第三十九話 神の敵対者③
『猫バイト……すまないが俺はしばらくそちらに手を割けそうにない……』
―――彼が、オルガヌスの尾に衝突するよりも少し前のこと。
猫バイトにしか聞こえない念話でそう告げたサクラノヴァは、すぐに視線を前へと戻した。
『……ふん。……その姿では本当に獣にしか見えんな、ゴラクZ』
彼の無瞳に映るのは、全身から紫電の残滓を散らせ、荒く熱を孕んだ息を吐き出す百獣の相貌。
灼炎種の王として、太陽の表面温度に匹敵する超高熱を内包した肉体は、纏わりつく電気やマグマすらを一瞬で気化させ、一歩踏みしめるごとに大地をドロドロの液状へと変えていく。
周囲の空間は激しい熱の奔流によって揺らめき、彼の肉体の輪郭を正確に視認することは敵わない。
だが、そんな荒ぶる様相とは裏腹に、燃ゆる鬣から火花を散らす彼は静かに言葉を紡いだ。
「……サクラノヴァ……俺は、前からお前が気に食わなかった……」
『……なに?』
そんなゴラクZの意外な言葉に、サクラノヴァの眼窩に瞬く青い炎が細まる。
「……お前はいつも俺たちの意見を聞かずに物事を進めていく……。昔も今も、俺たちの意見はどうでもいいとばかりにだ……!」
『……何を言うかと思えば……それは貴様らも承知の上だったはずだが?』
オルガヌスの権能による影響から曝け出された彼の心の内。
それを聞いたサクラノヴァは……しかし微動だにせず、斯くも冷徹な声音で返し、続ける。
『そもそも、俺が考えたプランで、貴様らが何か不利益を被ることがあったか?』
―――が、彼のそのプライドの高い言葉は、普段ならいざ知らず。
かの竜に心を浸蝕された今の彼にとっては、まさに虎の尾……否、獅子の尾を踏みつけるのと等しかった。
議論の余地を切り捨てるように冷たく言い放ったサクラノヴァの言葉は、即座に爆風に遮られる。
体内に圧縮された熱エネルギーを推進力として、圧倒的な加速で踏み込んだゴラクZの拳が、寸分違わずサクラノヴァの面目を捉える。
『―――!』
だが、彼もまた無防備にその一撃を許すほど凡庸な存在ではない。
マグマを超える熱量が頭骨を捉える刹那の間、呪文を詠唱するための数秒の猶予すら許されないと直感したサクラノヴァは、魔法防御という選択肢を瞬時に思考から消し去り、か細き白腕を鋭く突き出して、猛り狂うゴラクZの拳を直に受け止める。
――即時、凄まじい衝撃波が地を揺らし、拳を受けたサクラノヴァの足元が放射状に粉砕され、白骨の体躯が凄まじい重圧に耐えかねて地に深く沈み込んだ。
それは、完璧な読みによる防御だった。
タイミング、力、体勢、その全てにおいて完璧とも言える防御でなければ当然、彼のようなか細い腕ではゴラクZの拳など受けきれずに砕かれていたことだろう。
……だが、その完璧なまでの防御を披露したサクラノヴァは、内心で小さく舌を打つ。
(ふん……下手に力を付けやがって……)
そう苛立つ彼の視界に映るは、ゴラクZの熱拳を受け止めた自身の白骨……ではなく、異様に黒く染まった自身の細い腕。
拳を受けた表面が燻るような嫌な音を立て、その周囲もまたじわじわと不気味な黒へと侵食されていく様子。
―――炭化。
超高温により熱せられた骨に起こる化学現象だが、それは今、この場においてはただの化学反応ではない。
外見で言えばただの骸骨であり、特段属性に対する耐性を持たないサクラノヴァがこの灼熱の火山底に立ち、加えて灼炎種の王であるゴラクZの目前にありながら何ともないのは、自身が纏う高位の耐熱魔法による恩恵が全て。
尤も、彼自身の肉体は神経の通っていない白骨が故に痛覚は依然としてないものの、それでも耐熱魔法を使用していない本来の状態であれば、太陽の表面温度に匹敵するゴラクZの熱量によって骨は瞬時に高温融解を起こし、ドロドロの液体と化して消滅してしまう。
生身の人間が太陽の熱に耐えられないのと同様に、ただの骨である彼もまた例外ではないのだから。
耐熱魔法とはその名の通り、熱に耐えるものであり、熱を防ぐもの。
その功績は、かつての灼炎種の王とて苦しむほどの圧倒的耐性力を得るという優れたもの。
……その事実に違いは決してない……が。
その耐熱魔法がかかっているにも拘らず、ゴラクZの攻撃を一身に受けたサクラノヴァの腕の骨は黒い炭と化し、微細な破片が、吹き抜ける熱風の中に黒い粉塵となってパラパラと零れ落ちていく。
―――不死種は死なないが、自らの体が完全に消え去ってしまうとき、彼らは消滅という名の終焉を迎える。
サクラノヴァの耐熱魔法を穿ち、あまつさえ彼の骨を即座に炭化域へと変えて削り取るほどの、熱。
それが示す事実とは即ち――ゴラクZの放つ熱量は、不死の王である彼を、文字通り"殺す"ことができるということに他ならない。
「利益だ不利益だのと……お前がマスターや俺たちのために色々なことを考えてくれているのは分かっているが、俺たちはお前の盤上の駒ではない……! 仲間だろう……!?」
『……では、その仲間を殺しかけ、こうして俺までもを殺そうとしている今の貴様はなんだ? それが貴様の言う仲間か?』
彼の叫びに呼応して跳ね上がる膂力を、サクラノヴァは炭化した腕でなんとか堪え、自身が抱える一抹の不安を押し殺すように冷たい声音で問い返すと、ゴラクZはその正論にぐっと歯噛みする……が。
「……俺は、ただ……っぐ……ウ、ォオオオアアアアアッ!!! やめろッ……俺の中に、入って……グ、ウォァアアアアアアッ!!!」
突然、ゴラクZが狂気に包まれたかのように絶叫し、自らの頭を両手で抱え込んで崩れ落ちる。
その姿を見たサクラノヴァは、自身の腕に残った黒い煤を鬱陶しそうに払い落とし、同時に視界の端に見えた元凶へと鋭い敵意を向け、吐き捨てるように愚痴を零しながら、淡々と修復魔法の光を紡ぎ出した。
『……チッ、これも奴の影響だというのか……? まったく……』
先ほど奴自身で語った権能――【怒り】の強制的な支配。
元来温厚で、めったに感情を荒らげないゴラクZがここまで自我を保てずに狂乱しているのは、自身の種族の主を断りもなく殺されたことに対する【僅かな怒り】を、かの竜によって数倍、数十倍、数百倍にまで膨らまされているが故。
普段は穏やかな彼でさえこうなってしまうという事実は、あの竜の権能がいかに厄介で悪質かという証明であり、自らもまた、些細な【怒り】を抱かないように注意しなければいけないということを示す。
さらに言えば、今しがたゴラクZが怒りに支配されたのは……サクラノヴァに正論を諭され、それに反論することが出来ない――自らへの【怒り】。
ともすれば、他者への感情だけでなく、自らに対する苛立ちでさえ、奴はそれを容易く【殺意】へと歪めることができる――その恐るべき真理を、サクラノヴァは冷ややかに見据えていた。
『……毎度毎度手をかけさせやがって……これだから竜種は嫌いなんだ……』
そんな状況と光景に悪態を吐きつつも、彼が炭化した骨を元の状態に戻す……のと時を同じくして、ゴラクZが抑え込んでいた、オルガヌスの【怒り】が再び彼の理性を焼き尽くし、全身の毛穴という毛穴から暴走した闘気が奔流となって噴き上がる。
「グゥォァアアアアアッ!!! サグラノヴァ――ッ!!」
周囲一帯の大気を粉々に引き裂くほどの凄まじい衝撃波が全方位へと爆ぜ、サクラノヴァはその爆風の反動を巧みに利用して後方へと跳び、十分な距離を稼いだとき――彼の中にふと、もう一つの懸念が頭を過った。
『……しても、マスターはいつになったら出てくる……? もう既に五分は経っているはずだが……まさか―――』
吹き荒れる熱風の中で、サクラノヴァはいくつもの可能性を思案する、が……しかしすぐに軽く首を振る。
『……いや、不確定な憶測に思考を割くのは時間の無駄だな……。現状、マスターが目覚めないのであれば、俺は今、取り得る最善を尽くすべきか……』
そして彼は即座に割り切り、指輪を光らせながら両手を広げた。
『……さて、恨むなら目覚めないマスターを恨めよ、ゴラクZ。……貴様は少しこれで頭を冷やすといい―――【魂裁く黄泉の凍土】』
そう、彼が零した言葉が灼熱の大地に息づいた瞬間。
火山の最下層は、二つの目の地獄を生み出した。
一つは、生身を燃やし尽くす灼熱の地獄。
そして、もう一つは、彼が作り出した……ここにあるはずのない地獄。
足元を這っていたドロドロの岩漿が、彼の足元から広がるように一呼吸置く間もなく凍りつき、真っ白な凍土へと変貌する。
マグマが凍るという、物理法則すら凍り付かせる異質な冷気を孕むそこは、まるで、生者が決して足を踏み入れてはならない黄泉の路。
ゴラクZの苦しみの声に呼応するかのように、キィィィ……ン……、と無数の岩が急激な温度変化のあまりに甲高い悲鳴を上げ、それは死者が地獄の苦しみに耐えかねているかのような空間を想起させる。
環境的要因によるステータスの向上と、ゴラクZに対するデバフ目的として発動した魔法による、大気が凍り、吐き出す息すら一瞬でダイヤモンドダストの粒へと変わる極寒の空間。
熱気が一瞬にして凍てつき、冷気が一瞬にして燃え尽きる。
異質な二つの空間が触れ合う間に生じるのは、激しい温度差による凄まじい大気の爆発。
先に行われた、灼炎の主との比ではないほどの圧倒的な力がせめぎ合う空間に―――やがて、一頭の哀しい獣の慟哭びが、響いた。
「……お前がその気になったのなら、俺も遠慮などはせんッ!!!! 俺の炎を食らうがいいッ!! ―――【極炎皇】ッ!!!!!」
悲哀に塗れた殺意を伴う熱線が、世界を引き裂きながらサクラノヴァめがけて一直線に迫る。
完全な炎耐性を有する竜種の王の翼すらをも灼き貫く威力を誇る、純然たる力の奔流。
たったの一撃でさえ食らえば、まず即死は免れないだろう一撃必殺の光筋。
―――だが、彼を前にして、これだけは忘れてはいけない。
一度目を不覚に取った死者の王に―――二度と二度目は訪れないということを。
『ふん……同じ技とは芸のない男だ……。だが、それなら言葉通り"喰らい尽くさせて"もらおうか……来い、【黄泉経喰】』
冷静に、一切の焦りを見せないサクラノヴァが突き出した白骨の指先から、空間を引き裂くようにごぽり、と不気味な音が耳を撫でる。
瞬き、一つ。
サクラノヴァの言葉がゴラクZの脳に届いてから僅か一回の瞬きをした直後。
ゴラクZの眼前に、息をのむほどに美しく、しかし生気のない巨大な女性の顔が現れる。
なんだこいつは? どこから? なんのために?
見たことのない存在に、様々な思考が即座にゴラクの脳内に巡るが、彼が口を開く間もなく。
自身の放った熱線が、巨大な顔の女性へと衝突する。
そうだ、何を考えようと問題ない。
竜の王の翼ですら貫くほどの一撃を、この程度の存在が受けきれるはずもない。
……そう、思っていた。
「……ッ、なん、だ……それは……ッ!?」
気が付けば、思わずそう口にしていた。
激情に駆られ、理性を失ってなお疑問を呈してしまうほど、目の前で起こった光景は、異常だった。
―――灼熱の熱線が直撃するその刹那、美しい女性の口が醜くなるほど大きく裂かれたかと思えば、なんとその口内から夥しい数の人の顔が溢れ出し、受け止めた熱線のすべてを――――喰らい始めたのだ。
《pぉきじゅhygtfrでスぁqッ―――!!!》
耳を劈く、人智を逸脱した金切声。
それは悲鳴か、歓声か、嬌声か。
『そうか……貴様に見せるのは初めてだったか? まぁ気にするな……"ただの雑魚"だ』
そう簡単に語るサクラノヴァが生み出したそれは、不死種の王にのみ許された眷属の内の一柱。
【黄泉経喰】。
黄泉の淵を統べる女帝にして、ありとあらゆる魂と理を喰らい尽くす最恐最悪の眷属。
彼が言い放った雑魚などとはまさに正反対。
その異名が示す通り能力は圧倒的なものを持ち、その最たるものとして、彼女は眷属にして底知れぬ飢餓感を纏った無数の亡霊たちを従え、更には喰らったエネルギーのすべてを自らの力へと転化するという、実質的に無限に成長する化物とも言える力を有している。
ジュウウウウッ――! と、空間を震わせる凄まじい蒸発音が、徐々に小さくなっていく。
ゴラクZから発され続けた熱線のエネルギーは死者たちの貪欲な喉へと次々と吸い込まれていき、黄泉の底から這い出た無限の飢えが、莫大な熱量を文字通り"喰らい続ける"。
やがて、すべての熱線が死者たちの群れに飲み干されて跡形もなく消え去った後には、先の綺麗な顔立ちが消え失せ、屈強な表情へと化した女帝の姿と、冷徹に佇む不死の王の姿だけが残った。
『悪いが、貴様相手に半端な手加減はできないのでな……二対一を卑怯などと言ってくれるなよ?』
サクラノヴァはわざとカタカタと顎を鳴らすようにゴラクZを嘲笑する。
彼の持つ圧倒的な攻撃を無力化したという事実は、彼の大幅な戦闘力の低下と同義であり、それ故の余裕の表れだった。
……だからこそ、サクラノヴァにしては珍しく、ゴラクZがその場で妖しく口角を上げるのを見逃した。
「……構わん。どうせすぐに消えるからな―――【焦炎解放】」
ゴラクZがそう告げた瞬間―――サクラノヴァの生み出した巨大な眷属が、内側から凄まじい赤熱を帯びる。
『―――ッ!?』
彼が一瞬にして事態の真意を悟ったのは、流石に王の器と言えよう。
だが彼が即座に退避の呪文を紡ごうとするより先に、獣の拳が強く握られる。
「――遅いッ!!」
瞬間、女帝の内部から世界を焼き尽くさんばかりの閃光が突き抜けた。
蓄積された高エネルギーの火花の炸裂により生じる、超圧縮爆発。
女帝の顔を木端にしながら放たれた熱量は、逃げ場を失った衝撃の奔流となって周囲一帯を蹂躙する。
必然、反応が遅れたサクラノヴァの体は抗うことの許されない爆風に捉えられ、硝子の破片のようにたやすく吹き飛ばされ―――。
――ドォンッ!!と、激しい摩擦音と衝撃を伴い、猫バイトと戦闘を繰り広げていたオルガヌスの強靭な尾へと真正面から激突。
その勢いのまま地面を激しく、何度も転がり続けた。
『……ッ……時間差起爆なんて……随分頭を使うようになったものだな……!』
もうもうと立ち込める砂煙と熱気を貫く嫌味。
彼が再び自らに修復魔法を掛けながら視線を上げると、すぐ傍らにいたもう一人の仲間である猫バイトの姿が見える。
「……っえ、サクラノヴァさん!? 大丈夫!? っていうかさっきの爆発ってやっぱり……ゴラクZ、さん……?」
信頼する仲間同士が戦うという事態に混乱し、矢継ぎ早に言葉を零す猫バイトは、震える声でその名を呼ぶ。
しかしサクラノヴァは猫バイトの動揺を他所に、彼の隣に歩き立ちながら問いかけた。
『……猫バイト……マスターに動きは?』
「……あ、あれから結構経つけど……」
猫バイトは重苦しくその太い首を横に振る。
『……そうか……』
サクラノヴァは、マスターについてはいつ目覚めるかが正確にわからない時点で、考えるだけ無駄な不確定要素だと早々に切り捨てた。
余計な思考は考慮しないという彼のその判断は、一瞬の隙が即座に死へと直結する戦闘環境においては、この上なく正しい選択。
……だが、いくら不確定要素を切り捨てたとしても。
常に現実に目を向け続ける彼だからこそ、この現状を、痛いほどに理解していた。
―――この場は、マスターがいなくてはならない状況だと――――――。
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