第十九話 死の臭い
「……な、ンだありゃァ……? オキイチほどの攻撃が効かねェ創造種は見たことがねェ……しかも直前の一撃……あれァオキイチの攻撃のハズ……」
自身にとって驚くべき光景を目にしたイーディスは猫バイトが飛び去った天井の大穴を凝視し、低く、愉しげな唸り声を漏らしながら、その双眸に狂おしい光を宿していた。
そんな油断だらけのイーディスに対して、しかしサクラノヴァは攻撃を仕掛けるでもなく、余裕綽々と笑う。
『ふん。今更未知の相手に怖気づいたか?』
挑発を孕んだ硬質な骨の響きが、火山の空気を冷やすように滑り込む。
だが、それを聞いたイーディスはすぐに視線を目の前の相手へと向け、嗤った。
「クハハッ、莫迦言え! 知らねェからと言って俺たちが臆するとでも思ってんのかァ? むしろ面白ェじゃねェかッ!」
そう言い切ったイーディスは、自身の二尾の蒼炎を再び地面へ叩き付ける。
轟音と共に火花が散り、熱波が同心円状に広がっていく。
当然、戦いにおいては自身が知らないことなどは往々にして存在する。
どういう技を、魔法を、スキルを使うのか?
武器は使用するのか? 仲間の数は? 形態変化はあるのか?
だが、《戦いは、起こる前から始まっている》と言うように、相手が強者であれ弱者であれ、事前情報という名の武器があるかないかで、勝敗は大きく変わる。
だが―――こと"闘い"においては、そんな小賢しい情報などは無用。
必要なのは、刹那の肉体が放つ熱量と骨が軋む音。
そして、互いの命を削り合う、剥き出しの闘志だけ。
力と力のぶつかり合いこそが至高。
それを本能で知っている彼だからこそ、怯えるどころか、その表情は狂気じみた歓喜によって獰猛に歪められる。
強者にとって、未知とは恐怖ではなく、好奇心を満たす愉しみに他ならないと言わんばかりに。
「……だが良かったのかァ? わざわざオキイチの奴を飛ばさずとも、俺ァ二対一でも構わなかったんだが……」
余裕の笑みを浮かべ、挑発的に肩をすくめて見せるイーディスは、彼の愚策をあざ笑うかのような声音でそう告げる。
だが、サクラノヴァはその挑発に対し、かつての意趣返しのように答えた。
『……ふん、貴様も何か勘違いしているんじゃないか?』
「……なに?」
イーディスの笑みがわずかに細まる。
それは怒りではなく、サクラノヴァの言葉に虚勢も、焦りも感じられなかったことへの疑念に近い。
そして……。
『……あんな牛如きがここにいようがいまいがどうだっていいが……少しばかり俺が本気を出すと、仲間まで巻き添えにしてしまうのでな……』
何を、とイーディスが口を開こうとしたその瞬間だった。
蒼炎が照らす背筋に、突如強烈な寒気が駆け抜けた。
「――ッ!?」
ここは、煮え滾る灼熱が支配するカディオール火山の最深部。
周囲の壁からは絶え間なく溶岩が滲み出し、大気が真っ赤に鳴動していることからそれは間違えようもない事実。
だが今、イーディスの巨大な体を包み込んでいるのは、吹き荒れる熱風を強引に押し留めるほどの―――凄絶なまでの冷気だった。
「こいつァ殺気とは少し違ェな……? 濃い……死の臭いだ」
イーディスがそう感じた通り、この冷たさは実際に空気が凍りついたわけではない。
その身に炎を宿し、灼熱の肉体を得ている灼炎種の主ですら感じる冷たさ。
それは、不死種の王であるサクラノヴァが、本気で戦うべき存在と対峙したのみ解き放つもの。
不死種の王の専用パッシブスキル―――【死臭】。
不死種の王のみが生得的に纏う、存在証明である。
普段は自身の魔法によって完全に制御しているが、ことサクラノヴァ自身が制御が必要ないと感じた相手と対峙した時のみ、そのすべてが解放され、彼の周囲一帯にいる天地万象にその効果を及ぼすことが可能となる。
ただしこのスキルは、灼炎種の王――ゴラクZが纏う攻撃的な【熱気】とは違い、相手にダメージを与えるわけでも防御として直接作用するものではない。
だがそれでもなお、このパッシブスキルは種族王の持つスキルの中でもトップクラスの性能を誇るものとして知られている。
【死臭】が持つ効果―――それは、対象が抱く"恐怖心の強制増幅"。
これだけを聞けば、そんな大層なものではないと考えるプレイヤーもいるだろう。
現に、これまでサクラノヴァと対峙してきたプレイヤーの中にもそう考える者はいた。
――しかし、その悉くが、この【死臭】の影響により戦意を喪失し、あまつさえ今後一切にログインすることすらしなくなった者まで存在する。
すべての生き物には、逃れられない運命がある。
ネズミやトカゲ、犬や猫、魚に虫、そして人間。
どれだけ姿や形が違おうとも、この世に生がある限り、行き着く先はみな―――"死"である。
世間においては諸説あるものの、明確に"死"を経験した者が死後の世界を語るという事例は数千年前から現代まで、一つとして存在しない。
心停止したものの再度動き始めた人や、植物状態などの仮死状態から復活を遂げた例もあるにはあるが、それでもそれはあくまで死んでいなかっただけのこと。
死を宣告されてから数日経ち、そこから目が覚めたなどという事例は、一切存在しない。
そして、だからこそ生者は、先が未知である"死"を、極端に恐れている。
自身が傷つくことや壊れることで"死"を感じる"身体的恐怖"。
高所や閉暗所、雷や嵐などの災害から"死"を感じる"環境的恐怖"。
誰かに嫌われることや裏切られることの孤独から"死"を感じる"心的恐怖"。
怪物や幽霊、呪いなどから"死"を感じる"超常的恐怖"。
そして、自身が死すること自体に感じる"存在的恐怖"。
自我を持つ者はみな、小さな恐怖を抱えて生きている。
なぜならば、それは生まれながらに身についた生存本能だからだ。
しかし当然ながらそれを表に出しながら過ごす者はいないだろう。
各々が心の奥に仕舞い、隠し、その時が来た時にだけそれを見せてしまうもの。
だが、彼の持つこの【死臭】の前では、それらを決して許さない。
生者が抱えるあらゆる恐怖がこの冷気に触れた瞬間、どんなに小さなものであろうと膨れ上がる。
どれほどの強者であろうと、どれほどの精神力を保とうともこの“死の気配”の前では全てが無意味。
彼を前にした者はいずれも"恐怖"に支配され、一欠片でも彼の前で恐怖を抱こうものならその者は一切の攻撃性を失う。
―――仮に先の王都での戦いの際にこのスキルを制御していなければ、王都の民は一人残らず悪夢の淵に沈み、二度と夜明けを見ることはなかっただろう。
そしてそれは、かの剣聖も例外ではない。
「ハッ……なるほどなァ、不死の王の名は伊達じゃねェ……ってことかィ……いいじゃねェか! 燃えてきたぜッ!!!」
しかし、イーディスはこの【死臭】の渦中にあってなお、笑みを崩さない。
元来、種族最強の存在たる彼の中に、少しばかりの"恐怖"など、存在し得ないからだ。
だが、それでもなおサクラノヴァは冷静に、静かに言い放った。
『愚かな……30秒……それで貴様は充分だ』
「面白ェ!!! やってみやがれッ!!!」
イーディスの咆哮が再び火山の深淵を震わせる。
それに呼応するように周囲の壁や床から煮え滾る溶岩が噴き上がり、通路は一瞬にして紅蓮の煉獄へと変貌した。
渦巻く熱波がサクラノヴァとイーディスの間に歪むと、ついに……最強が動いた――――――。
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