第15話 祈書
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書類の束を抱えたシハルは、足取りも軽く書記官室へ向かう。彼女の息は弾んでいた。
「ルーク! 聞いて!」
返事を待たずに扉を開ける。
室内では、いつもと同じように、ルークが机に向かっていた。窓から差し込む光の中、彼の筆は淡々と紙をなぞっている。
「イサラ様がね、新しい方針をお決めになったの」
シハルは机の上に書類を広げる。そこには、教会の印の押された祈書の申請書が整然と並んでいた。
「罪の重さに応じて、悔い改めの正式な祈文を用意するの。これで、この災厄もきっと鎮まるはずよ」
ルークは、反動で揺れる机に眉を顰めるだけで、筆を止めることはない。
「これからは、教会が祈りを代わりに神様へお届けするの。苦しんでいる人々を、私たちが、導いてあげるのよ!」
彼女の声は、誇らしげだった。自分が、神と人をつなぐ一端を担っている。その実感が、胸を満たしていた。
「……代わりに、ですか」
ルークは、ようやく顔を上げた。
「ええ。素敵でしょう?」
シハルの表情は明るい。
「恐怖の中にいる人々の代わりに、私たちが祈ってあげるの! 素晴らしい役目じゃない? 私もね、これからは神官として祈りの儀式に参加していい、って、イサラ様が認めてくださったの!
……ねえ、ルーク、聞いてる? あなたの書いた祈書がみんなを救うのよ!」
ルークは、筆をインクに浸しながら、静かに言った。
「……あなたはそんなことで、いいんですね」
彼は再び紙に視線を落とす。
シハルはわずかに眉を顰めた。
「どういう意味?」
「いえ。別に」
ルークはそれで終わりだ、と言うように下を向いて文字を書き続ける。
「別にって何? ちゃんと言いなさいよ」
シハルは不満気に問いかける。ルークはしぶしぶ続きを口にする。
「大したことじゃありません。少し意外に思っただけです。……あなたは、信心が大切だとおっしゃっていたと思ったので。
僕はいいと思いますよ。お金を払えば罪が軽くなると思える。教会が祈ってくれるなら、自分は何もしなくていいと思える」
「違うわ! そんなんじゃない!」
シハルは思わず声を張り上げた。あなたが言えと言ったんでしょう、と彼はため息をつく。
シハルの言葉は止まらない。
「贖うためよ。悔い改めるために、祈るの。それは変わらないわ。教会は、その手助けをするだけ」
「手助け、ですか」
ルークは、机の端に積まれた祈書を指で叩く。
「僕の書いた、この紙切れで?」
「紙切れだなんて! 」
シハルは鼻息を荒げる。対してルークは、変わらず淡々とした様子で続ける。
「あなたは、代わりに祈ることで満たされる。きっと善行を積んで、神様からも評価されるんでしょう。
僕は、あなたみたいに信じられないから、それなのに嘘ばかり書き連ねているから、きっと死んだら牢屋行きです」
彼は目を伏せると、新しい紙を取り、文字を書き連ねる。その文字は、美しく、揺るぎない。
書きながら、神官様に向かって、僕は何を言っているんだ、とルークは訝しむ。
シハルはいつでも真っ直ぐで、嘘がない。だから、いつも慎重に他人との距離を測っているルークも、シハルの前だと、ついその境界線に足を掛けてしまう。臆病で自分の中に隠していたものも、彼女になら見せられるような気がしてしまうのだ。
彼女には、悪意がないから。決して他人を貶めたりしない。彼女を見ていると、それが心から信じられる。それはきっと、神官としては得難い才能なのだろう。
それでも、そのまっすぐな心に、同時に距離も感じていた。きっと、この純真な少女には、自分のような斜を向いた心根など分かるまい。
今も彼女は、ルークに向けていたわるような視線を向けていた。
「ルーク、そんなことはないわ。慈悲深い神は、祈るものすべてを救済くださるのよ。大切なのは、神を信じ、祈ること。あなたはこんなに善行を積んでいるのだもの。きっと天国に行けるわよ」
シハルは励ますようにそう言う。ルークはため息をついた。
「……そうですね」
シハルのまっすぐな瞳を見たルークは、あきらめたように立ち上がる。トントントン、と書類の束を揃えてシハルに手渡した。
「もう、いいですよ。分かりました。また依頼があるんですよね。そちらに置いておいてください」
もし本当に、祈りが届くというのなら、それなら——
神の祝福を無条件に信じるには、彼にとってこの世は、あまりにも不条理だった。




