↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
3/17

三話 割り込み成敗

 近所にパン屋がオープンした。

 前を通るたび、バターの甘い香りと香ばしい小麦の匂いが鼻腔をくすぐり、道ゆく人々の胃袋を無慈悲に刺激している。

 オープン記念の目玉商品は、1日限定五十個の『極上牛すじカレーパン』。テレビやSNSでも話題沸騰中で、連日大行列ができているらしい。

 

「よし……今日こそは絶対に手に入れてやる……!」

 

 休日、俺は目覚まし時計の音と共に跳ね起き、開店三十分前に現場へと突撃した。

 気合を入れてやってきたものの、すでに店の前にはズラリと長蛇の列ができている。カウントしてみると、俺はギリギリ四十番目あたり。なんとか限定枠には滑り込めそうなポジションだった。

 

 夏の日差しがじりじりと肌を焼く。汗をぬぐいながら、俺はスマートフォンの画面に目を落とし、じっとその時を待った。

 

 あと十分で開店という、まさにその時である。

 ドカドカと不躾な足音が近づいてきたかと思うと、俺の目の前に大きな影が覆いかぶさった。

 金髪に剃り込み、首元にはイカついタトゥーチラ見せ、さらには肩で風を切るような歩き方。どこからどう見ても『本職の方ですか?』と尋ねたくなるような強面のお兄さんだった。

 その男は、俺の顔を一瞥することすらなく、ごく自然な動作で俺の目の前──つまり行列の中に割り込んできたのだ。

 

「あっ……あの……」

 

 小心者の俺の喉から出たのは、蚊の鳴くような情けない声だった。

 男は聞こえていないのか、それとも無視を決め込んでいるのか、スマホを弄りながら煙草の箱を弄んでいる。

 

 くそっ、勇気を出して注意すべきか? いやでも、逆上されてボコボコにされたらどうする?

 

 俺の心の中で葛藤が渦巻き始めた、まさにその瞬間だった。

 

「おいおいおい! 舐められてられっかよ、ブチ切れてやろうぜ!!」

 

 ドスの効いた声と共に、俺の右肩の上に黒いモヤの中から悪魔が躍り出た。

 相変わらずの男前だが、今日はいつも以上に顔を真っ赤にして怒りを露わにしている。

 

「あいつ完全にハメてきてんぞ! 『こいつなら文句言えねぇだろ』って顔してたぜ!? 胸ぐら掴んで『おいゴラァ! 列の後ろ並び直せや!』って怒鳴り散らしてやれ!」

「いけません。要らぬ争いを生むだけです」

 

 左肩には、いつも通り神々しい光を纏った天使が優雅に舞い降りた。糸目を細め、静かな笑顔をたたえている。

 

「暴力や暴言は更なる暴力を生みます。ここはグッと堪えて、譲り合いの精神を持ちましょう。カレーパン一つで警察沙汰になるなど、愚の骨頂ですよ」

「なんだとバカ天使! お前は黙ってろ! ここで引いたら男がすたるんだよ!」

「はいはい、威勢がいいのは結構ですが、まずはその真っ赤になった顔をどうにかしたらどうですか?」

 

 いつもの善悪論争が始まった。

 まあ、言っていることはどちらも一理ある。悪魔の「舐められたままじゃ腹が立つ」という怒りは最もだし、天使の「変なトラブルに巻き込まれたくない」という保身もよくわかる。

 

 俺がどうすべきか悩んでいると──不意に、強面男の肩のあたりから、異質な気配が立ち上った。

 黒くドロッとした嫌なオーラと共に現れたのは、これまた見た目からして質の悪そうな悪魔だった。

 ツノは折れ曲がり、肌は不気味な紫色、ニヤニヤと下品な笑みを浮かべている。どうやら、あの強面兄ちゃんを担当している悪魔らしい。

 

「ヒヒッ……なんだなんだぁ? 弱小人間の脳内じゃ、随分と賑やかなお喋りが繰り広げられてるじゃねえか」

 

 強面悪魔は、俺の肩に乗る悪魔と天使を蔑むような目で見下ろした。

 

「おいおい、そこの悪魔ちゃんよぉ。お前、そんなヒョロい天使にいいようにされてんじゃねーよ。悪魔の面汚しが」

「あぁ……!?」

 

 俺の悪魔が眉をひそめ、不快そうに唸る。だが、強面悪魔の煽りはそれにとどまらなかった。

 

「だいたいよぉ、お前さっきからチラチラその天使の顔色伺ってんじゃねぇよ。主導権握られてんじゃねぇの? ゲハハッ! 天使のフンになり下がった弱小悪魔が、偉そうに人間に助言してんじゃねぇよ、ダセぇ!」

「なっ……! じゃ、弱小じゃねぇし! フンでもねぇよ!!」

 

 図星を突かれたのか、俺の悪魔は顔を真っ赤にして言い返すものの、どこか口ごもってしまう。なにせ、普段から天使にガチガチに握られているのは紛れもない事実なのだから。

 

「ハッ! 言い返せねぇってことは認めたようなもんだな! おいヒョロ天使、こんなナヨナヨした悪魔を飼い慣らして満足か? せいぜいおままごとでも──」

 

 ブチッ

 

 静かな空間に、何かが弾けるような音が響いた。

 一瞬で、周りの空気が凍りつく。

 あまりの威圧感に、俺は思わず背筋が凍りついた。

 ふと、左肩を見る。

 そこには、相変わらず「微笑んでいる」天使がいた。

だが、その糸目はわずかに開き、瞳の奥には底知れない漆黒の闇が揺らめいている。全身から放たれている光は、神々しさから一転、禍々しいほどの神罰の威圧へと変貌していた。

 

「……今、なんとおっしゃいましたか?」

 

 天使の声は、驚くほど低く、冷たかった。

 

「あ? あぁん? なんだよヒョロ天使、文句あんのか──」

「彼を、弱小呼ばわりした上に……僕との関係を『おままごと』と侮辱しましたね?」

「は? お前……」

「僕以外の者が、コレを愚弄することは絶対に許しません」

 

 天使がすっと右手を掲げた。

 次の瞬間。

 

 ──ドガッ!!!!

 

「ぐはっ!?」

 

 凄まじい衝撃音が脳内に響き渡った。

 天使が超至近距離から、強面悪魔の顔面に鋭いストレートを叩き込んだのだ。あまりの速度に、俺の目では拳が視認できなかった。

 

「え……?」

 

俺と悪魔は、ポカンと口を開けてその光景を見つめることしかできない。

 

「ガハッ……な、なにすんだテメぇ……!」

「黙りなさい」

 

 ──ボコッ! グギッ! ゴキッ!

 

「ギャアアアアアアアアッ!?」

 

 天使は言葉を挟む余地すら与えず、強面悪魔を地面に叩きつけると、馬乗りになって無慈悲な拳の雨を降らせた。

純白の翼を猛々しく羽ばたかせ、完璧なフォームから繰り出されるエグい打撃。関節を極め、骨を折り、喉元を絞め上げる。その手口は洗練されすぎていて、もはや拷問の域に達していた。

 

「この子がどれだけ可愛くて、どれだけ健気で、どれだけ夜に愛くるしい声を出すか、何も知らない癖に……!!」

「それここで言うなバカ天使!!」

 

 ボコボコにされている強面悪魔の横で、俺の悪魔が別の意味で致死量のダメージを受けて顔を爆発させている。

 

「ひいっ! ご、ごめっ……助け──」

「二度と僕たちの前に汚いツラを見せないでください」

 

 ──ドゴォォォン!!

 

 光の濁流のような蹴りが炸裂し、強面悪魔は悲鳴を上げながら遥か彼方の空へと吹き飛んでいった。星になったと言っても過言ではない。

 

 静寂が戻ってきた。

 天使はゆっくりと立ち上がると、乱れた服の裾を優雅に整え、ふぅと吐息を漏らした。

 その手には、どこから取り出したのか血を拭き取るための真っ白なハンカチが握られている。

 

「……ふぅ。お見苦しいところをお見せしました」


 天使はくるりと振り返り、いつもの神々しい糸目スマイルに戻った。

 

「ヒッ……!!」

 

 俺と悪魔は思わず肩を抱き合って怯えた。本人よりキレてたし、破壊力が段違いすぎる。天使とは一体……。

 すると、天使は怯える悪魔の元へ歩み寄り、その頬を優しく包み込んだ。

 

「大丈夫ですか。変な奴に嫌なことを言われて傷つきませんでしたか?」

「あ……う……」

「安心してくださいね。あなたのプライドも、身体も、僕が一生守ってあげますから」

「ば、バカ! 急に真面目な顔して何言ってんだよ……!」

 

 悪魔は真っ赤になって顔を背けるが、天使の胸にポカポカと弱々しいパンチを繰り出すだけで、もはや抵抗する気力もないようだ。

 

「…………」

 

 俺、完全に蚊帳の外だな?

 と、その時だった。

 

「あ……あれ?」

 

 目の前の強面兄ちゃんが、突然頭を押さえてフラつき始めた。

 自分の担当悪魔が文字通り粉砕されて吹き飛んだせいで、悪の衝動が一気に霧散したらしい。

 

「俺……なんでこんなとこに並んでんだ? てか、割り込んでた……?」

 

 兄ちゃんはハッと周囲を見回し、俺と目が合った。

 先ほどまでの威圧感は消え去り、申し訳なさそうな顔を浮かべている。

 

「あ、悪ぃな兄ちゃん! 俺、ボーッとしてて列間違えて割り込んじゃってたわ! ごめんな!」

 

 深く頭を下げると、強面兄ちゃんはそそくさと列の一番後ろへと走っていった。

 

「あ、はい……大丈夫です……」

 

 あっという間に解決してしまった。割り込みをやめて、めでたしめでたし……なのか?

 

『本日の極上牛すじカレーパン、開店でーす!』

 

 店員の声と共に、列が動き出す。

 俺は無事にカレーパンを購入できそうな安堵感に包まれつつも、肩の上で繰り広げられる「アフターケア」を見せつけられていた。

 

「よしよし、いい子ですね。お部屋に戻ったら、たっぷりと可愛がってあげますからね」

「う……さ、触るなバカ!」

 

 俺は出来立てのカレーパンが入った紙袋を握りしめ、二人のイチャつきから目を逸らすように、深くため息をつくのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。