第三十四話 いつかの誓い②
『――! ……全く……ここを壊す気か? アイツは……。面倒だが……』
ゴラクZが魔法を発動する少し前、サクラノヴァがそう呟く。
彼はすぐに闘技場の対面で試合を見守る二人の仲間へと視線を向け、素早く手首を返し、猫バイトと休日の周囲に、淡い色の防壁――耐熱魔法を張り巡らせる。
その後、彼は自身が身に着けている指輪のうちの一つが光ったのを確認すると、すぐに再び新たな呪文を唱えた。
『【時の墓標】』
直後、彼の足元から黒い液体が溢れ出し、すぐに闘技場の床はおろか、壁までを覆いつくす。
その光景を見た岩の巨人は思わず首を傾げる。
「エ"……サクラノヴァさん……もしかしてヤバいの来る……?」
その問いに、サクラノヴァが応えようとした、まさにそのコンマ数秒後――。
闘技場の中心を起点とした超高温の爆心地から、すべてを焼き尽くす灼熱の熱波が全方位へと暴発し、漆黒の液体で覆われた床の上を、凄まじい熱と衝撃波が波打たせて駆け抜ける。
「ギャッ!?」
「ひゃっ……!?」
耐熱魔法がどれほど熱を遮断しようとも、しかしその本質はあくまで耐熱。
衝撃と風圧までは防ぎきれず、凄まじい暴風の牙が観客席を直撃し、猫バイトと休日がまるで木の葉のように吹き飛んで観客席を転がっていく。
あまりの荒波に二人が情けない悲鳴を上げる中、サクラノヴァだけは大地に根を張ったかのように微動だにせず、ただ冷ややかに苦言を呈す。
『……ふん……ふざけた奴だ……』
サクラノヴァが冷ややかな声音でそう呟くと、煤まみれになった猫バイトがブルブルと震えながら半身を起こして問いかけた。
「いや、この威力って……あの人、これがガチのPVPだと思ってんじゃないの~……? ていうかさ……あの新しい人、大丈夫? いやさ、サクラノヴァさんに勝てるほどだから大丈夫だとは思ってはいるんだけど……アレを見ちゃうと、ねぇ……?」
観客席から放たれた心配そうな視線の先――闘技場の中心は、今や視界を完全に遮るほどの濃密な黒煙と、鉄すら一瞬で融解させるほどの灼熱の揺らぎに包まれている。
これほどの威力の爆心地にいれば、いかに手練れの冒険者であれ、あるいは並の魔獣であれ、肉片すら残らないんじゃないかと猫バイトが危惧していたが、しかし意外にもここで口を挟んだのは、ともに地面に伏せていた女性――休日だった。
「いったた……って、あれ? 猫ちゃんあの人のこと知らないの?」
「……? 知らないって、何を?」
「ほら、今戦ってる男の人の名前、サクラノヴァさんが言ってたの聞いてなかった? あの人―――――」
――黒煙が、晴れる。
「っ、はぁぁ~~~~~……こえ~~~~~っ……!? っ、ていうか……俺、生きてる……? ちゃんと人間の形してる……?」
先に姿を現したのは、衣服の裾や肩口が焼き焦げている青年。
だがその様相は、先までの特徴のない青年とは大きく変化していた。
彼の腕をよく見れば、まるで皮膚の代わりに埋め込まれたかのような、七色に揺らめく硬質な鱗のようなものが禍々しくも美しく輝いており、なにより、これほどの大爆発の渦中にいながら、かすり傷一つ負っていなかった。
そんな、灼炎種の王の最大級の攻撃を以てしても、一切の傷すらつけることの敵わぬ彼の名は「えぇえええええええええええええええええええ!?!!? あの人が竜種の王なのぉおおおおおおおおおおおおおおおおお!?!!!!???」
……。
先の熱波には及ばずとも、この場を震わせる驚嘆の声が観客席より響く。
しかしまぁ、彼がここまで驚くのも仕方のない理由があった。
なぜなら「えっ、えっ!? だって、だってさ! 竜種の王って言ったら、あの……いつも酒飲んでばかりの"変なオジサン"だったくない!? どういうこと!? あのオジサン引退したってこと!? あ、いや、待って!? そうだ、その名前!! !!! この間のPVPのランキングでも見た気がする!!! って、うっわそういうこと!? いやいやいや、でもサクラノヴァさん、あのオジサンにはタイマンで余裕で勝ってたよね!? じゃ、じゃあ、あの新しい竜種の王って……それ以上にバケモノってこと!? ……ハッ!? 竜種の王……っていうと、もしかして、だからゴラクZさんは本気で戦ってるってこと―――!?」
……ということなのだから。
『……黙れ。静かに見てろ』
サクラノヴァの低く冷たい声が、猫バイトの長広舌をピタリと遮り、場には再び静寂が訪れる。
やがて黒煙が完全に晴れ、次いで姿を現したのは、圧倒的な衝撃波の爆心地に立つ獣――ゴラクZ。
彼は青年の腕を覆う虹色の鱗を一瞥し、金色の鬣を揺らしながら不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「……それは、竜種の王の固有スキルか……? 全く……この俺の熱でさえ受け付けないとはな……」
彼はそう独り呟くと、ふと、観客席で腕を組んでいるサクラノヴァへと一瞬だけ鋭い視線を投げ、すぐに目の前の青年へとゆっくりと向き直った。
そして、彼は覚悟を決めたような足取りで近づくと、小さく嘆息し、なんと頭を下げてこう切り出したのだ。
「……すまなかったな。俺の降参だ」
「……んぇ?」
その唐突すぎる敗北宣言に、青年はポカンと口を開け、気の抜けた声を漏らす。
しかし、ゴラクZは青年の戸惑いなど一切意に介さず、頭を下げたまま、深い悔恨と納得の混じった言葉を紡ぎ続けた。
「一方的に俺だけが仕掛けておいてなんだが……今のが、俺の出せる全力のすべてだ。……そして、それが貴様……いや、君に一切通じぬのなら……もはや結果は目に見えているというものだろう……」
ゴラクZはそう言い切ると、ゆっくりと顔を上げる。
その猛々しい顔には、強者としてのプライドを打ち砕かれた敗北感よりもむしろ、長年胸のつかえになっていた何かがすっきりと洗い流されたような、清々しい安堵の色が滲んでいた。
それはまるで――これほどの強さを持つ者が現れたのなら、"もはや自分がこの場にいなくても、このギルドは安心だ"と言わんばかりに。
しかし、ふと何かを思い立ったかのように顎に手を添え、燃え盛る金色の鬣を揺らし、じっと青年の瞳を真っ直ぐに見据えた。
「……ム……これは聞かないでおこうと思ったのだが……折角、こうして竜種の王に会えたのだ。すまないが、"最後に"一つだけ教えてくれないだろうか?」
「え? あ、はい……」
その真剣味を帯びた低い声に、場の空気がわずかに引き締まる。
戸惑いを隠せない青年に対し、ゴラクZは、重々しく問いかけた。
「君……いや、竜種の王と為った其方にとって、我々灼炎種はどう見えている?」
それは、彼らが現在プレイしているこのゲーム、《ユグ:ドライアス》における、避けては通れない大きな問題の一つだった。
―――灼炎種は、竜種の劣化版。
かつてとある掲示板にて、誰かがこのような文言を残した。
それは当然多くの灼炎種たちのプライドを抉り、激しい怒りを買った。
だがしかし、残酷なことに、彼らの中にそれを真正面から否定できるだけの絶対的な根拠を持ち合わせている者もいなかった。
かの灼炎種の王でさえ、自身のアイデンティティでもある炎を竜種はいとも簡単に吹けてしまうこと。
さらには、炎そのものに対する圧倒的な耐性、空を駆ける翼、そして初期から解放されている第二形態の存在――。数え切れないほどの圧倒的な差を目の当たりにし、彼もまた、心のどこかで嫌でもそう思い知らされていたのだ。
だからこその問いだった。
竜種と灼炎種。
深く結びつきながらも、決して埋まらない溝を抱えた、相容れぬ二つの種族。
ゴラクZはその灼炎種の王としてずっと考えていたことがあった。
それはサクラノヴァにだけは既に伝えており、だからこそ、今回現れた新しい竜種の王との決闘を自ら志願したのだ。
異なる種族の王を集めたギルド、《ネクサス・レグリア》。
――もし、竜種の王がこのギルド加入を希望した時には自分が戦い、見定め。
その竜種の王に手も足も出なければ……自分はこのゲームを引退する、と。
「え……? いや、そんなの――」
青年は首をかしげ、少しだけ思案するように視線を宙に泳がせる。
正直、青年がどう答えようと、自身の繰り出した全てを、まるで何事もなかったかのように無効化するほどの相手だ。
たとえどんな返答をしても納得できるだろう、と彼は気楽に構えていた。
……やがて、青年は答えた。
それは、決して気負うことなく。
なんでもないことかのように。
「いや……マジかっけぇな、って……」
「そうか、やはりそう思……って……ヌェ?」
ゴラクZの猛々しい顔が、一瞬で間抜けな表情へと変貌する。
彼がまず疑ったのは、自らの聴覚。
しかし耳を澄まさずとも、しっかりと音は聞こえている
そして、次に疑ったのは……。
「……何を言っているのだ……? 熱で頭でもおかしくなったのか……?」
彼の精神状態だった。
自分の種族を卑下し続けるわけではないが、心のどこかでは、憐れみや、あるいは劣っているという残酷な真実を突きつけられ、否定されることを望んでいた部分もあったのだろう。
竜種の王ほどの存在に否定されれば、自らを縛り続けてきたこの悩みから解放されるのだと、ずっと考えていたのだから。
しかし帰ってきた言葉は――。
「いやいや! だって手から炎出すとか、体からエネルギー波出すとか、男のロマンすぎないですか!? ……いや、正直、マジでもっかい見たいなって思いましたもん! うわぁ、失敗したな~~~! 俺も灼炎種で始めれば良かったな~~~~!!!」
「―――!? そ、そうか……。だ、だがしかし、其方は思わぬのか!? その……我ら灼炎種が、竜種の劣化だとは……」
――この時ゴラクZは既に理解していた。
目の前の男が……いや……このような漢がそんなことを言うワケがないとッ!!!
……だがそれでも彼は聞きたかったのだ。
かつて……灼炎種を選んだ時に自分が考えていたことと全く同じことを口にした相手に。
そして青年はその言葉に目を丸くし、心底不思議そうに首を横に振る。
「え? どういうことですか? 普通に竜種と灼炎種は別物だし……てか"炎"を極めてるってめっちゃかっこよくないですか!? いや、ていうか劣化とか言うなら、むしろ竜種のほうがカスなぐらい劣化ですよ!? マジ……レベル全っ然上がらないし!!!!!」
長年、彼の心を縛り付けていた楔が――――切れる。
「……ック……はっはっは!!」
静まり返った闘技場の冷たい空気に、ゴラクZの豪快な笑い声が雷鳴のごとく響き渡り、周囲の空間に名残の火花がバチバチと散る。
彼の目尻には、こみ上げる歓喜と熱情の涙が浮かび――そして彼は、耐えきれずに青年の肩をガッシリと力強く掴んだ。
「其方……いや、新たなマスター!! 改めて我が名を名乗ろう! 俺はゴラクZ! 誇り高き灼炎種の王! そして……"炎を極めし王獣"だ……!」
「っ! かっけぇ……!! あ、え、と……じゃあ、俺の名前は――」
青年が慌てて自己紹介を挟もうと口を開けたが……しかし、これまで抱えてきたしがらみが無くなった今のゴラクZの熱い高揚感は……もう誰にも止められなかった。
「―――さぁてマスター! 先ほどはもう一度俺の炎が見たいと言ったな!? では早速、我が極限の灼熱をその身に――」
……否、一人だけ止められる人物がいるとするのならば……。
『……おい単細胞ども……。目的はまだ終わっていないんだ……ギャーギャー喚くな』
観客席の一角から突き刺さる、サクラノヴァの冷ややかで気だるげな呆れ声。
脳に響き渡るその氷点下のトゲが、ゴラクZの熱い暴走をピタリと縫い留めたのだった―――――。
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