をしてくれる様に依頼した。そして、自前の艦載戦闘機が空母へ着艦して補給が不可能な事から、空中給油機を回してくれる様にも依頼した。
「国連軍」は、それらの通信内容を約10秒の時差で取得して、その情報に接した者は誰もが賞賛を送った。巨大な被害にめげることなく、一秒も無駄にせず、南海艦隊が生き残る可能性を出来る限り積み上げる努力。しかも、精神的にタフで、頭の回転も頗る速い。
ーーーこちら側に生まれて居てくれれば・・・。
これが「国連軍」の本音だった。なかなか崩れない南海艦隊に首脳部に対して、心中で「余人を以て代えがたい」と賞賛を送った。
或いは、「情報支援部隊」の重要職にでも就いて、実際にやっていた様に各解放軍を締め上げて忠誠を強要するよりも、有識者達が密かに期待していた通りに、本当の意味での調整役として組織を機能させていてくれていればと惜しんだ。
そうであれば、偉大なる党は自分達か置かれている現実をしっかりと認識出来ただろう。自らの実力をキチンを把握出来ていさえすれば、敢えて無謀な戦いで挑戦する事なく、戦力を維持したまま交渉と言う血を流さない種類の戦争を選択する事も出来たのはないかと考えずにはいられなかったからだ。
人民共和国の戦力は帳簿上では素晴らしい。実際、規模的には世界第二位である。だが、自身では世界第一位であると、誤認してしまった所に今回の会戦を引き起こしてしまった原因を求める事が出来た。下から上へと上げられる情報では、事あるごとに数字が盛られた。盛る担当者達は、自分一人くらいが盛っても構わないだろうと甘く考えていた。
だが、盛る担当者の数はたった一人ではなく、一項目の数値あたりで推定出来るだけでおよそ150人。つまり、何度も盛り行為が繰り返され、支配者の手元に届く頃には元の数値が推測出来ないくらいに変異を遂げている。それも、担当者にとって都合が良いベクトル限定で。
それを何十年も続ければ、自国の不敗神話は容易に成立する。堕落振りが激しいと批判される他国について、自分達で付いていた嘘を自身が信じられる様にも成れる。
人民共和国は恥を知らない。揶揄ではない。人民と共和国を指導する偉大なる党は、絶対に間違いを犯さない。何故なら、恥じ入るにも偉大なる党からの許可が絶対的に不可欠なのだから。
ーーー偉大なる党が人民共和国に恥を掻くことを許さないからだ!!
だから、人民と共和国が恥じ入る必要は長大な歴史を通して一つもなかったし、恥じる必要のある現在もないし、未来永劫に渡って恥じる行動などする余地もない。
もし、恥を感じるのならば、それは堕落振りが激しいと批判される他国による隠謀が有効打を与えた時に限られる。例えば、国際会議の場で言い掛かりを付けられたり、外交関係上の濡れ衣を着せられる事によって、面子に傷が付けられた時、場合、場面でのみである。
すべての不都合は、自国を取り巻く世界の大隠謀によるものである。悪いのは世界。間違っているのは世界。だから、解放してあげるべきは世界である。これは「慈悲深さ」の発露である。
なお、自国の恥をそそいだ同志には、平等に「免罪七年と四〇日」が与えられる(完全免罪については、真の共産主義者だけに与えられる名誉)。
さあ、斗え、労働者よ。無産階級よ。ブルジョワジーによって虐げられて日々を送る賃金労働者階級よ!!
こうやって、今この時の為体へと通じる道が敷かれたのだ。
顔も名前も知られていない南海艦隊の指令官は、そんな妄想と現実の狭間を埋める為に生じるハラスメントと戦う、未だに正気を保っている数少ない人間の一人だった。
正直、戦争に限らず、どんな状況でも己の生命の危機を前にして、まともな判断を繰り返し下せる様な人材は極めて貴重だ。何故なら、己の生命の危機なんてそう何度も体験出来るものではない。だいたいの場合、一度経験したら、そのまま生命を失ってしまう場合が多い。だから、慣れた人間なんてそう多くいる筈がない。
しかも、南海艦隊の指令官は、今回は自分の命だけでなく、多くの部下達の命を狭い両肩に背負った上で、まともな判断を繰り返し下せている。きっと、平然とした顔をしていても、胸の奥にある心臓が死に神に握り潰される程のプレッシャーに曝されているに違いない。
真面に考えれば、そんな事が出来る貴重な人材を、こんな下らない戦いで浪費してしまうには惜し過ぎる。
だが、「国連軍」はこうも予想していた。すぐに、現場にいる南海艦隊の指令官が下す「まともな判断」を台無しにする様な命令が、これから立て続けに、極めて安全な後方に身を隠す者達から、もたらされるだろう事を。
もしかしたら、今、南海艦隊の指揮を執っている人物の手に委ねれてしまえば、少なくとも人的被害に関してだけならば、これ以上積み上げる悲劇は避けられるだろう。しかし、絶対にそうはならない。後方からの夢見がちな命令が下されなくても、現場に送り込まれている政治士官による、(民主主義国家の軍隊の価値観によれば)極めて的外れな作戦への介入が始まるからだ。
政治士官は、偉大なる党的道徳観による、彼等なりの正しい価値観にそって行動する事は間違いない。もし、人民共和国内だけで完結する話であれば、偉大なる党的道徳観は最後まで貫けるだろう。しかし、そこに合衆国の価値観=合理性が加われば、そこから先は精神的な話ではなく、物理的な話へと変わる。
物理的な鬩ぎ合いになれば、そこで発揮されるのは物理エネルギーの高低だけで、道徳な要素は全く配慮されずに勝負が付いてしまう。
道徳、道徳と、やたらに口走るある種の人々が、そうやって口撃を繰り返すのには明確な理由がある。それは、彼等の主張が、論理的だったり合理的であったりする事例は観測不可能な程に稀少だからだ。上から目線で道徳を語って、論理や合理を暴力的に排除しなければ、口喧嘩で負けてしまうからだ。
ーーーそれ以外に、不愉快な状況を覆せる正しさを持ち合わせていないからだ。
しかし、逆説的に考えると、道徳、道徳と責め立てる戦い方は、論理主義者や合理主義者以外には効果がない。つまり、同類同士では有効的ではない。何故かと言えば、非論理主義者や非合理主義者であれば、道徳、道徳と叫ぼうが、何も気にせず、何の負い目も感じずひたすらに、物理的な攻撃をひたすらに差し向けて来るからだ。同類同士では、物理エネルギーの高低だけで勝負が付いてしまうせいで、だ。
一般人は、意識の統合機能を喪失気味の者には絶対に勝てない理屈はそこにある。一方で、意識の統合機能を喪失気味の者同士の戦いには、絶対的に勝者はいない理由はそこにこそある。
やはり。最終的には、話し合いよりも殴り合いによる会話が必要だ。筋肉こそが全てを解決してくれる。或いは、脳筋こそが時代から求められているのかも知れない。
もし、人民共和国内だけで完結する勝負であれば、偉大なる党的道徳観で正しければ、幼稚園生が大学生を殴り倒すと言う結果も有り触れている。しかし、それは飽くまでローカル・ルールに過ぎず、グローバルな世界で通用するモノではない。それでも、グローバルな世界を知らない者には、ローカル・ルールが宇宙の果てまで有効な物理法則を超越しているとしか考えられない。いや、それ以外は想像出来ない。
しかし、それは、グローバルな世界の価値観で測れば、「科学」ではなく「宗教」でしかない。もう、信仰の領域の話である。限定的な領域でしか成立しない常識である。だが、それをいくら懇切丁寧に説いても無駄である。過去に、「宗教」が「科学」を覆した例が豊富だが、「科学」が「宗教」を覆す例と言うのはごく最近になってやっと観測可能となった珍事に過ぎないからである。
そして、「宗教」が生み出す信仰には、「科学」が生み出す観測・証明主義と違って、心の持ち様を強要する者と強要される者へと二分する局面が発生する。だから、「宗教」には異端があり、「科学」にそれはない。ただ、観測・証明主義を無視する「似非科学」があるだけである。
ーーー道徳と言うものは、「宗教」の一面であり、科学とは何の縁もない。
今、信仰を強要する者は偉大なる党であり、強要される者は南海艦隊にいる名も無き指揮官である。
ーーー怨んでくれるなよ。これまで十分に楽しめただろう?
これからは支払いのターンである。娯楽は無料ではない。楽しんだならその分の支払いを受けることになる。こればかりは避け様がない。何故なら、だいたい落ち目の真っ直中に襲って来る不幸であるからだ。
"USS ジョージ・W・ブッシュ(CVN-83)"内に設置された「国連軍」の司令部に立つ艦隊司令官は、見えない敵に向けて心中でそう語りかけた。その後に、自分の胸の前で密かに十字を切った。そして、
日本国・海上自衛軍の航空輸送艦"いずも"に積まれている、"「Surprise box」を開けろ”との命令を下した。
"いずも"は艦隊内のやや外殻側へと移動し、前方空域に長大な空白空間を確保した。そして、「艦載機の発艦」を示す旗りゅう信号を事前の打ち合わせ通り掲揚した。全艦艇が、念のためにCIWS等の自動防衛システムの索敵を手動でオフにした。この艦隊に、合同演習への参加経験の乏しい軍隊の艦艇が混ざっている事への配慮である。
"いずも"の全通飛行甲は最初から"空"である。つまり、何も乗せられていない。駐機は本当にゼロだ。ロッキード・マーチン・F-35B「ライトニング II」も、対潜ヘリコプターの姿も見えない。まるで、簡易航空母艦、あるいは強襲揚陸艦扱いでありながら、平時のドック型輸送揚陸艦のおおすみ型輸送艦の様な出で立ちで艦隊に混じって航行していた。だから、見る者が見れば、その出で立ちを見て抱く違和感は大きかった。
とても、"いずも"が戦闘を控えた戦闘艦であるとは思えなかった。前級のひゅうが級のオリジナル仕様の様に、甲板にVSLを装備している訳でもないので、外観を見たままの理解や解釈では全くの役立たずである。それどころか、ほとんど武装が施されていないので、自艦の安全を独力で確保する事も出来ない。だから、周辺の艦による防空支援が不可欠な他艦任せがデフォルトの仕様である。
まさに、役立たずの状態にしか見えなかった。
だがしかし、艦隊に加わっている意義はこれから直ぐに示される。
"いずも"の後部エレベーターから、全長4m程度の物体がまとめて艦内格納庫から持ち上げられる。それらは、持ち上げられたジェットブラスト・ディフレクターを上手に避けて発艦位置を目指して移動する。それぞれが十分な相対距離を確保してから、収納目的に折り畳まれていた主翼を自力で展開して、次から次へと加速を始める。全通飛行甲板上でカタパルトに頼らない、自力の滑走を始めて、甲板の先端へ辿り着く前にふわりふわりと発艦して行く。
後部エレベーターはその後も上下を往復を繰り返して、全長4m程度の物体、固定翼の無人航空機を大量に運び上げた。
驚く程に速やかに、約500機の無人航空機が発艦を終えた。しばらく「国連軍」艦隊の上空を飛行していた。すると、
やがて、白い日の丸を背負った見慣れない複座型の戦闘機の二機編隊がルソン島方面から現れた。
艦隊旗艦である"USS ジョージ・W・ブッシュ(CVN-83)"内の大型ディスプレイ上には、二つの「鳥居」を模したデザインの識別表が友軍機として表示される。
その中の「鳥居」の一つ、片方だけが何故か赤色で点滅している、編隊長と言う訳ではなさそうだった。それよりも、精神的な何かが特別である事を示している様に見えた。
二つの「鳥居」の識別表は、「国連軍」艦隊へ近付き、約500機の無人航空機と合流した。
川崎・XF-4A。三菱・F-3シリーズの後継機ではなく、 自衛軍におけるロッキード・マーチン・F-35A「ライトニング II」の後釜として開発されている次世代機である。
驚いた事に、合衆国の一昔前の海軍機の様に「複座型」が基本仕様として採用されていた。この時代では大変に珍しい。
垂直尾翼が生えていない点は驚きはない。全高がとても薄い点も同様だ。だが、それが故にコックピットもまるで第三世代機へ戻ったかの様に、いや、作戦飛行中は前が見えないソ連製の超音速試作爆撃機、スホーイ・T-4の様な、前方視界を完全に無視したデザインが採用されていた点は珍しいかも知れない。
パイロットが機外の情報を収集する為に用意されていたのは、ソ連ではお馴染みとなっていた潜望鏡ではなく、電子光学分散開口システムだった。360度全面の視覚情報を電子的な手段で収集していた。
肉眼を持ち合わせる生身のパイロットであればヘッド・マウント・ディスプレイ経由で情報が提供された。第二小脳経由をインストールした生身、または擬体保持者であれば視覚野へと直接にアップロードされていた。そうでなければ、離陸から着陸まで完全な計器飛行で完結可能な能力が求められた。
まだ、初飛行を終えた事を知っている関係者も少なかった。そして、開発計画に深く携わっている者達にとっても、実機を通じた基本的なデータを収集・確認中と認識されていた。
量産に向けた試作二号機までしか組み上げられていない筈の、「せいぜい飛ぶのがやっと」と言う完成レベルで、ソフトウェア的に多くを求め過ぎた為に、「飛行中にどんな不具合が出るか全く予想も出来ない」と言う印象が共有されていた。
つまり、業界ではまだまだ開発には時間が掛かる。開発期間は順調に延長される。かなり、難産となるかも知れないと予想されていたのだ。
だが、実際は違った。コンピューターによるシミュレーション空間で、ハードもソフトもかなり成熟を終えていた。この川崎・XF-4Aは、検証用と言うには余りに良く出来ていて、ブロック1としてではなく、ブロック2としてほぼ完成されていた。
この場合のブロック2は、限定的な実戦を可能とするレベルであった。
別に日本国の国防省が、国民を裏切った訳ではない。国会の野党様を軽く見た訳でもない(あしらいはしただろうが)。
前者に対しては、ただ、コンピューターによるシミュレーションによる機体設計をその比較、トライ&エラーがこれほどに上手く行くと思っていなかっただけである。検証用試作機をすっとばすだけでなく、量産用試作機を短時間で現実世界へと召喚出切るとは嬉しい誤算があっただけである。
後者に対しては、ただ、後者が勉強不足でコンピューターによるシミュレーションで機体を設計すると言う報告書を事前に配布されていながら、それがどういう事なのかまったく理解出来ていなかっただけである。
彼等は、特に立場的に身動きの取りにくい者を選んで屁理屈を捏ねたり、理不尽な恫喝を行う事にかけては、まさに天の神から与えられたギフトとしか思えないほ程に、類い希な才能を発揮する。その一方で、他人の知恵を謙虚に受け止めるのは極めて不得手だった。
それが幸いしたのだ。機密は守られた。人間、何が幸いとなるのか。本当にわからないものである。
実際、ソフト面の設計と検証は、機体制御だけでなく、特に拡張機能の実装に関しては、現実世界で行うには危険過ぎた。シミュレーションで十分に使えるレベルに発展するまで、現実世界で試すわけにはいかなかったのだ。
しかし、今では、それらの懸念がほぼ解消されたか、表面化し難い所まで追い詰めたか、次のブロックへアップデートが可能となるまで一時的に封印するなどの立派な対策が採られていた。
一般的に流通しているいる製品でも、こう言う事例はけっこう多い。市販寸前のベータ機に搭載されていた機能を実装するには時期尚早と判断し、不特定多数へ向けて大量に販売される量産品では封印する。その後に「Mark II」モデル、或いは新型モデルで、キチンと実用的と判断されるレベルまで仕上げて実装する(※)。
制空戦闘機である瀋陽・J-11シリーズで構成された航空隊が、大陸方面から向かって来ている。AVIC・J-20等の第五世代戦闘機は、ラオス戦線の方へ駆り出された後である。そのせいで、南シナ海沿岸付近の航空基地には、第四・五世代戦闘機制空戦闘機しか残されていなかった。
だが、J-11シリーズは本家の、旧ソ連の旧スホーイが開発したSu-27SKを素直に無断コピーした機体であるだけに、有視界戦闘での格闘戦では後から開発したステルス機のAVIC・J-20よりも厄介な相手である。
おそらく、オリジナル・エンジンのロシア製のAL-31Fは既に失われ、自国産であるWS-10系へと載せ替えられているだろう。本当ならば空気の吸い込む規格がそれぞれのエンジンは異なるので、空気取り入れ口は専用に設計しなければならない。しかし、J-11シリーズはパクリ元の仕様のままである。そのせいか、スロットル絞った状態では、吸い込む空気が異常流入する事も多かった、
だが、それでも、旧ソ連が本気で第三次世界大戦を戦う為に、高コストを無理して採用したSu-27SKが誇っていた変態機動の片鱗は発揮可能だった。
全て合わせて30機ほどが、南洋艦隊の上空を守ろうと南シナ海上空を高速で飛行中。
川崎・XF-4Aは、約500機の固定翼の無人航空機を従えて、たった一機で大量のJ-11シリーズの前に立ちはだかろうとしている。
J-11シリーズのフェーズド・アレイ・レーダーが容赦なくレーダー波を当てて来る。おそらく、空対空ミサイル、PL-12かPL-15のあたりを準備している。しかし、敵側のFCSによるロックの警告が行われない。おそらく、川崎・XF-4Aをレーダーでキチンと捉えられずに困っているのだ。
J-11シリーズ、どうやら、J-11Dであるらしい敵機が、フェーズド・アレイ・レーダーから赤外線捜索追尾システムへ切り替えようとした瞬間に、川崎・XF-4Aは後方に下がって、電子的に姿を隠した。
おそらく、一部の無人航空機がネットワークの中継器として「親機」と「子機群」の間へ配置されたのだろう。そして、実戦部位を担当する事が決まった残りの約500機の固定翼の無人航空機だけが、J-11Dの群を目指して前進を続ける。
J-11Dが、レーダーで捉えられる航空自衛軍の無人航空機に向かって、空対空ミサイルを放った。とりあえず、手っ取り早く数を早々に減らそうと言う戦術を採ったのだろう。しかし、後方に下がった川崎・XF-4Aの後部座席に収まっている全身擬体の電子士官が、ECM戦をしかける。空対空ミサイルは、ほとんどが目標をロストしてどこかへと飛び去った。
後は、放っておいても、推進剤を直ぐに使い果たして、空対空ミサイル勝手に海面へと落下するだろう。もしかしたら、その辺りに南海艦隊の艦艇がいるかも知れないが、それは自己責任の範疇である。
航空自衛軍の無人航空機は、味方の犠牲で得た幸運を的確に活用する。そこでJ-11Dを確実に捉えて固体燃料の補助ロケットに点火。ただちに、音速突破して、J-11Dの群との距離を詰める。
狙われたJ-11Dの群は、個別の回避行動を取りながら、迫る無人航空機を確実でFCSでロック可能な相対位置を強奪しようと試みる。
J-11Dと無人航空機とでは格が異なる。まともな勝負が成立する訳がない。ただし、それは1対1、One on Oneと言う条件であればだ。
無人航空機は、個ではなく、群としてJ-11Dとの戦いを始めていた。
J-11Dの群にとっての誤算は、FCSでロックでする無人航空機と、実際に攻撃を行う無人航空機が同一の機体でなければならないと言う「縛り」が、航空自衛軍の新機材には存在していなかった事かも知れない。
無人航空機は、メッシュ・ネットワークによる相互通信で協調しながら、一定間隔の編隊を解いて一件バラバラに見える軌道を描きながらJ-11Dへと迫る。運良く、いや、事前の計算で割り出されていた敵機のいくつかの未来位置へ進出していた個体の中の、もっとも理想的なポジションへ近付いていた一機が、J-11Dの放った空対空ミサイルで撃墜される。しかし、集団の先頭にいた個体の役割を、付近を飛行していた別個体へとシームレスにハンドオーバーされる。そのまま、滞りなく戦闘は継続される。
ーーー個で活動するのではなく、群として活動しているのだ。
無人航空機は、自己判断で自律戦闘を行っているが、時折、川崎・XF-4Aからの指示や総合的な情報を受信する。群れの仲間同士で密に連携を謀り、「協調」、「自律性」、「柔軟性」を発揮しながら、じょじょにJ-11Dを孤立させ、追い詰めていく。まるで、将棋の勝負を行っている様に、1を失って、3を奪い、その積み重ねで、消耗戦の末にある最終的な勝利を取りに行く。
有人機対無人機の戦闘で厄介なのは、人間の消耗率である。有人機側は人間と機材のコスト問題を持つが、無人機側は飽くまでも機材のコスト問題しか持たない。つまり、いくらでも替えが効く。また、機材を失う事が前提の戦闘計画を立てても人道上の問題はない。
有人機側は全滅させられれば戦力の再建に相当な教育期間を要する。しかし、無人機側は向上をフル稼働するだけで短期間で再建が可能だ。
川崎・XF-4Aが行っているのは、空戦史における、初めての実用的な「スウォーム攻撃」だった。第六世代戦闘機の資質の一つと言われる、無人航空機による総合的な戦術を更に一歩進めたコンセプトだ。未来コンセプトそのものは早期から提唱されていた。だが、これを実現出来る軍組織はなかなか現れなかった。
合衆国でさえ、無人航空機に「リーダー」と「フォロワー」と言う上下関係を取り入れていた。その概念を払拭する事は不可能と見積もられていた。そうしないと、何らかの事情で制御から外れてしまった無人航空機が無制限に自律戦闘を行う、徘徊型兵器となってしまう怖れがあったからだ。
しかし、川崎・XF-4A、それも「鳥居」を模したデザインの識別表を持つ特別、いや特殊な個体であれば、その枠を外す事が出来た。赤く点滅する識別表を持つ「鳥居機」の方を「ナビゲーター」として、良く訓練した猟犬の群に獲物の追い立てを全面的に任せる様に攻撃を遂行させる事が可能だった。
また、無人航空機が川崎・XF-4Aからの統率を失ったとしても、個々に別れて散らばると言う「性質」を発揮せず、そのまま群としての体裁を保つ「本能」を埋め込む事に成功していた。
川崎・XF-4Aは飽くまで指揮を担当する。後部座席の電子士官が、安価で小型な電子装備しか持たない隷属化にある無人航空機をサポートする。例えば、標的をロストした場合、川崎・XF-4Aからの情報を手取得して直ちに再捕捉する。例えば、圏外から新たな脅威が追加で投入される場合は、いち早く川崎・XF-4Aから警告と脅威に関する情報が送られる。
所詮は安物で、使い捨ての機体に過ぎない無人航空機であるが、電子頭脳のソフト面だけは開発するに当たって極めて大きめの予算が投入されている。判断は、無人航空機の電子頭脳が行う。しかし、判断を下すための材料は川崎・XF-4Aへ依存している。
指揮するだけなら、大型の輸送機を改造した空中指揮機を作れば良いかも知れない。しかし、電子戦も考慮して、戦闘空域のすぐ側まで指揮機が進出する都合上、高いステルス性と機敏な機動性を要する戦闘機である必要があった。
ーーー川崎・XF-4Aは、指揮機でありながら、敵機とのドッグファイトを噛ます戦闘力をある程度は与えられている。
1961年代に初飛行したソ連の超音速迎撃戦闘機である、Tu-128「フィドラー」とは違っていた。ただし、やはり、ドッグファイト性能では、三菱F-3シリーズに遠く及ばない。まったくコンセプトの違う機材同士の比較であるので、これは仕方のない事だ。
川崎・XF-4Aの後部座席の電子士官は、最小の犠牲を積極的に払って、最大の成果を棚ぼた式に獲得する戦略を採用していた。
J-11Dは、確かに、無人航空機を次から次へと撃墜している。落とされたのは一機や二機ではない。被害は無視出来ない程に大きい。しかし、無人航空機の迎撃に最適なポジションに付く事がそのものがこの空域での戦闘の効率を学び終えた人工知能の仕掛けた罠であった。多くのJ-11Dが、無人航空機を撃墜した直後に多方向からの集中攻撃を経験した。
ーーーまるで、訓練を受けた優秀な猟犬の群に追い立てられ、確実に追い詰められつつある大型獣の様に。
その全てが個々の判断で行われ、合理的な協業が偶発的に同時多発し、一つの「群」ではなく、まるで一つの「集合個体」であるかの様に機能する。どちらかと言うと「群体」に近そうだ。
"多数の個体が一つの目的の下に集合して、一つの個体になったの様な状態"
と表現するのが、目前でその様子を見守った者達が共有する印象に近そうだ。
J-11Dは、不規則に見える軌道を描いて囲み飛ぶ無人航空機が搭載するライトガス・ガンで、また一機、また一機と撃ち落とされて行く。また、無人航空機による体当たりを受けて、一機、また一機を海上へ墜落して行った。
中には、無人航空機の群に追い立てられたJ-11Dを、無人航空機の総意による依頼を受け、川崎・XF-4Aが中距離ミサイルを発射して直接的に迎撃したりもした。
川崎・XF-4Aと無人航空機の連携は実に巧妙に行われていた。ラオス北部の上空で行われた、朝間ナヲミが指揮していた。無人戦闘機を含めた三菱・F-3Eの部隊と比べると、派手な高機動などの見せ場は一切無かったが、明らかに確実に敵機を撃墜していった。
朝間ナヲミの飛行隊と比べると、川崎・XF-4Aと無人航空機の協業は、明らかにスマートだった。朝間ナヲミの飛行隊の戦い方を見ると、明らかに旧世代のそれだった。一方、川崎・XF-4Aと無人航空機の協業は、新しい世代のそれとしか思えなかった。
人間と機械が協業して限界を競い合う空戦は、直接的に生存権を奪い合うような戦闘の時代は、もうすでに完全に終わってしまったのかも知れない。
たった、15分で川崎・XF-4Aと無人航空機の協業は、人民解放軍・空軍の送ったJ-11Dと、人民解放軍・海軍のJ-15系の艦載機部隊を全滅させてしまった(軍事用語による「全滅」ではなく、全機撃墜である)。
空戦は一方的に終結した。
川崎・XF-4Aは、再び来た方向、ルソン島方面へと飛び去った。その時には、二つの「鳥居」の表示は見られなかった。既に僚機と同一のものへと変わっており、現れた時の様に赤色で点滅していなかった。
人民解放軍のフランカー擬きとの戦闘で生き残った無人航空機は、母艦である"いずも"へと帰還した。とは言え、1/4が撃墜され、更に1/2が損傷は大きく再利用不可能と自己判断して底が深い海上を選んで放棄され、格納庫へと戻って来れたのはたった1/4だけだった。
純粋な機数の比較では、30機 vs 500機と戦いであり、損耗率の比較は100% : 75%であった。ただし、通常運用を仮定した戦闘コストを比較すれば、「国連軍」の大勝利となっていた。何と言っても,人的被害がゼロと言うんがコストの数値を大幅に下げてくれた。
無人の"いずも"の甲板に、後方から無人航空機は着艦する。降りた順から、甲板先端付近に集まる。全機が着艦を終えると、今度は順々に後部エレベーター上へと移動する。そして、次々と艦内格納庫へと収納されて行く。発艦と着艦をサポートする甲板要員は、最初から最後まで姿を表さなかった。
ーーーIt' s automatic.
すべては自動で行われた。依頼した通りに完結した。そこに、人間が関与する必然性は一切見られなかった。機械が人間の手を離れて、自律し始めている事は明白な事実だった。
そして、少なくとも高いリスクに曝される甲板面での人間による労働は全く不要だった。それでも強い海風や太陽光に曝される甲板上ではなく、快適とまでは言い難いがまだマシな格納庫内での作業の方が好ましかった。
何より、格納庫内に居続けられれば、万が一の事故や敵から攻撃に曝されても、爆風や何やらで海へと投げ出される心配はない。生き残った後に、海中から姿を表すサメの襲撃を怖れる必要もない。死んでしまったとしても、全身は無理でも、家族の元へ届けるべき四肢の一本くらいは残されるだろう。
得られた戦果は予想以上だった。
これらの結果に、喜びではなく苦虫を嚙み潰した様な表情を浮かべたのは、南海艦隊の司令官だけではなかった。艦隊旗艦である"USS ジョージ・W・ブッシュ(CVN-83)"内の大型ディスプレイを眺めていた、合衆国・海軍の士官も兵卒も、等しく不快感を示す"苦さ"を頬の動きで表現していた。
苦さを感じた者達の全てが、自分達が慣れ親しんで来た世界が過去もモノとなり始めていて、これからは得体の知れないモノが未来ではスタンダードとなるのだと、強制的に悟らされた。
余りに明解に解らされたので、主観的に気が付かない振りや誤解を装う事も難しいと、強制的に共感させたれた。
古き良きと言う価値観が通用しない世界がこれから到来する。気に入らなかろうが新しい価値観を受け入れるしかない。そして受け入れれば、戦闘に限らず平時の社会でも、不意に死傷させれる確率は確実に減る事は間違いない。
だから、得体の知れない新技術は、人類社会にすんなりと受け入れられ、新しいスタンダードとなるだろう。何故受け入れられるのか。それを受け入れる方が合理的だからだ。道徳的に拒否することも可能だろう。だが、それは単なる過去の常識への郷愁に過ぎず、大した意味がないどころか、相対的には極めて有害だ。
しかし、それでも。黙ってはいられない口惜しさが滲み出てしまう。だいたい、その苦さを飲み下したからと言って、直ちに納得したり、共感出来る筈もない。
ただ、自分達の次の世代であれば、この苦さを何の違和感もなく飲み下せるだろう事も知っていた。つまり、今、この衝撃的な事実に直面した者達は、等しく、「オールド・タイマー」となり掛けているのだ。この事実を不愉快と思わない者など居るはずもない。
南海艦隊は、こう言う経緯で艦隊防空を失った。もし、この被害を受けている最中に、手前にある香港を目指していれば、事態の好転までは無理にしても、最悪の到来を先延ばしくらいならば可能であったに違いない。何故なら、「国連軍」は人民共和国の沿岸部へ不用意に接近する様な危険は冒したくなかっただろうから。
ーーー誰だって、敵中の奥の奥までの深追いは避けたい。
しかし、怒り狂って我を失った偉大なる党は、南海艦隊に対して戦略変更を許容してくれなかった。求められたのは戦闘への積極性であって、消極性ではなかった。そんな事情で、南海艦隊はじり貧を覚悟で「国連軍」から可能な限り距離を取るために、前進を諦めて西沙諸島方面を目指して転進するしかなかった。
哲学者であるアリストテレスの言葉によれば、合理的である事が人間的に正しい事ではないらしい。そうであるならば、民主制アテネの主権者が共有していた価値観と、偉大なる党の価値観はかなり近かった様である。ただ、残念なのはアリストテレスが生きた時代は、ペリクレスが主導した黄金期の民主制都市国家アテネではなく、衆愚政治真っ直中のアテネであった事である。
やがて、南海艦隊は、海中に潜みながら航行する原子力潜水艦から、往路では見掛けなかった障害が西沙諸島の手前に存在しているとの警告を受けた。どうやら、魚雷管への注水音をソーナーでキャッチ出来る距離で、複数の、おそらくは自律無人潜水艦が立ち塞がっているらしいのだ。
位置をある程度特定される覚悟で発した注水音は、敢えて南海艦隊へと聞かせたものだろう。実際、脅威との相対距離は確定し様がないが、潜んでいる方向だけならばかなり絞り込めている。
自分から潜んでいる事を掴ませる様な行動に出た目的は、南海艦隊の進路の誘導と思われた。海南島の基地への帰還を強行すれば、途中で艦隊が少なくない被害を追うと言う警告だ。航空優勢には程遠い現状では、対潜ヘリコプターを進路上の海域へ向かわせて対潜活動を行わせる訳にはいかない。
また、自律無人潜水艦だけでなく、有人の通常動力潜水艦が追加で潜んでいる可能性もある。まさかとは思うが、その場合は、艦隊は背後から一方的に攻撃を受ける事が避けられないだろう。
現状の南海艦隊の指令官は、満身創痍とまでは言えなかったが、艦隊防空を完全に失って意気消沈中の部下達に、今度は「ソーナーだけで対潜戦を開始しろ」と命じる事が得策とも思えなかった。
極限まで戦意を喪失している部下達が、効率的な対潜戦を行えないと判断するしかなかった。このまま強行突破を試みれば、偉大なる党にとって想定外の事態が、許可していないに拘わらず、生じる事は確実だった。
南海艦隊の指令官は、肩から首筋を通って米噛みを貫く気怠さが徐々に痛みへと変わって行くのに気付いた。
そこでハタと気付く。直ぐ側にいる政治士官があまりにも長時間無口だ。自分の側に居る事すら忘れてしまうほどに静かだったのだ。気味が悪い。
政治士官様のご機嫌伺いをする為に、固くなった首を右に曲げる。すると、驚いた事に、、両足を膝の所でガタガタと震えさせている。
「長い間立ちっぱなしでした。お疲れになった事でしょう」
そうお声がけさせて頂いてた上で、無理にでも休憩を取る事を提案してみた。別に、気配りではない。南海艦隊幹部達の総意として、この部外者が不似合いな場所に立っている事が非常に目障りだったからだ。
政治士官は、渡りに舟と提案に対して熱烈に検討した後、実行に移す事を歓迎した。
「変わるべきなのは偉大なる党ではない。むしろ、世界が偉大なる党の都合に沿って変わらなければならない」
と言う謎の言葉を残してから、政治士官は御休憩に入った。
邪魔者の姿が見えなくなって、10分間経った。それでも戻って来ない事を確認した。いや、もう戻ってこないかも知れない。副官は参謀達が目と目を合わせて意思疎通を測ってから、南海艦隊の指令官と視線を合わせて強く頷いた。
南海艦隊の指令官も頷いて返す。そこにいた全員は、司令室内の空気が少しだけピンク色に染まった様な気がした。
後は、未だに手の内に残されている、とても数少なくなった、それでも主体的に実行可能な対応策を、片っ端から試していくだけだ。
南海艦隊の指令官は、これ幸いとばかりに、独断で、新たな艦隊防空用の航空戦力と、「国連軍」に追われている自分達、南海艦隊を立ち直らせるに不可欠な援軍の派遣を依頼した。
そんな都合の良いものが望み通りに送ってもらえるとは思えなかった。だが、部下達の手前、無駄とは解ってはいたが試さない訳にもいかなかった。
帰路を失った南海艦隊は、南沙諸島や、更にその奥に位置するヴェトナム沖やインドネシア沖の方面を向かって意味を見出せない南下を続けるしかなかった。
もちろん、「国連軍」も南海艦隊を追って南下を続けている。
※= だいたい、こう言う場合は、突然にメーカーの広報から連絡を受ける。そして、テストを終えたばかりのテスト機用のマニュアル上のいくつかの機能の章や段に赤線を入れる様にと依頼を受けるのだ。メーカー側としても極めて苦しい判断に違いない。テスターはレポートの再構成を要求される(構成不足のレポートを目にした事があるなら、きっとそれは原文がその手な試練に曝されたと言う辛い過去があるに違いない)。なお、ファームウェアのアップで機能の封印を解くケースは極めて少ないが、ない事もない。大抵の場合は、後継機種の開発に手間取り、長期間に渡って新型をリリースが出来ないと言う苦しい事情が見受けられる。なお、守秘義務とか言うものがあり、事前情報に正しくアクセスしている者は、大抵の場合は情報に接する前にしっかりとサインさせられている・・・、アレだ。くそ。