第四十話 神の敵対者④
―――この場は、マスターがいなくてはならない状況だと。
いくら戦闘内外におけるIQが高く、戦闘技術に長けたサクラノヴァだといえども、そもそも種族主という存在は、たった一体を相手にするだけでも種族王を含む精鋭が多数必要な戦闘環境である。
加えてそれが種族主の中でもトップクラスの単体性能を持つ竜主ともなれば、その難易度は更に天上の如く跳ね上がり、プレイヤー最強の種族王ですら不覚を取った時点で大打撃は免れないほど。
サクラノヴァは俯瞰する。
現状、そんな竜主を相手に、猫バイトがたった一人で数分もの時間を稼げているのは、ただの奇跡。
いや……あるいは竜主の戯れにすぎず。
そこに暴走した種族王――ゴラクZが敵対している状況をたった二人の戦力で凌ぎ続けるなど……もはや無謀と言っても差し支えない。
本来ならば、すぐにでも撤退をすべき状況。
―――だが、それをマスターの繭が阻む。
(ちっ……あの状態じゃ転移対象として選ぶことができん……! 無理にでも壊せば奴の体がどうなるかも分からん以上……クソ……早く出てこい……!)
そんな期待に満ちた彼の意思に反し、しかしマスターを包み込んだ繭は未だ不気味なほどに静寂を保ち続けている。
もしかすると、この世界ではあれほどの傷は回復出来ないのではないか?
いや、ただ回復に時間を要しているだけなのか?
じゃあその回復時間が長すぎないか?
本当にこの繭から生きたマスターが出てくるのか?
もう……既に死んでいるのでは――――。
様々な考えが頭に浮かび続け、消えることなく巡る彼の思考は、徐々に焦りを含んだ最悪の仮説へと雪崩れ込んでいく。
サクラノヴァが常に優れた思考を発揮しているのは、理想を目指しつつも現実を直視し。
決して自身の感情に流されることなく、最悪から最善までを常に脳内でシミュレーションし続けているからである。
当然、普段であれば余計な感傷を切り捨て、マスターの件についても帰ってこないならば仕方がないと割り切るサクラノヴァだったが、しかしここはゲームと違って"死"が隣り合わせの現実世界。
――何が起きるか分からない世界ゆえに……彼の脳内を"恐怖"が支配する。
ただ……この場において最も苦しんでいたのは、操られたゴラクZでも。
現状を厳しく俯瞰するサクラノヴァでもなかった。
最も苦しんでいた存在……それは、今現在もなお明るく、気丈に振舞い続ける猫バイトである。
(あ~~~~いや、考えちゃだめだ……! 何も考えるなぁ……!? 目の前の相手だけを考えろ、考えろ~~~~……!!! 難しいことは全部サクラノヴァさんに任せてればいいんだから……! 僕は何も考えない、考えない~~~~~……!!!)
猫バイトは、脳裏を掠める全ての思考を、文字通りかき消すように激しく頭を振り続けつつも、オルガヌスからの攻撃の全てを紙一重でいなし続ける。
―――もし仮に。
彼が、一瞬でも最悪の想像をしてしまえばどうなるのか―――?
しかし彼自身はそんな疑問を抱くことすら許されないことを……よく理解している。
想いや考え、そのすべてを消え去らせるように、彼は呪文のように、矢継ぎ早に話し続ける。
「大丈夫、大丈夫だって~! 僕がこの竜をなんとかするからね~! ってちょっとサクラノヴァさん~? ゴラクZさんがいくら仲間だからって手抜かないでよね~~!? こっちもなんとかやってんだからさ~~??」
おどけた態度や軽口を叩く、いつも通りの猫バイト。
……そうでなくてはいけない。
もし、少しでも考えれば――ってだめだ、考えるな!!!
「っていうかさ~? マスターってば、竜の翼の構造を僕に教えてくれたらこんなに待たなかったんだけどね~? ほら、僕ってば、簡単に治せちゃうし~?? う~~~ん、翼ってどんな構造なんだろ~? 腕の一種なのかな~? あっ、サクラノヴァさんはどう思う? って答えられないつうの~~!」
あれからかなり時間が経って……っ、いや、大丈夫、大丈夫!!
でも……"結構な傷だったし"……って、やばいやばい!!! 早く違うことに意識を向けないと――!
「まっ、お陰で僕の素晴らしい活躍をお披露目してるからいいんだけどね~……って、マスターには見えてないか~!! なんだよもう~~!! これじゃあ一人芝居じゃ―――」
と、彼があまりにも饒舌に、不安を押し殺すように言葉を続けている彼の脳内に、温かい言葉が響く。
『……猫バイト、大丈夫だ。……お前は何も心配いらない。考えなくていい。……俺がいる』
「―――っ……」
ゴラクZとの激しい戦闘を再び繰り返しながらも、それでも彼に向って優しく言葉を投げかけたサクラノヴァ。
だが、そう告げた彼の中にも、不安が大きく広がっていく。
どれほど思考を巡らせたところでマスターが今すぐ帰ってくるわけでもなければ、この絶望を切り開く起死回生の一手になるわけでもない。
ただそれでも、自分自身に出来ることは全て出し尽くすしかない。
(……チッ、早く帰ってこい……! このままでは……!)
冷や汗など出るはずもない白骨の躯でありながら、ザワリと背筋を逆撫でられるような悪寒を覚えたその瞬間――。
激しい地鳴りと共に、尾を弾かれて神威に泥を塗られた巨竜――オルガヌスが、突如猫バイトへ襲い掛かる手を止めながら漆黒の巨躯をゆっくりと持ち上げる。
世界そのものをねじ伏せるような凄まじい殺気を孕んだ紅玉の双眸が、迷いなく彼らへと向けられた。
《……貴様ら……何度も我の邪魔をするとは不遜にもほどがある……。何故邪魔をする? よもや貴様らにとっても竜王が仲間だと宣うのではないだろうな?》
低く、重たい音が岩盤を伝い、足元のマグマの池から一斉に沸き立つ泡が激しい破裂音を立てて弾け飛ぶ。
『……仲間、か……。なぁ、貴様はどう思うんだ? 答えてみろ』
「……」
サクラノヴァの皮肉な言葉に、ゴラクZは何も語らず、ただ燃え盛る鬣を揺らしながらこちらを見据えている。
オルガヌスはその態度に不快感を露わにしたが――しかしふと、何を思いだしたかのように不気味に首を持ち上げた。
《……貴様らが邪魔をしなければ、とっくに我は……。……ム? いや、待て? 何故我はこやつらに時間を掛けているのだ……?》
『……?』
「いきなり何~? 家の鍵でもかけ忘れちゃった~?」
突然の独り言に、サクラノヴァはローブのフードを揺らし、猫バイトも道化を演じる。
だが、その問いかけに対する答えは言わず、オルガヌスはただ苛立ったように漆黒の巨体を震わせると、バチリと散る火花と共に、太い尾を岩盤へ激しく叩きつけながら言葉を紡いだ。
《あぁそうだ……簡単なことだったのだ! ……全く……千年もの眠りのせいで、こうも忘れるとは……!》
『……貴様、何を言って……』
そして、漸くオルガヌスとサクラノヴァの視線が交錯する。
《くくっ……簡単なことよ。貴様ら劣等種どもも、偽の王でさえ……"纏めて葬ればよい"だけのこと……! さすれば―――》
―――この時、サクラノヴァの体に、立つはずのない鳥肌が立つ感覚が奔る。
死を司り、恐怖を支配する不死の王が……寒気?
普段ならば彼はいつものように余裕綽々と否定していることだろう。
……だが。
彼は、既にこの感覚を……知っている。
忘れもしない。
いや、決して忘れようはずもない。
骨の髄まで染み付いた寒気――"強者への恐怖"という名の感覚は、かつて、彼が初めて敗北を喫した――あの瞬間に感じたものと、全く同じだったのだから。
――極限まで引き延ばされた思考の海の中で、彼はその記憶を思い出すと同時に理解する。
僅かな時間が永遠にも思えるその瞬間。
"走馬灯"とも言われる現象は、決まって自身の存続を揺るがす最大の死地にしか訪れないことを。
(――っ、空間転移で逃げれるか……!?)
彼は逡巡する。
だが、近くにいる猫バイトならば余裕で。
多少の無理をすれば、オルガヌスの近くにいるゴラクZもこの場から離脱させることも出来るだろう。
――が。
(ッ、くそッ、だからそれじゃマスターはどうする!? あの状態のまま置いていけるワケが……!)
さすがに大きな繭に包まれたままのマスターまでを抱えて転移するには……時間が足りない。
引き延ばされた思考速度も、決して無限ではない。
どうする? どうすれば? どうするのが正しい……!?
悩んでいる時間はもう――――ない。
『ッ、~~~猫バイトッ、ゴラクZッ!! 今すぐ全力で、身を守れッ!!!!』
「「―――っ!?!?」
そうして、苦し紛れに下した決断を、彼は普段からは考えられないほどの力を使って彼らに叫んだ。
彼の叫びは強力な念波となり、普段からおどけている猫バイトは勿論、怒りに支配されていたゴラクZの意識にさえ浸透し、本能的に自身が持つ最上の防御態勢を取らせた。
彼の下した結論は、あまりにも無謀な賭けに近かった。
サクラノヴァは二人に叫んだと同時に、オルガヌスとマスターの繭を結ぶ直線上に、三つの守護呪文を即座に展開する。
「っ、頼むから今だけは失敗するなよ……!? 【霊凍鏡界】! 【熾炎障壁】! ……ッ、【絶影層】―――!」
瞬間、彼の持つ指輪の内の二つが数度煌めき、霊界に顕在する全てを跳ね返す鏡面と炎の拒絶膜、そして、闇をも吸い込む影の層が彼の前に現れ、サクラノヴァは僅かに安堵する。
全ては尽くした。
仲間を守る指示も問題ない。
無防備なマスターを守る楯も万全を期した。
あとはもう―――奇跡を祈るしか……!
奇跡を信じぬ彼が、奇跡に縋ったちょうどその時。
オルガヌスの天を衝かんと捻じれる漆黒の双角が眩い光を帯びる。
《――天穹を統べ、星を穿つ憤怒の焔。裁きの鬨。万象滅する紅蓮の咆哮》
―――瞬光。
発する光は極まれり。
《命芽吹く地も、神の座する宮殿も、等しく我に平伏し、始原の果てへと滅するが良い》
世界に対する怒りが今、放たれ――――。
「―――っ、ダメだこれだけじゃマスターが危ないっ!!!!」
『――な!? ッ、馬鹿が!? おいッ、猫バイ――――!!!』
――た。
《―――――怒れ……憤れ……全ては感情の赴くままに……【神をも殺す竜主の怒り】》
それは、大気を引き裂くという次元ではない。
それは、爆発という言葉では決して足りない。
それは、言葉にすれば……まさに天災という他にはない。
オルガヌスの双角から放たれた極光は、すべての物理法則を嘲笑うように一瞬でこの空間を呑み込んだ。
凄まじいだけの熱量。
それは瞬時に土砂や岩石をガラス細工かのように融解し、サクラノヴァが創り出した絶対零度の黄泉路ですら、足を踏み入れれば一瞬で存在を失わせるほどの煮えたぎるマグマの池へと姿を変えさせた。
だが、そんな現象も、ただの付属品でしかない。
オルガヌスの攻撃の直後。
最もオルガヌスに近く、獣のような第六感を持つゴラクZだけが辛うじて視認出来たのは、音を置き去りにするほどの超高圧の衝撃波だった。
先ほどまで猫バイトが作り出した岩の残骸や、ゴラクZやサクラノヴァによって変形した地形ですら文字通りの"微塵"となって四散し、膨張した大気が生み出した熱風の嵐は、僅かに残された空間の塵すらも奪い去っていく。
物質の分子結合そのものが、あまりの熱エネルギーの前に引き裂かれていくほどの一撃。
まさに―――神を殺すために生み出された、憤怒の象徴。
そしてそれは――――。
『――ッ……』
防壁に加えて、即座に火炎耐性の高い装備へと変更したサクラノヴァの右腕を滅し。
「ヌッ……ぐォお……おぉアァっ」
灼炎の体を持つゴラクZの皮膚を滅し。
そして――。
「――――――――――」
サクラノヴァの指示により、即座に身を守る構えを示した猫バイト。
だがそのすぐ後に、オルガヌスの技の起こりを見てサクラノヴァがかけた防御魔法ではマスターを完全には守れないと判断した彼はすぐさま自身の防御を解き、サクラノヴァの忠告も間に合うことなくマスターの繭を身を挺して守ることを選択した。
結果、彼の行動のお陰で、マスターの繭はこの衝撃の渦中にあって一切の傷を負うことなく、その場で胎動を続けている。
だがしかし、その代償は決して軽くはない。
神をも殺すと称した超高圧縮の衝撃波は、猫バイトの目算通り、サクラノヴァの防壁を難無く突き破り、そのまま庇うようにマスターとの間に割って入った猫バイトを襲う。
その時、彼が考えていたのはただ一つ。
(マスターを守らなきゃ――――っ!! ”命に代えても”―――――っっ!!!!)
本来、意識さえあれば肉体がなくても再生することが可能な創造種の王――猫バイト。
此度もまた当然軽く復活すると期待したサクラノヴァの眼前には―――猫バイトの姿は一切ない。
気配も、声も、魂も。
彼を定義する何もかもが……感じない。
―――【神をも殺す竜主の怒り】。
滅炎竜がそう呼ばれる所以となる、彼の持つ最も代表的な大技。
無論、それを知るのは竜主のトッププレイヤーだけに限るために彼らは知る由もないが、この技は――――範囲内にある全てを、文字通り、"滅する"。
防壁も、炎も、そして……精神でさえ。
かの衝撃波は猫バイトを襲うと、彼の肉体を構成する要素は勿論――――彼の意識をも滅したのだった――――――――。
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