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蜜と毒の決算

【お知らせ】

この作品は生成aiを用いて執筆を行なっています

あらかじめご了承の上、お楽しみください

マリアベルの禁術が暴かれてから三日が経過していた。


王宮の大広間は、かつての華やかさを完全に失っていた。豪奢なシャンデリアの光は変わらず降り注いでいるというのに、そこに集う貴族たちの表情は暗く、囁き声ばかりが天井に木霊している。


「聖女が禁術使いだったとは……信じられん」


「王太子殿下は何も知らなかったのか? それとも……知っていて庇っていたのでは」


「どちらにせよ、もう終わりだろう。国王陛下のお怒りは相当なものらしい」


毒を含んだ視線が、広間の片隅に立つ一人の青年に集中していた。


エドワルド・ローゼンクランツ。


かつて社交界の太陽と謳われた王太子は、今や影を纏って立ち尽くしている。金髪は艶を失い、碧眼は焦点が定まらない。端正な顔立ちはやつれ、頬はこけ、唇は乾いてひび割れていた。


三日前まで彼の周囲を取り巻いていた貴族たちは、まるで最初から存在しなかったかのように消え去っていた。アウグスト・フォン・ゲルトナーは既に投獄され、残りの取り巻きたちは我先にと距離を置いた。


「……殿下」


一人の侍従が恐る恐る近づく。かつては媚びへつらうように声をかけてきたその男も、今は視線を逸らしている。


「調査委員会から、本日中にご出頭いただきたいとのことです」


エドワルドは何も答えなかった。答える言葉が見つからなかった。


広間の向こう側で、二人の貴族が彼を指差して嘲笑うのが見えた。かつて彼に追従していた者たちだ。


「……僕は、王太子だぞ」


呟いた声は、誰の耳にも届かなかった。




ヴァイスブルク公爵邸の離れ。


外界の喧騒から隔絶された書斎で、リーゼロッテは静かに羽根ペンを走らせていた。窓から差し込む午後の陽光が、机上に広げられた羊皮紙の山を照らしている。


「お嬢様、王家資金横領の書類は全て整いました。アウグスト卿の賭博場からの資金ルートの裏付けも完了しております」


エルザが新たな書類の束を抱えて入室する。栗色の髪をきっちりと結い上げた侍女は、いつもの毒舌を封じ、事務的な口調で報告を続けた。


「ご苦労様、エルザ。これで王太子殿下に関する証拠は完璧ですわね」


「しかし、これほどの量の証拠を五年間も……お嬢様の忍耐には、改めて頭が下がります」


「忍耐ではありませんわ。これは……準備ですもの」


リーゼロッテは手を止め、机の引き出しから一つの魔道具を取り出した。


淡い銀色の光沢を放つ小さなペンダント。繊細な銀細工で縁取られた楕円形の護符。一見すると、若い令嬢が身につけるような可憐な装飾品に過ぎない。


「これが……全ての始まりでした」


リーゼロッテは護符を掌の上で転がした。


「殿下にお贈りしたお守りと対になる、受信用の魔道具でございますね」


「ええ。五年前、私は『殿下のご安全を祈って』と微笑みながら、この魔道具と対になるお守りを彼にお贈りしましたの」


エルザは護符を見つめ、静かに息を呑んだ。


「あのお守りは、半径二十歩以内の会話を全て記録しますわ。五年分の容量を持つ特注品。母上が残してくださった研究資料を元に、私が調合液と術式を組み上げました。そして、その記録は全てこちらの護符に転送される仕組み」


「つまり、王太子殿下の私室での会話は……」


「全て、ここに」


リーゼロッテは護符に魔力を注いだ。淡い光と共に、護符から薄い板状の投影が浮かび上がる。そこには日付と時刻、そして膨大な量の音声記録が整然と並んでいた。


『マリアベル、もっと王家の予算を使っていい。リーゼロッテのような退屈な女に使う金など惜しくない』


『アウグスト、例の件は上手くやれ。帳簿は二重にしておけ』


エドワルドの声が、次々と再生される。


エルザは呆然とした表情を浮かべた。


「……お嬢様。五年間、ずっとこれを聞いていらっしゃったのですね」


「ええ。愛する婚約者への贈り物ですもの。大切に使っていただけたようで、何よりですわ」


その声は、蜜のように甘く、毒のように冷たかった。


「調査委員会への提出は、明日の朝。匿名の情報提供者として、王宮魔道師を通じて届けますわ。私の関与は、最後まで表に出ません」


「流石でございます、お嬢様。五年分の毒が、ようやく殿下に回り始めるのですね」


リーゼロッテは窓の外を見つめた。薄紫水晶の瞳に、冷たい光が宿る。


「さあ、殿下。甘い蜜の正体を、存分に味わっていただきましょう」




翌朝、王宮の調査委員会会議室は、重苦しい沈黙に包まれていた。


長方形のオーク材のテーブルを囲むのは、王国の重鎮たちと老魔道師グスタフ。そして証人席に座るのは、かつての王太子派閥の貴族たち——今や保身のために味方を売る裏切り者の群れ。


「これが、匿名で提出された証拠品です」


グスタフが机上に魔道具を置いた。淡い銀色の護符——リーゼロッテが王太子に贈った、あのお守りだった。エドワルドはそれを見て、顔色を変えた。


「それは……リーゼロッテがくれたお守り……? いや、なぜここにある?」


「この魔道具には、過去五年間にわたる会話記録が保存されております。王太子殿下の私室における、全ての会話が」


エドワルドの顔から血の気が引いた。


「な……何を馬鹿な! そんなものは偽造だ!」


「では、確認いたしましょう」


グスタフが魔力を注ぐと、護符から音声が流れ出した。


『アウグスト、来月の王家予算から二千金貨を賭博場の運営費に回せ。帳簿は適当に誤魔化しておけ』


『了解しました、殿下。聖女様への贈り物も、同じ予算から捻出いたしましょう』


『ああ、好きにしろ。どうせ父上は細かいことなど見やしない』


会議室が凍りついた。


「これは……」


「偽造など不可能です」グスタフは淡々と続けた。「この魔道具には改竄防止の術式が組み込まれている。記録された音声は、発声者の魔力痕跡と共に保存されます。王太子殿下の魔力と完全に一致しております」


エドワルドは立ち上がろうとしたが、足が震えて動けなかった。


「待て……待ってくれ。これには事情が……」


その時、証人席に座っていた伯爵家の当主が立ち上がった。


「私は、王太子殿下の命令で資金を流用しておりました。証言いたします。全ては、殿下の指示でした」


「お前……! お前は、つい先週まで僕に『殿下のためなら何でも』と——」


「申し訳ございません、殿下」


男は頭を下げたが、その目には何の感情もなかった。


次々と、かつての仲間たちが立ち上がる。


「王太子の命令だった」


「私は従っただけ」


「全て殿下の独断です」


裏切りの言葉が、雪崩のように押し寄せた。エドワルドは崩れ落ちるように椅子に沈んだ。


「嘘だ……嘘だ……! お前たちは僕の味方だったはずだ……!」


会議室の扉の向こうで、衛兵たちが待機しているのが見えた。彼らの視線は冷たく、敬意の欠片もなかった。


黄金の王子は、今や罪人として裁きを待つ身となっていた。




数刻後、王宮の私室は牢獄のようだった。


調査委員会での屈辱から戻されたエドワルドは、部屋の片隅で膝を抱え、虚ろな目で床を見つめていた。王位継承権の停止が通達され、彼は事実上の軟禁状態に置かれていた。


「なぜだ……なぜこうなった……」


同じ問いが、何度も頭の中を巡る。


コンコン、と扉を叩く音。


「……誰だ」


「殿下。面会のお客様です。シュヴァルツェン伯爵家の……いえ、リーゼロッテ様でございます」


エドワルドの心臓が跳ねた。


——リーゼロッテ? なぜ彼女が。


しかし、彼の心には一筋の希望が芽生えていた。五年間、僕に尽くしてくれた。彼女なら、まだ僕の味方かもしれない。


「……通せ」


扉が開く。淡い銀灰色の髪が、午後の光を受けて柔らかく輝いていた。


「殿下、お久しぶりでございます」


リーゼロッテは、かつてと何も変わらない笑顔でそこに立っていた。


「リーゼロッテ……!」


エドワルドは堰を切ったように駆け寄り、彼女の手を掴んですがりついた。かつての傲慢な王子の面影はなく、そこにいるのは怯えた子供のような青年だった。


「来てくれたのか。僕のところに、来てくれたのか」


「ええ、殿下。お辛い状況と伺いました。お見舞いに参りましたの」


「助けてくれ、リーゼロッテ」


エドワルドは跪いた。王太子が、かつての婚約者の前に膝をついている。


「僕は陥れられたんだ。誰かの陰謀だ。お前なら分かるだろう? 僕は悪くない。お前の力を貸してくれ」


涙が頬を伝う。見苦しいほどの懇願。かつて『君の愛は重荷だ』と言い放った口が、今は助けを求めて震えている。


リーゼロッテは静かに彼を見下ろした。


「殿下。あの日のこと、覚えていらっしゃいますか?」


「あの日……?」


「春季舞踏会の夜。殿下は私にこうおっしゃいましたわね。『君の愛は重荷だ。僕には本当に愛する人ができた』と」


「あれは……あれは、その……」


「お気になさらないでください」


リーゼロッテは彼の手を取った。冷たい、とエドワルドは思った。彼女の指先は氷のように冷たかった。


「私、とても嬉しかったのですよ。あの言葉を聞いた時」


「……嬉しい?」


「ええ。だって——」


リーゼロッテは微笑んだ。蜜のように甘く。毒のように冷たく。


「——やっと、この仮面を脱げるのですもの」


その瞬間、彼女の手がエドワルドの手を払い除けた。


「な……っ」


払い除けられた手が、虚しく宙を掻いた。彼女の顔から、蜜のような微笑みが消えていく。代わりに現れたのは、氷のような冷徹さ。


「殿下。私の愛は、最初から毒でしたのよ?」


「……何を、言って……」


「貴方が甘いと感じていたのは、毒が回る前兆でしたの」


リーゼロッテは一歩後退した。エドワルドとの距離を、明確に開ける。


「五年間、私は完璧な婚約者を演じました。貴方の傍で微笑み、貴方に尽くし、貴方を愛しているふりをした」


「ふり……だと?」


「お守りを覚えていらっしゃいますか? 婚約の証として、貴方に贈った銀の護符」


エドワルドの顔が青ざめた。


「あれは……まさか……」


「五年分の記録。貴方の私室での会話を、全て」


リーゼロッテは微笑んだ。しかしそれは、もはや蜜の笑顔ではなかった。氷の刃のような、冷酷な笑み。


「横領の相談。聖女との密会。私を嘲笑う言葉。……全て、聞いておりましたわ」


「お前が……お前が仕組んだのか……!」


「ええ。でも、横領したのも聖女に現を抜かしたのも、貴方ご自身ですわ。私はただ……記録していただけ」


「どうして……僕は君を愛していたのに……!」


その言葉に、リーゼロッテの目が一瞬、凍りついた。


「愛? 殿下。私を道具としか見ていなかった方が、愛を語るのですか?」


「道具だなんて、僕は——」


「『退屈な人形』。殿下は私をそう呼んでいましたわね」


エドワルドは言葉を失った。確かに言った。マリアベルの前で、何度も。


「全部、聞いていましたのよ。殿下が私を蔑む度に、私は心の中で微笑んでいました。ああ、また証拠が増えたわ——と」


「化け物……」


「ええ、そうかもしれませんわね」


リーゼロッテは穏やかに頷いた。


「でも、化け物を育てたのは誰でしょう?」


エドワルドは後ずさった。壁に背中がぶつかり、それ以上逃げられない。


「待ってくれ、リーゼロッテ。僕が悪かった。謝る、謝るから——」


「謝罪? 何に対する謝罪ですか、殿下? 私を蔑んだこと? 聖女に現を抜かしたこと? 王家の金を横領したこと?」


「全部だ! 全部謝る! だから——」


「いいえ」


リーゼロッテは静かに首を振った。


「殿下は何も分かっていらっしゃらない。私が求めているのは、謝罪ではありませんの」


「なら何だ! 何が欲しいんだ!」


「報い」


その一言は、刃のように鋭かった。


「五年間の屈辱。母を失った悲しみ。父に道具として扱われた怒り。……全ての報いを、貴方方に受けていただきます」


リーゼロッテは窓際に歩み寄った。夕陽が彼女の銀灰色の髪を紅く染める。


「殿下。貴方は最初から、私を見ていなかった。私がどれほど苦しんでいたか。どれほど孤独だったか。どれほど貴方を憎んでいたか」


振り返った彼女の目には、氷の炎が燃えていた。


「貴方の目に映っていたのは、都合の良い人形だけ。従順で、文句を言わず、いつでも捨てられる存在」


「違う……僕は……」


「違いません。だから、こうなったのですわ。殿下が私を見ていれば——本当の私に気づいていれば——少しでも人として扱っていれば——」


彼女は薄く笑った。


「私は、こんな化け物にならなかったかもしれませんわね」


その言葉に、エドワルドは何も返せなかった。


「さようなら、殿下。お元気で……いいえ、それは嘘ですわね。貴方の残りの人生が、苦しみに満ちたものでありますように」


リーゼロッテが扉を開けた瞬間、廊下に衛兵たちが現れた。


「エドワルド・ローゼンクランツ殿下。王家資金横領の罪により、拘束いたします」


「待て……待ってくれ! 僕は王太子だぞ!」


「王太子の地位は、本日付で停止されております」


衛兵たちがエドワルドの両腕を掴む。彼は叫び、暴れ、足掻いた。


「リーゼロッテ! お前が仕組んだんだろう!」


彼女はようやく振り返った。穏やかな微笑みを浮かべて。


「私は何もしておりませんわ。……ただ、貴方の言葉を記録していただけですもの」


「化け物めぇぇぇ!」


絶叫が廊下に響く。衛兵たちがエドワルドを引きずっていく。かつての黄金の王子は、今や罪人として牢へ向かう。


リーゼロッテは、その背中が角を曲がって見えなくなるまで、静かに見送った。


「……終わりましたわね」


廊下の陰から、エルザが姿を現す。


「お嬢様。お見事でございました」


「ありがとう、エルザ」


リーゼロッテは歩き出した。王宮の長い廊下を、優雅な足取りで。


「しかし、まだ終わっていませんわ」


「……伯爵様のことでございますね」


「ええ。あと一人……あの人だけは、必ず」


母を殺した男。娘を道具として扱った男。十年以上にわたり、リーゼロッテの人生を踏みにじってきた男。


「王太子殿下は序章に過ぎませんでしたわ」


リーゼロッテは窓の外を見つめた。夕陽が王都を紅く染めている。


「本当の復讐は、これからですの」


淡い銀灰色の髪が、夕陽の光を受けて紅く輝いた。まるで、血の色のように。


「お供いたします、お嬢様。……どこまでも」


二人の影が、長い廊下に伸びていく。


復讐の物語は、最終章へと向かおうとしていた。

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