十四話 悪魔でしょ?
限定ヘッドホンの購入を完了し、腹を括ってベッドに入ったものの、そう簡単に眠れるはずもなかった。
天井の闇を見つめ、明日どうやってあいつらに干渉してやるかを考えていた、その時だった。
ぽつん。
部屋の隅、かすかな黒いモヤと共に、小さな影が姿を現した。
漆黒の翼を力なく垂らし、体育座りで丸くなっている小さな悪魔。
天使の追撃を恐れる必要すらなくなったというのに、あいつはまるで世界から見放された迷子のように、小さく肩を震わせていた。
「……起きてんのか、人間」
消え入りそうな声だった。
いつもなら「おいバカ人間!」と横柄に呼びかけてくるはずの口調には、見る影もない。
俺は起き上がり、ベッドの端に腰をかけて悪魔を見下ろした。
「ああ、起きてるよ。……引きこもってんのかと思ってた」
「……引きこもってたよ。でも……なんか、胸のあたりがざわついて落ち着かねぇんだよ……」
悪魔は膝に顔をうずめたまま、ボソボソと呟いた。
天使に拒絶されたと思い込み、己の存在意義すら見失いかけている哀れな姿。普段の威勢の良さが嘘のように、今のあいつはガラス細工みたいに脆かった。
「……なぁ」
「なんだよ」
「……俺、どうしたらいい?」
ぽつりと零れ落ちたその問いかけは、あまりにも切実で、情けなくて、けれど偽りのない本音だった。
天界の義務と正義を選んだ天使。それに対して何も言えず、引き下がるしか判定を出せなかった悪魔。どうしようもない手詰まり感に、あいつは一人で潰されかけていた。
俺は深く溜息をつき、頭を掻いた。
ついさっき、自分の買い物で一つの大きな決断を下したばかりの頭が、クリアに冴え渡っているのを感じる。
「言えばいいじゃん」
俺が呆れたようにそう即答すると、悪魔は膝間から顔を弾けさせ、目を丸くした。
「は?」
「好きって、言えばいいじゃん。昇進やめて一緒にいようって、言えばいいじゃん。ワガママ言えばいいじゃん」
拍子抜けするほどシンプルな解決策。
だが、悪魔にとってはそれが一番恐ろしい選択肢なのだ。真紅の瞳を大きく見開き、顔を真っ赤にして跳ね上がるように叫んだ。
「そ、そんなの、言えるわけねぇだろバカ!! あいつには天界の仕事があって、おじいさんたちを楽にさせたいっていう『正当な理由』があるんだぞ!? そこに俺がしゃしゃり出て『行くな』なんて言えるわけ──」
「お前、悪魔でしょ?」
俺の短い一言が、夜の部屋に静かに響いた。
悪魔の言葉が、ピタリと止まった。
開いた口が塞がらないまま、真っ赤な顔で固まっている。
「……は?」
「天使は『正しさ』や『義務』に従うのが仕事だろ。だからあいつが家族や天界の都合を優先するのは、天使としては正解なんだよ。……だけどさ」
俺は悪魔の鼻先に指を突きつけた。
「お前は悪魔だろ。欲望のままに生きて、自分の欲しいものを奪い取るのが本業だろ? なんで天使の『正しさ』に合わせて、物分りのいい顔して身を引いてんだよ」
「っ……!」
「『お前の正義なんて知るか!』『おじいさんたちのことも大事だろうが、俺はお前と一緒にいたいんだ!』って欲望をぶつけるのが、悪魔であるお前の役割なんじゃないのか?」
悪魔の胸が激しく上下した。
真紅の瞳に、ポロポロと溜まっていた涙が溢れ出し、頬を伝って落ちる。
「でも……言ったら……重いって嫌がられて……本当に捨てられるかもしれないだろ……っ!」
「捨てるかよ、あの激重糸目天使が」
俺は吐き捨てるように笑った。
「あいつがどれだけお前に執着してるか、一番近くで見てた俺が保証してやるよ。あいつはただ『正しい天使』として振る舞わなきゃいけない自分と、お前への欲望の間で勝手に破裂しそうになってるだけだ。お前が本気でワガママをぶつけてぶち壊してやらなきゃ、あいつだって『正しい選択』の呪縛から逃げられないんだよ」
悪魔は溢れる涙を小さな拳で何度も拭いながら、呆然と俺を見つめていた。
不安で、怖くて、プライドもボロボロで。
けれど、その瞳の奥には、小さく情熱の火が灯り始めていた。
「正しさなんて、天使に任せておけ。お前はただ、自分の『欲望』に素直になればいい」
俺はニッと笑ってみせた。
「さあ、どうする? このまま物分かりのいい『可哀想な悪魔』のまま消えるか? それとも、最悪で最高にワガママな『悪魔』として、あの天使を奪い返すか?」
悪魔はぎゅっと唇を噛み締めると、ボロボロと涙を零しながら、力強くその小さな拳を握りしめた。




