第4話 祈りを綴る者
シハルは、書類を抱きしめたまま、早足で回廊を駆けた。
大聖堂の喧騒が漏れ聞こえてくる。窓の外では、いまだ崩れた壁の片付けに追われる人々の怒号や、遠くで燃える煙の匂いが漂っている。
その中で、教会の北端にある書記官室は、まるで別世界のように静まり返っていた。彼女は、重い樫の木の扉を叩く。
「ルーク! 入るわよ」
返事を待たずに扉を開けると、そこには一人の青年が座っていた。 部屋は古い紙の乾いた匂いと、インクの香りで満ちている。
ルークと呼ばれた青年は、窓から差し込む午後の光を背に、黙々と筆を走らせていた。
「こんにちは、ルーク。今日も祈書の依頼がたくさん来ているの。イサラ様から預かってきたわ」
シハルは机の上にどさりと書類を置く。ルークはその手を止めることなく、感情の読めない声で応えた。
「……そこに置いておいてください。昨日受けた依頼の分は、そちらに」
ルークは顔も上げず、隣に積み上げられた完成済みの紙の束を指し示す。
教会の書記官。彼らは教会組織において、文書作成を担う技術職で、教会に保管する正式な記録や発行文書、人々へ配る神典の写しを作成するのが主な役目だった。
中でも、神へ奉納する、人々の祈りを綴った、祈書の作成は、特に書の巧みな者に任される、重要な仕事だ。
ルークの書は、評判が良かった。彼の書く文字に間違いはなく、本人の無愛想な態度に反して優美な曲線が並ぶその文字は、眺めているだけで心が落ち着くような美しさだった。
シハルは彼の手元を覗き込む。そこには、流麗な筆致で神典の一節が記されていた。
「相変わらず、綺麗な字ね……でも、ルーク、あなたはもう少し信心を持った方がいいわ。これはただの書類じゃない、教会から、神様へ届ける、人々の祈りなんだから」
シハルはたっぷりと熱を込めて言う。
「信心、ですか」
筆を置き、自分の書いた文字を点検するように眺める彼の瞳は、大聖堂に集まる人々の熱狂とは無縁の、冷えた色をしていた。
「僕は、ただ頼まれた文字を書くだけです。意味なんて、どうでもいい」
ルークは筆記具を磨きながら、淡々と答える。几帳面に並んだ道具を、愛でるように順に手入れする。
「そんな言い方……! 神様は、大地を揺らしてまで私たちに道を示してくださっているのよ? いつでも私たちを、見ておられるの!」
「そうですね。見ておられるのでしょう。……だからきっと、僕がこの美しい文字でどれほど嘘を並べているかも、全部お見通しですよ」
ルークは再び筆を手に取ると、シハルの反論を遮るように、新しい紙に向き合う。
彼の書く『神の慈愛』の文字は、皮肉なほどに完璧だった。しかしルークにとって、それはただの記号であり、給金を得るための道具でしかない。
「頼まれたものは、頼まれた通りにお納めしています。それでいいでしょう? 最近、依頼が多くて立て込んでいるんです。用がないなら、もういいですか?」
彼は面倒そうな顔でシハルを見る。彼女はため息をついた。
「悪かったわね、今日の分も、よろしく頼むわ」
「もちろん、抜かりなく。仕事ですので」
シハルは憤慨したように肩を揺らしたが、彼の頑なな態度に再びため息をつき、部屋を後にした。
一人残されたルークは、今までと同じように、祈りの文字を紡ぎ続ける。部屋には、さらさらと紙を撫でる筆の音だけが響く。ゆっくりと日が傾いていった。




