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六話 フルスロットル善悪

 秋の風が心地よく吹き抜ける昼下がり。大学の講義を終えた俺は、最寄り駅へ続く歩道をトボトボと歩いていた。

 空腹も覚え、どこかで遅めの昼飯でも食うかと思案していたのだが──それどころではない異常事態が、俺の脳内で発生していた。

 

「だーかーら! 昨晩のあれは貴方が『もっと激しくしてほしい』とおねだりしてきたからじゃないですか! 僕は貴方の望みを叶えてあげただけです!」

「限度ってモンがあんだろバカ天使! 『もっと』って言ったのは態度の話だ! 誰が真夜中にあんなエグい体勢で三回もぶっ続けろっつったよ!? おかげで腰が砕けそうなんだよ!!」

「それは貴方の体力がなさすぎるだけです! 僕の愛を受け止める覚悟が足りないのでは!?」

「あぁん!? 愛だぁ!? 配慮の足りねぇ自己満足を愛って呼ぶな!!」

 

(うるっっっっっっっっっさ!!!!)

 

 俺は歩道の真ん中でこめかみを強く押さえた。

 脳内で繰り広げられる、いつも以上に最低で生々しい大喧嘩。

 いつもなら天使が圧倒的なドSパワーで悪魔を言い負かし、悪魔が真っ赤になって逃げ出すのがお決まりのパターンだ。しかし今日に限っては、悪魔も相当にお怒りと見えてガチの怒号を浴びせている。

 そして──一番の被害者は、二人の喧嘩に脳みその領域をジャックされているこの俺だった。

 

「……はっ!」

 

 不意に、脳内を強烈な『善のウェーブ』が駆け巡った。

 天使の怒りの波動と同調するように、俺の視界が謎の聖なる光で満たされる。

 

「あ、危ない……! こんなところに落ち葉が……!」

 

 俺は突如として吸い寄せられるように道端へかがみ込み、一枚の黄色く色づいた落ち葉を両手で優しく包み込んだ。

「通行人が踏んで滑ったら大変だ……! 地球の生態系を守らねば……! 街の美化に貢献するんだ……!」

 

 目から涙を流しながら、落ち葉をそっと街路樹の根元へと戻す。

 道行く女子大生ふたり組が「あの人、落ち葉拾って泣いてない……?」「関わらんとこ……」と引き気味に去っていくのが見えた。死にたい。

 だが、俺の恥ずかしさが限界に達する間もなく、今度は強烈な『悪の衝動』が脳髄を突刺した。

 悪魔のブチギレ波動が、俺の精神をダイレクトに汚染したのだ。

 

「……あぁ!?」

 

 目の前の歩道で、平和そうにパンくずを突いていた数羽のハトと目が合った。

 

「何見てんだコラァ!! 俺の目の前を我が物顔で歩いてんじゃねぇぞ羽虫どもが!! 胸肉にして焼き鳥にするぞオラァッ!!」

「ポッ!?」

 

 俺は両腕を振り上げ、地獄の亡者のような顔でハトに向かって猛ダッシュした。パニックを起こしたハトたちが一斉にバサバサと羽ばたき、空へと逃げていく。

 ハトを散らす成人男性。周囲の通行人があからさまに距離を取り、スマホを取り出そうとしている。

 

(ヤバい……! このままだと俺、マジで警察に通報されて不審者で逮捕される……!!)

 

「頼むからやめてくれぇぇ!!」

 

 俺はたまらず近くの公園へ飛び込み、人気のないベンチに崩れ落ちた。

 頭を両手で抱え込み、心の中で全力の叫びを上げる。

 

「お前らいい加減にしろ!! 脳内で善と悪の喧嘩を繰り広げるな! おかげで俺の精神が極端に振り切れまくって社会的に死にそうなんだよ!!」

 

 俺の悲痛な叫びに、脳内の二人が一瞬だけピタリと会話を止めた。

 空間が歪み、俺の目の前に漆黒のモヤと神々しい光が同時に現れる。

 いつもなら並んで宙に浮く二人だが、今日は露骨にお互い反対方向を向き、プイッと横を向いていた。

 

「……すみませんご主人。ですが、今回ばかりは悪魔さんが聞き分けなさすぎるのです。僕の愛を受け入れないなんて、パートナー失格ですよ」

「ハッ! 愛だかなんだか知らねぇがな、相手の身体のことも考えられねぇやつにパートナー面されたくねぇね! お前なんか今日からただの『生意気な天使』だ!」

「……へぇ。僕をただの天使に戻す、と? 昨晩あんなに僕の首に抱きついておいて、よく言えたものですね」

「~ッ!! だ、誰も抱きついてねぇ!! アレはお前が無理やり──」

「うるせぇぇぇぇぇぇぇ!!! だまれぇぇぇぇぇ!!!」

 

 公園内に俺の咆哮が響き渡った。公園の隅で遊んでいた幼子がヒッと息をのんで母親の陰に隠れるが、今の俺にはもう周りを気にする余裕すらない。

 

「いいか!? よく聞けお前ら!!」

 

 俺は二人を交互に指さし、息を荒げながら捲し立てた。

 

「お前らが喧嘩してる本当の原因はな! 『配慮不足』でも『体力が足りない』でもねぇんだよ!!」

「「え?」」

 

 思いがけない言葉だったのか、天使と悪魔が同時に目を丸くして俺を見た。

 

「お前らが喧嘩してんのはなぁ!! お互いに好きすぎるからだろーーーがッ!!!!」

「……は?」

「……へ?」

「天使!! お前は悪魔のことが好きすぎて、昨晩テンション上がって歯止めが効かなくなったんだろ!? 悪魔を自分だけのものにしたくて、限界まで愛したくて歯車が狂ったんだろ!?」

「っ……! そ、それは……否定はしませんが……」

 

 天使の整った顔が、わかりやすく朱に染まっていく。糸目が動揺でパチパチと開いた。

 

「そして悪魔!! お前だってな、天使のことが嫌いになったわけじゃねぇんだろ!? 『もっと優しく愛されたかった』『もっと自分の身体を労わってほしかった』っていう、ただの甘えと寂しさの裏返しなんだよ!! 要するに、もっと大事にされたいって言いたいだけだろ!!」

「~~~~~ッっっっ!?!?」

 

 悪魔の顔面が爆発した。真紅の瞳を激しく泳がせ、真っ赤になった耳を隠すように漆黒の翼で顔を覆い隠す。

 

「な、ななな何言ってんだテメぇぇぇ!! 誰が甘えたいだ!? 誰が大事にされたいだ!! 殺すぞバカ人間!!」

「図星だろ!! お前ら、お互いの愛が重すぎて、照れくささと意地の張り合いで自爆してんだよ!! 脳内でノロケ合いながら喧嘩すんな!! ハトを追いかけさせられた俺の身にもなれ!!」

 

 公園に、静寂が訪れた。

 俺の魂の叫びが響き渡ったあと、天使と悪魔は気まずそうにお互いを盗み見た。

 

「……悪魔さん」

「……なんだよ」

 

 天使はゆっくりと空中を滑るように歩み寄り、顔を隠している悪魔の手にそっと触れた。

 

「……すみませんでした。僕が貴方を愛するあまり、加減を誤ってしまいました。『もっと大切にしてほしい』という貴方の可愛い SOS を見抜けなかった僕の不覚です」

「~っ! だから可愛いとか言うな……っ!」

「今夜は……そうですね、身体に負担をかけないよう、じっくり優しく撫で回すだけにしますから。許してくれますか?」

 

 天使が、いつもの神々しい糸目スマイル……ではなく、心からの申し訳なさと愛おしさを込めた、本気のイケメンスマイルを浮かべた。

 破壊力が段違いだ。脳内の悪魔どころか、見ていた俺まで「うわっ、男前……」と引いてしまうレベルだった。

 悪魔は翼の隙間からチラリと天使を見つめ、蚊の鳴くような声で呟いた。

 

「……別に、普通に抱く分には……いいけどよ……」

「悪魔さん……!」

「ただし! 変な道具使ったり、二回以上やろうとしたらマジで口きかねぇからな……!」

「ええ、約束します。……ああ、やっぱり僕の悪魔さんは世界一可愛いです」

「抱きつくなバカ! 人間が見てんだろ!」

 

 天使が悪魔をギューッと抱きしめ、悪魔は文句を言いながらもその胸に顔を埋めている。

 そこには先ほどまでの険悪な空気など微塵もなく、ただただ甘く重い、過剰なノロケ空間だけが広がっていた。

 

「…………」

 

 俺の脳内に、平穏が戻ってきた。

 極端な善の衝動も、暴走する悪の衝動も消え去り、いつもの凪のような精神状態に戻る。

 

「……はぁ。やっと治まったか」

 

 俺は疲れ果ててベンチ背もたれに倒れ込んだ。

 自分の脳内で言い合う二人を仲裁し、本心を暴いて強制仲直りさせる……。俺は一体何をやっているんだろうか。

 

「ご主人、ありがとうございました。おかげで目が覚めました」

 

 天使が満足そうな顔で俺に向き直る。その腕には、すっかり毒気を抜かれてトロンとした顔の悪魔が収まっていた。

 

「仲直りできたお礼と言っては何ですが、僕たちの『絆』がより深まったことで、今後はご主人の善悪の管理もより完璧に行えますよ」

「嫌な予感しかしないから、普通にしてくれ……」

「ほら、悪魔さんもご主人にお礼を」

「……サンキュ、人間。おかげで……その、あいつの本心が聞けた……」

 

 悪魔が照れくさそうに顔を背けながらお礼を言ってくる。

 まあ、二人が幸せならそれでいいのか……? いや、良くはない。俺の社会的人格はさっきのハトダッシュで著しく破損したのだから。

 

「よし、ではお部屋に戻って、仲直りのイチャイチャをしましょうか」

「だから言い方!!」

 

 黒いモヤと共に、二人は消えていった。

 残された俺は、秋空を見上げながら、深く深くため息をついた。

 

「……腹減ったな。ラーメンでも食って帰るか」

 

 こうして、俺の脳内と日常に平和が戻ったのだった。

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