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AIに依存しきった世界でAIをなくした私が、それでも生きていく方法  作者: 朝陽 春輝


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第003話 鍵のない部屋

ついさっきまで便利だったものが、急に厄介に見えてきた。

私は、それがどれほど自分勝手な考えかと思いながら、扉に手をかけた。

開かない。

蹴ってみる。

足の指に、これまで経験したことのない痛みが走った。

「痛っ!」

 思わずその場にしゃがみ込む。

「ロク、痛み止め!」

 返事はない。

 そうだった。

 ロクはいない。

 足を押さえながら、もう一度扉を見上げた。

 近づけば開くはずの扉が、今ただの壁だ。

 正確には、扉を開くための操作方法が分からないだけなのだが、私には同じことだった。

 しばらくすると、壁の端末に小さな文字が表示された。

《個人AI未接続時の生活支援案内》

 痛みを忘れるかのように立ち上がった。

「何だ、あるじゃん」

 画面には、いくつかの項目が並んでいた。

《緊急通報》

《公共生活支援窓口》

《手動設備操作説明》

 迷わず、緊急通報を押した。

「こちら緊急通報センターです。状況をお伝えください」

 女性の声がした。

 とは言ってもこの声も誰かのAIだ。

「家から出られないんです!」

「室内に閉じ込められているということですか?」

「そうです!」

「火災、浸水、その他の生命に関わる危険はありますか?」

「それは、ありませんけど」

「体調に異常はありますか?」

「さっき足をぶつけました」

「歩行は可能ですか?」

「はい」

「では、緊急救助の対象には該当しません」

「いや、出られないんですよ!」

「手動開錠の案内をご利用ください」

「それが分からないから電話してるんです!」

 少し黙った。

「個人AIはご利用になれますか?」

「それがいないんです」

「故障ですか?」

「……捨てました」

 今度は、先ほどより長い沈黙があった。

「個人AIの放棄手続きをされた、ということですか?」

「そうです」

「承知しました。では、公共生活支援窓口へおつなぎします」

 思わず聞き返した。

「今、あなたが教えてくれるんじゃないんですか?」

「私は緊急通報の担当ですので」

「人が困ってるんですよ?」

「はい。ですから、担当窓口へおつなぎします」

 通話が切り替わった。

《現在、二十三件の相談が待機しています》

 ため息とともに壁にもたれた。

 二十三件。

 自分と同じような人間が、それだけいるということなのだろうか。

 いや、単に困っている人がいるだけかもしれない。

 五分……

 十分……

 聞き覚えのあるクラシックが保留音として流れている。

 お腹が減ってきた。

 考えてみれば、夕食を食べていなかった。

 いつもならロクが用意している時間だった。

 冷蔵庫を開けると中には野菜、肉、卵、牛乳が入っている。

 食料はある。

 しかし、料理はなかった。

「……何なの、これ」

 卵を一つ取り出した。

 手のひらで転がす。

 卵料理なら食べたことがある。

 何百回も。

 ところが、卵を料理したことは一度もなかった。

 しばらく卵を眺めて、元の場所へ戻した。

     

「お待たせいたしました。公共生活支援窓口です」

 突然声がして、飛び上がった。

「遅いですよ!」

「申し訳ありません。本日は相談が集中しております」

「とにかく、家から出たいんです」

「手動開錠の方法をご案内します」

 電話の向こうで淡々と説明を始めた。

 扉の右側にある細長い蓋を開けること。

 内部の金属部品を押し下げること。

 そのまま扉を手前へ引くこと。

 私は何度も聞き返した。

「右って、私から見て右ですか?」

「室内側から見て右です」

「蓋って、どれですか?」

「扉の端から十二センチの位置です」

「十二センチって、どのくらいですか?」

お互い黙った。

 こんな質問をしたのは、生まれて初めてだった。

 しばらくして、相手のAIが言った。

「お手元に定規はございますか?」

「……定規って、何に使うんですか?」

 電話の向こうでこのAIの持ち主がついた、聞こえるはずのないため息が聞こえた気がした。

     

三十分後、玄関の扉が開いた。

 一旦はその場に座り込む。

 たった一枚の扉を開けるために、三十分。

 信じられなかった。

「ありがとうございました」

 私は通話を終えようとした。

「お待ちください」

「何ですか?」

「個人AIを放棄された方には、生活再訓練制度のご案内があります」

「再訓練?」

「調理、移動、手動機器の操作、基礎的な生活管理などを学ぶ制度です」

「そんなの必要ありませんよ」

「本日のご相談内容から、受講をおすすめします」

 開いた扉に目が行った。

 確かに、扉一つ開けられなかった。

 しかし、それと料理や移動に何の関係があるのだろう。

「それより、ロクを戻してもらえませんか?」

「放棄された個人AIの再接続は認められていません」

「そこを何とか」

「制度上、不可能です」

「じゃあ、別のAIを」

「個人AIの割り当ては生涯一体です」

「分かってますよ! さっきから同じことばっかり!」

 また声を荒らげてしまった。

「そもそも、ロクはどこに行ったんですか?」

「放棄された個人AIは、政府管理施設に移管されます」

「壊されるんですか?」

「いいえ。管理下で保管されます」

「だったら、返してくださいよ」

「再接続は認められません」

 なにも言い返せなかった。言い返しても無駄なことは理解している。

 壊されるわけではない。どこかに存在している。

 なのに、二度と自分のところには戻ってこない。

 妙な話だった。

「……分かりました」

「生活再訓練制度のお申し込みをされますか?」

「考えておきます」

「承知しました」

 取り返しがつかないことをしてしまった。

にもかかわらず、通話が終了したとき私は、これまでとは違う人生の始まりを予感していた。


第003話主な登場人物


有馬 灯里 (ありま あかり) ・・・本作の主人公


ロク   (ろく)     ・・・灯里の個人AI


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