第三十八話 神の敵対者②
激闘や激戦、血戦に奮戦など、激しい戦いを表す言葉はいくつか存在するが、今のこの状況を表す言葉としては、これ以上の言葉は必要ないだろう。
――地獄。
直径にして五百メートルを優に超える円形の巨大空間。
その壁面には、先まで大地を埋め尽くしていたマグマが纏わりつき、まるで陽光煌めくカーテンのように地に落ち続けている。
様相だけでもここが地獄だと言われれば何の疑いを抱くこともないが、しかしなにより、この地を地獄足らしめているのは、その光景ではなく、中央にて流れ続ける圧倒的な力の奔流。
大地は裂け、大気は灼かれ、天は凍り、空間が歪む。
膨張する熱量と縮小する冷気がぶつかり合う度、場には爆ぜる音が響き、この世の理が悲鳴を上げる。
―――マスターの戦線復帰まで、あと二十分。
それは、人によってはあっという間に感じてしまうほどの時間だが、しかし苛烈な戦場の中ではあまりにも長い時間。
如何に誤算があろうと無かろうと、運命の歯車は決して止まらず、進み続ける。
破滅へと向かう地獄の鐘の音。
それは、この世全てに怒れる竜の主によって鳴らされた。
《――――そのような隙を、我が見逃すとでも思うたか、偽の王よッ!》
常軌を逸した哄笑とともに地表を抉りながら、マスターが包まれた繭の元へと一直線に突進してきたのは、滅炎竜オルガヌス。
剛翼を大きく広げ、突き進む巨大な影が一瞬で無防備なマスターの繭を覆い尽くし、無慈悲な殺意を纏う尖爪が、赤黒い繭へと容赦なく振り下ろされる。
一瞬の瞬きも、呼吸する暇すらも許されない致命的な隙を突く瞬撃。
……だが、それを容易く防げる者が間に立ち塞がり、叫ぶ。
「悪いけど! マスターに任された以上、手は出させないよっ!」
《―――ヌッ!?》
立ち阻む岩の巨人、猫バイトがそう叫ぶと同時に、オルガヌスが立つ大地が唸りを上げて隆起する。
大地がめくり上がるなどという不意を突かれて体勢を崩したオルガヌスは、地面を転がるまいと、掲げた鋭い爪を捲れた大地に突き刺し、顔を歪める。
《……ぬぅ……面倒な種族めが……!》
「へへ~ん、これが本当の【天地返し】ってね~!」
苛立ちのままに大地を砕き割るオルガヌスに対するおどけた軽口を叩く猫バイト。
そうして彼らの戦いの幕が盛大に上がった時、その傍らでは、静かにもう一つの幕が上がろうとしていた。
先に言葉を発したのは、不死の王――サクラノヴァ。
『……ふん、貴様はマスターの回復を悠長に待っていてくれるのか?』
死の静寂を纏ったような低く冷たい問いかけが、ピリピリと肌を刺す熱気の中へ落とし込まれる。
だが、相対するゴラクZは、その一切を焼き払う。
「……俺の目的は元より貴様だ、サクラノヴァ……! 我が種族の主を殺したなどと宣う、人の心を失った貴様を……この俺が救ってやる……!」
『ふん……不死種に向かって救うだと? 貴様は聖職者にでも転職したのか? ……その熱そうな頭で思考がイカれてるのなら、俺が少し冷やしてやるが?』
彼がそう言葉を発した途端、身の毛もよだつほどの濃厚な【死臭】が周囲一帯に立ち込め、足元から凍り付く大地が幅を広げる。
漂う緊迫感の中、覇王の熱気と黄泉の冷気に耐え切れなかった大気が爆発したその瞬間。
『―――――ッ!』
凄まじいほどの風が巻き起こり、一瞬にしてサクラノヴァの姿がかき消え、遥か後方に流れるマグマのカーテンで激しい爆発と衝撃が生まれる。
「……貴様が油断とは、珍しいこともあるものだ……サクラノヴァよ」
……そして、先までサクラノヴァが立っていた場所に来るは、金色の獣。
彼は、サクラノヴァに瞬閃の一撃を叩き込み――吼える。
「……だがッ……黄泉の冷気"如き"で俺の炎を鎮められるとは、随分舐められたものだッ……! サクラノヴァッ! 俺は、あの時とは違ゥ―――」
……だが、すぐに彼の姿もその場から消え、先ほどの衝撃と同等の衝撃が再び壁面に張り付いた溶岩の膜へと突き刺さり、その経路を繋ぐ一直線に、紫電が迸る。
『……ふん。あの時と違うのは何も貴様だけではない。それとも……獣の知性では難しい道理だったか?』
迸る紫電の起点。
溶岩の中から虹色の薄いヴェールに包まれながら現れたのは、細く、純白に輝く指を差し向ける骸骨の男。
サクラノヴァは何事もなかったかのようにそのままゆっくり現れ、そのまま地に降りると、竜主と戦闘を繰り広げる猫バイトを一瞥し……彼にしか聞こえないように告げる。
『猫バイト……すまないが俺はしばらくそちらに手を割けそうにない……』
それは、サクラノヴァの珍しい弱気な発言だった。
だが、その言葉を聞き届けた猫バイトは当然、真意を理解する。
「――うぇ!? っていや、そりゃそうだよね!? 相手が相手だし……って、いうか、大丈夫? むしろ僕がそっちに手を貸そ―――ってうわぁ熱っつつ!!?」
そして、そんな弱気な彼の援護をすべく振り向こうとして――背後から迫る巨影が放った憤怒の熱風が猫バイトの岩の肩を灼き、思わずその熱さに彼は叫び声を上げる。
《我を前にして余所見とは……》
周囲の熱気が、さらに温度を上げる。
それは、ただの熱ではない。
激情のままに放たれた焔は、幾層にも重ねた耐熱魔法すら意味を成さず、彼の認識においてさえ貫く。
《貴様だけは許さぬ……決して生かして帰すなどと思うな……! 一塵の灰すら残さず焼き尽くしてくれよう――ッ!!》
オルガヌスの怒りはもはや常識を超越した天災の域に達し、すべてを焼き尽くさんと牙を剥く。
凄まじい熱風を纏った巨爪が、無防備な繭を護る猫バイトめがけて容赦なく振り下ろされる――その刹那。
「出来るもんなら……ねっ!」
猫バイトは一歩も引かず、その両手を力強く地面へと叩きつけた。
直後、彼の創造種としての膨大な魔力が大地を駆け巡り、足元から轟音とともに凄まじい勢いで地面が隆起していく。
しかしてそれは先ほどオルガヌスの足元を揺るがした技とは異なり、今度は無数の厚い岩盤がまるで生き物のように幾重にも複雑に折り重なると、オルガヌスの高速の一撃が届くよりも早く、巨大な岩の巨像を作り出した。
それはまさに―――。
「へっへ~ん、僕が考えたこの特製"岩の巨像"、キミに倒せるかな~?」
岩の巨像。
数多のゲーム類と同様に、周囲の土塊や鉱石に魔力を加えることで作り出せる、意思を持たぬ単純な増援MOBの一体。
当然、魔力を伴う岩の巨人ともなれば、ある程度の力や耐久力はあるものの、こと《ユグ:ドライアス》の環境上ではお世辞にも強力だとは言えないものであった。
……とはいえ。
今、この現実の世界において創造種である猫バイトが紡ぎ出すそれは、彼の無限の想像力と、十の種族が王としての規格外の魔力を下地に創られた、いわば"ぼくがかんがえたさいきょうのごーれむ"である。
その圧倒的な質量と、常軌を逸した硬度は、絶対強者であるオルガヌスの猛攻すら阻むほどの障壁となる……はずだった。
彼に誤算があったとすれば、ただ一つ。
先ほど彼が、"その光景"を見てしまっていたことだろう。
《――小賢しい……ッ!》
オルガヌスの喉の奥から、すべてを蒸発させるような唸り声が響き―――岩の巨像を切り裂いた。
「うわぁああああ!? 僕のゴーレムが!?」
そう。彼は見てしまっていた。
先ほど、オルガヌスがその尖爪を易々と地面へ突き刺している光景を。
地面を抉れる力があるのなら、当然、地面から創られた岩の巨像もまた……当然の摂理である。
凄まじい一撃が、巨像の中心を直撃する。
轟音とともに空間が爆ぜ、岩の巨像はその巨体ごと粉々に砕け散り、無数の流星の如き破片となって四散した。
「~~~じゃあこれならどう――!?」
破片の雨が降り注ぐ中、猫バイトはその思考を休めず、今度はオルガヌスへと手を向ける。
砕かれた岩の破片を横目に入れるや、彼はそれを瞬時に再構築し、今度は無数の岩の刃としてオルガヌスの視界を塞ぐように一斉射撃を浴びせかける。
飛来する幾千の岩の礫。
だが、オルガヌスはその欠片に対し一切興味を示さず、更なる怒りで眼の奥をぎらつかせる。
《――なんだこれは……まるで児戯ではないか……。あぁ……我はやはり正しかったッ! この様な雑種共など……この世界には不要なのだッ!》
オルガヌスの底知れぬ怒号が、空間そのものを音を立てて引き裂く。
そうして放たれた熱の奔流は、飛来した無数の岩の刃を一瞬にして気化させ、白煙へと変える。
「うぇ!? そんなんアリぃ!?」
そんなトンデモ出来事に対する猫バイトの悲鳴は白煙に掻き消され、激昂に燃える深紅の双眸が猫バイトを捉える。
《かのような雑種と慣れ合い、あまつさえ仲間などと……許せぬ……! 我は決して許さぬッ……! そのような腑抜けた存在に、この世界の王など務まるはずもないッ!! ――塵芥共々消え失せるがよいッ!》
その言葉が場に落ちた瞬間、白煙の中から巨大な尾が閃いた。
(いぃっ!? っと、これヤバっ!!? 避けなきゃ――――)
音を置き去りにするほどの一閃に加え、白煙により直前まで視認出来なかった猫バイトは、思わず自身の体を岩から変化させようとして――――しかし気づく。
(――――ぃいいやいやいや待て待て待ちなよ僕ぅ!? ここで避けたらマスターを守る約束が守れないっ!!! ~~~~~それならもう……っ!!!)
自身が避けた先の尾の軌道。
そこにあるのは、マスターが眠る繭。
自分が逃げれば繭が消し飛ぶ。
護るためには、ここで正面から受け止めるしかない、と、現実世界から乖離し、極限まで引き延ばされた思考時間によりその結論へと辿り着いた猫バイトは瞬時に身体を捻り、全力を注ぎ込んで両腕を前に構える。
――――ゴァァィイイイイイイイイインッ!!!!!!
直後、硬質な岩と金属質の鱗が激突し、削れ合いながらぶつかる、鈍く重い打撃音が空間に響き渡る。
「ぐっ……ぐががががぁ~~……っ!!!」
何とかマスターの繭にまでは到達させずに防ぐことができたものの、あまりの威力に猫バイトの足元の大地は粉々に砕け散り、さらには彼の大きな岩の腕もまた、大きく削れていた。
砕け散った岩の破片は四方に飛び散り、なおも耐えられないほどの熱量が彼の全身を呑み込む。
(やばいやばいやばいやばい熱いし苦しいよ~~~~っ! このままじゃ……っ……! もう~~~~!!! ていうかマスター遅くない!?!!? 絶対三分は経ってるって!!!! はやく~~~~~!!!!)
そう願いながらも何とか耐え凌ぐ猫バイト。
―――しかし、突然ふっと全身にのしかかっていた重さが、嘘のように消え去ったことに目を丸くする。
そしてそれは……。
「……ん? あれ? もう終わり~? へへっ、僕にかかれば……ぼ……く、に……って―――い~~~やいやいや、待ってよ待ってよ!? それはナシじゃない!?」
ここがゲームの世界であればこうはならなかった、というのはこれまでも多くあった。
当然だ、彼らはこの世界に来るよりも、ゲームをプレイしている時間のほうが長かったのだから。
だから、ゲームのボスならば、大技の後に同じ大技が来ることはない。
……そんな無意識のお約束を、猫バイトが脳裏に思い描いてしまうのも無理はない話である。
ゆったりと猫バイトの腕から離れていく、強靭かつ凶悪な竜の尾。
それは、未だ漂う周囲の白煙を僅かに散らすようにしなると―――再び彼を襲う。
――ドォンッ!!
今度の音は、確かな衝突音だった。
だが―――。
「んえぇ!? なにぃ!?」
《―――グッ!?》
それは、猫バイトに直撃した衝撃音ではなく。
彼方から突如として飛来してきた一筋の流星――質量を伴う黒い影が、オルガヌスの振るわれた尾へと真っ向から激突した衝撃音だった。
オルガヌスの尾の軌道に割り込むように飛来し、その衝突の反動でオルガヌスの巨尾は大きく弾かれ、オルガヌス自身もまた身じろぐ。
一方、衝突した側の影は、その尋常ならざる勢いのまま円形空間の地面を激しく幾度も転がりながらも、なんとかマグマの壁のすれすれでようやく停止した。
砂煙が舞う中、転がったその姿をようやく視認できた猫バイトは……その存在に思わず裏返った声を漏らした。
「……っえ、サクラノヴァさん―――――――――!?」
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