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第3話 ノルセディア教会

 大地震に見舞われた地上は、混沌の中にあった。元来、地震というものがほぼ起きないこの聖都において、大地が揺れるという異常事態は、人々の不安を根底から揺り起こした。

 

「——あれは、予兆だったのだ」


 街角で誰かが囁けば、皆がそれに縋る。思い返せば、いくらでも予兆は見つかった。

 神典に記された曖昧な警句。預言者が見たという予知夢——街が崩れ落ちる、という()()()()なもの——、突如として北の空を裂いた彗星。


 すべての事実に理由を見出し、人々は理解できない現象を、神の意思へと変換していく。


 神典派(ノルセディア)中央教会。聖都ハベルの中央に鎮座し、大陸中の神典派(ノルセディア)教会を束ねるその教会には、この度の災厄を受け、各地から司祭たちが集まっていた。


 神典派(ノルセディア)教会の力は、ここ聖都ハベルを中心に、大陸全土を覆っている。

 教会の司祭たちは、熱心に布教活動を行ってきた。その手に神典を携え、大陸の端まで、地道に、その教えを説いて回る。


 『()(かみ)』と『(つい)(かみ)』の二柱を(まつ)る、教会を中心としたその教えは、他のどの信仰、どの宗派よりも多くの信徒を抱え、神典派(ノルセディア)教会は、そしてその信徒の数に伴う力を持っている。


 今、各地から集まった司祭たちは、教会の会議室の長い机を囲んでいる。


「これは、どういうことでしょう?」

「我々は、どうすれば……」


 上座に座る一人の男に視線が集まる。皆が、彼が口が開くのを待っていた。

 第八代大司教、イサラ。ひときわ立派な神服を纏った彼は、その場の静寂を支配するように厳かに告げる。


「この度の災厄は、(おご)れる我らに対する、神の戒めです」


 その言葉に、集まった司祭たちの間にざわめきが広がる。同時に、天からの視線を意識するように背筋がすっと伸びた。


 自ら語らぬ神の言葉を、自分が伝えなければならない。その使命感を胸に、イサラは、朗々と言葉を継ぐ。


「我らは()(かみ)による、天の恵を当たり前のものとして享受し、祈りを疎かにしてきました。……私自身も含めて、です。その傲慢に(つい)(かみ)は怒り、我々を正そうとしておられる」

 

 イサラは周囲を見回す。彼は、誰よりも深く神を信仰していた。そして、人々の不安と恐怖を、誰よりもよく理解していた。

 その不安や恐怖を、和らげることこそが、教会、ひいては大司教たる自分自身の役目だと、強い信念を持っていた。


「皆、落ち着きなさい。我々のすべきことは一つ。すべての民を正しき道へ導くことです。その使命は、災厄があろうとなかろうと、揺らぐことはありません。神は、いつでも我々を見ておいでです」


 迷いのないその言葉に、司祭たちは力強く頷いた。


「引き続き、布教に励みましょう。祈りを捧げましょう。教会は人々の灯火(ともしび)。迷える民を、我々が救うのです」





 イサラは、司祭たちを伴って大聖堂へと入った。

 床に置かれた蝋燭の火がゆらゆらと揺れている。聖歌隊の透き通った歌声が、高い天井まで届く。

 教会を訪れた人々は、肩を寄せ合って座っていた。泣いている者もいれば、無言で指を組み続ける者もいる。誰もが、神に祈っていた。 


 カタカタカタと、壁のステンドグラスが震える。光を通して美しい色彩に輝く、歴史上の聖人たちも、地上の人々と共に震えているかのようだった。


「……また、揺れた」


 誰かの小さな声。空気が張りつめる。イサラが口を開いた。


「皆、恐れることはありませんよ」


 その声は穏やかで、しかし鋼のような確信に満ちていた。救いを求め、この教会に集った人々に聞かせるための声。


「この災厄は偶然などではありません。神は、意味なく大地を揺らしたりはなさらない。

私たちは、長い間、()(かみ)の恵みを当然のものとして受け取ってきました。港は栄え、作物は実り、子は増え……それでも、我々は祈りを忘れてはいなかったでしょうか、感謝を忘れてはいなかったでしょうか?」


 ざわめきが広がり、話を聞く人々の視線が下がる。誰かが、唇を噛みしめた。イサラは神典の一節を引いて続ける。


「神典の第三章十二節に、こうあります。

 ――『人が己の傲慢を恥じず、祈りを忘れたとき、神は人々の足元を揺らがし、その愚かさを知らしめた』」


 司祭の一人が、はっと息を呑む。


「思い返してみてください。私たちは、この豊かな日々を、当たり前のものとして顧みなかった。

思い出してください。彗星が北の空を裂いた夜を。預言者が見たという夢を。崩れる街、燃える家々……あれらは、すべて、我々の慢心を(いさ)める、(つい)(かみ)からの警告、災厄の前兆だったのです」


「では……(つい)(かみ)は、私たちに何をお望みなのですか。私たちは、どうすれば」


 前列に座っていた老女が、震える声で問いかけた。


「祈ることです。悔い、改めることです」


 その問いに、イサラは答える。短く、はっきりと。その声には一片も迷いはなかった。


「我々は、神に向き合わねばなりません。罪を省み、正しき形で祈らねばならない。そうすれば、必ず神はお救いくださいます」


「……正しき、形?」


 イサラを一心に見つめていた青年は、小さく問う。イサラは、ゆっくりと周囲を見回した。怯えた顔。縋るような目。答えを欲する表情。


「教会を、信じなさい。我々神典派(ノルセディア)教会が、あなた方のために、祈りましょう。罪を、悔い改めるのです」


 イサラの確信を映した声に、人々はめいめいに頷く。大地は、いまだ、思い出したように揺れ続けていた。





「イサラ様!」


 教会の事務所へ、神官服を身につけた少女が駆け寄ってくる。


「おお、シハルか」


 シハルと呼ばれた十代中頃の少女は、目を輝かせてイサラのことを見ていた。


「見事なご説教でした。私もイサラ様のように、神様の声を正しく伝えられるようになりたいです!」


 シハルの声は熱を帯びている。


「君なら大丈夫だよ。神から祝福された、聖祈(せいき)の星の(もと)に生を受けたんだからね」


 イサラは微笑む。


「それに、幼い頃から勉強熱心で、何より、信心深い。だからきっと、すぐに立派な司祭になるよ。お父上(ジーベル)のようにね」


 シハルの父、ジーベルは、神典派(ノルセディア)教会の聖司祭。大陸中で数千人を超える司祭の中でも、わずか十人しかいない要職である。


 シハルが幼い頃から、ジーベルは各地に点在する教会を回りながら、聖教軍を率いて、布教活動を行なっている。

 家を空けがちな父に、シハルが会うことは滅多になかったが、遠く異教の地で戦う父を、彼女は尊敬していた。


「はい、もっと神典を読んで、勉強します! 父からも、神典をよく読むようにと、いつも言われているんです」


 イサラを見つめるその瞳には、父譲りの熱が宿っている。


「良い心がけだね。引き続き励みなさい」


 イサラはにっこりと笑う。


「ジーベルも、君のその熱心な姿を見たらきっと喜ぶことだろう。

聖教軍の皆も、この神の怒りを鎮めるため、より一層励んでいるはずだ。我々は、ここで彼らの無事を、祈っていよう」


「はい!」


 シハルは元気よく頷いた。


「そうだ、祈書(きしょ)の依頼がまたたくさん来ていてね。いつものように書記官への依頼、頼めるかな」


「もちろんです!」


 シハルは嬉しそうに、イサラから書類の束を受け取った。


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