弱き者
フューズとイリヤは並んで学校へ向かって歩いていた。
朝の東京は静かな空気に包まれている。しかしフューズは、いつもと違う違和感を覚えていた。
オフィス街へ続く大通り。本来なら通勤する人々で溢れているはずなのに、今日は異様なほど人影が少ない。
フューズは周囲を見回しながら眉をひそめた。
「イリヤ……気のせいか? なんか、人が少なすぎないか?」
イリヤは立ち止まり、周囲を静かに確認する。
「確かに異常です、マスター。この時間帯のオフィス街としては不自然です……少々、ネットニュースを確認します」
イリヤは目を閉じ、RCBを通じて情報ネットワークへ接続した。
数秒後、彼女はゆっくりと目を開く。
「……おかしいです。ニュースには何もありません。この規模で人が減っているなら、通常は何らかの事件報道があるはずです」
フューズは軽く肩をすくめる。
「ただのインフルエンザじゃないか? 流行ってるとか」
「ですが、それでも――」
「インフルって怖いんだぞ? 一気に広がるし。みんな家で寝込んでるだけだろ」
イリヤは小さく沈黙した。
(……マスターは、物事を深く考えない人ですね)
だが、その単純さがどこか心地よくもあった。
二人は再び学校への道を歩き始めた。
############
天才未来は警察本部から上機嫌で出てきた。
IQ200を誇る高校生探偵。今の彼にとって、この異常事件は退屈を吹き飛ばす最高の謎だった。
警察署内では電話が鳴り止まない。
「助けてください!」
「急に倒れたんです!」
「息子が起きないんです!」
捜査員たちは疲弊しきっていた。
そんな地獄のような空気の中、天才だけはスキップでもしそうな勢いで廊下を歩いていく。
「おい……あいつ空気読めよ……」
「いつか絶対殴る……」
警官たちは殺意のこもった視線を送るが、天才はまったく気づかない。
警察署の前には黒塗りのリムジンが停まっていた。
執事服を着た老人が静かに頭を下げる。
「坊ちゃま。本日は学校へ向かわれますか?」
「いや。中央東京病院へ行く。被害者をもう一度調べる」
「かしこまりました」
リムジンは静かに走り出した。
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円形の広間。その中央で、“蛇男”ゴロは巨大な椅子に腰掛けていた。
彼の前には、一人の男が頭を下げている。
「計画の進行状況は?」
「まもなく完了いたします、ゴロ様」
「“まもなく”?」
ゴロは立ち上がり、男の頭を重いブーツで踏みつけた。
「俺が聞きたいのは結果だけだ。“成功した”という言葉だけを聞かせろ」
「も、申し訳ありません……!」
男は震えながら謝罪する。
「残る設置地点は二つです。中央東京病院と――ネットワーク高校」
ゴロは男の頭を踏みながら鼻で笑った。
「そんな説明はどうでもいい」
そして腕時計を見る。
「……チッ。客人を待たせている」
彼は足を離し、背を向けた。
「戻る頃には成功していろ。失敗は許さん」
「は、はい……!」
男は地面に額を擦りつける。その時、彼は恐る恐る尋ねた。
「ゴロ様……なぜ、このようなことを?」
ゴロは足を止めた。
「簡単だ」
ゆっくりと振り返る。
「この世界には“弱い人間”が多すぎる。それを証明したいだけだ」
そう言い残し、ゴロは闇の奥へ消えていった。
############
フューズとイリヤはネットワーク高校へ到着した。
しかし学校内も異様だった。登校している生徒が明らかに少ない。
教室へ入ったフューズは、空席だらけの光景に驚く。
「なんだこれ……」
席へ座ると、前の席にいた泉が振り返った。
「おー、フューズ」
「泉、何があったんだ? 人少なすぎだろ」
「いや、俺も知らねぇ」
しかし次の瞬間、泉の目はイリヤへ釘付けになる。
「お、おいおいおい!? メイド型アンドロイドじゃねぇか!!」
フューズは露骨に嫌そうな顔をした。
「うるさいぞ、アンドロイドオタク」
泉は机を叩く。
「誰がオタクだ!! 今一番人気のメイド型だぞ!? 全国のオタクが崇拝してるレベルだからな!?」
「はいはい」
「しかもお前が持ってるとか意味わかんねぇ!!」
フューズはため息をついた。その時、泉が急に真面目な顔になる。
「……でも、大丈夫なのか?」
「何が?」
「そんな高級アンドロイド学校に連れてきて。会長にバレたら終わるぞ」
フューズの顔が青ざめた。
「……あ」
その瞬間。校内放送が鳴り響く。
『フューズ・ヒョウカ。至急、低層棟会長室まで来い。繰り返す――』
フューズは机に突っ伏した。
「終わったぁぁぁ!!」
泉は無言で手を合わせ、冥福を祈る仕草をする。
「お前助けろよ!!」
フューズは涙目で教室を飛び出し、イリヤがその後を追った。
############
天才は中央東京病院へ到着した。受付へ向かい、看護師へ話しかける。
「突然倒れた患者を見せてほしい」
「申し訳ありませんが、一般の方には――」
天才は即座に警察手帳を見せた。もちろん偽物だ。
「警察だ。案内してくれ」
「し、失礼しました!」
病室へ向かう途中、執事が尋ねる。
「坊ちゃま。その警察手帳は……」
「偽物」
「……ですよね」
病室へ入ると、天才は患者へ近づいた。
「さて。調査開始だ」
彼の瞳が青く発光する。
「《SCAN ACCESS — Eye of Search》」
空中にホログラムパネルが展開され、患者の情報が映し出される。
「やっぱりか……」
天才は目を細めた。
「全員、“バーチャルドラッグ”使用者だ」
執事が驚く。
「ですが、あのアプリは政府に削除されたのでは?」
「そのはずだった。でも誰かが再配布してる」
天才はさらに解析を進める。
「しかも去年の物とは違う……」
その瞬間。患者のRCBから一本の光線が天井方向へ伸びているのを発見した。
天才は上を見上げる。
「《SCAN ACCESS — Eyes of Invisible》」
視界が建物を透過する。そして屋上で装置を設置している人物を見つけた。
「見つけたぞ、ネズミ野郎」
天才は即座に病室を飛び出した。
「その人を守ってろ!」
「承知しました」
天才は全速力で屋上へ向かう。
############
フューズは低層棟会長室の前に立っていた。
入りたくない。だが逃げればもっと面倒になる。
震える手で扉を開ける。中には、一人の男が座っていた。
左右に分けた髪。腕章には「会長」の文字。低層生徒代表――リズキ・アルワン。
「会長……俺に何の用ですか……?」
リズキは眠そうな目でフューズを見る。
「呼ばれた理由、わかってるよな?」
「……はい」
「なら話は早い」
彼は手を差し出した。完全に“金を払え”のジェスチャーだ。
「……お金、ないです」
リズキの声が低くなる。
「じゃあ、なんでそんな高級アンドロイド持ってんだ?」
「もらったんです……」
「誰が無料でそんなもん渡すんだよ!!」
フューズは言葉に詰まる。リズキは深くため息をついた。
「俺だって好きで徴収してるわけじゃねぇ。上層生徒どもがうるさいんだよ」
この学校には明確な階級が存在していた。
裕福な者は“High”。
貧しい者は“Low”。
設備も待遇も全て違う。
Highの生徒たちはLowを見下し、暴力と恐喝を繰り返していた。
そしてLow側をまとめているのが、このリズキだった。
「本当に金ないんです……」
リズキは頭を掻く。
「……まぁ、お前の事情はわかってる。中学の頃から――」
その瞬間。
ドサッ。
リズキが突然床へ倒れ込んだ。
「会長!?」
フューズは慌てて駆け寄る。しかし返事はない。
その時。視界の端で、誰かが部屋から逃げていくのが見えた。
「待て!!」
フューズは即座にその人物を追いかけた。
男は階段を駆け上がっていく。向かう先は――屋上だった。




