蜜の微笑み、毒の涙
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この作品は生成aiを用いて執筆を行なっています
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燭台の炎が、晩餐の間に不吉な影を落としていた。張り詰めた空気の中、マリアベル・エーデルシュタインは聖女の微笑みを浮かべながら一歩を踏み出した。蜂蜜色の巻き毛が揺れ、翡翠色の瞳が蝋燭の灯りを反射して、まるで獣のように光る。
「まあ、リーゼロッテ様。お顔の色が優れませんわね。やはりご療養中に無理をなさるものではありませんでしたのに」
その声は蜜のように甘く、しかしリーゼロッテの耳には毒よりも不快に響いた。
リーゼロッテは椅子に座したまま、薄紫水晶の瞳を細めた。表情には微塵の動揺も浮かべない。五年間、この女の傍で仮面を被り続けてきたのだ。今更、何を驚くことがあるだろう。
「マリアベル様。婚約発表の夜以来ですわね」
リーゼロッテの声は、春風のように穏やかだった。しかしその言葉の選択は、明らかな挑発だった。婚約発表——禁術が暴かれ、聖女の仮面に亀裂が入った、あの夜。
マリアベルの笑顔が、一瞬だけ引きつった。
「ええ、あの夜は大変でしたわ。どなたかの策略のおかげで」
「策略? 私は何のことか存じませんわ」
リーゼロッテは首を傾げ、困惑した表情を浮かべてみせた。完璧な演技。しかしその瞳の奥には、氷のような冷たさが潜んでいる。
ハインリヒは二人の女の間に立ち、苛立たしげに腕を組んだ。先ほどの「母と同じ運命」という失言が、娘にどれほどの確信を与えたか、彼はまだ気づいていない。
「茶番は終わりだ、リーゼロッテ。マリアベル殿が来られたのは、お前を説得するためだ」
三者が対峙する晩餐の間。蝋燭の炎が揺れ、壁に映る影が不気味に踊った。表面上は穏やかな貴族の会話。しかしその裏では、致死量の敵意が交錯していた。
「説得……ですか」
リーゼロッテは、まるで他人事のように呟いた。
マリアベルがゆっくりと近づいてくる。白いドレスの裾が床を掃き、銀の髪飾りがきらめく。かつて「守ってあげたくなる」と評された可憐な容姿。しかし今、その目には隠しきれない狂気が宿っていた。
「リーゼロッテ様。私、ずっと貴女のことを心配しておりましたの」
マリアベルはリーゼロッテの椅子の傍に立ち、見下ろすように首を傾けた。
「婚約破棄のショックで、お心を病んでしまわれたのではないかと。妙な噂を流したり、王宮で騒ぎを起こしたり……。そのような行動は、ご病気の証拠ですわ」
「なるほど。私が狂人だと仰りたいのですね」
「いいえ、そこまでは申しておりません。ただ、静かな場所でご療養されるのが一番かと。山奥の修道院など、いかがでしょう?」
ハインリヒが娘を睨みつける。
「聞いたな、リーゼロッテ。お前の行き先は決まった。明日にはここを発ち、二度と社交界に戻ることは許さん」
修道院への幽閉。事実上の社会的抹殺。そしてその先に待つのは——「母と同じ運命」。
マリアベルが身を屈め、リーゼロッテの耳元で囁いた。その声は、もはや聖女のものではなかった。
「大人しく消えていただきますわ、リーゼロッテ様。貴女のような——地味で退屈な女が、私の邪魔をするなど、許されることではありませんもの」
リーゼロッテは、その言葉を聞いても表情を変えなかった。ゆっくりと顔を上げ、マリアベルの翡翠色の瞳を真っ直ぐに見つめた。
そして——微笑んだ。
「申し訳ありませんが」
その声は、湖面のように静かだった。
「消える予定がありませんの。私」
マリアベルの目が見開かれる。ハインリヒが怒りに顔を歪める。しかしリーゼロッテは、椅子に座したまま、優雅に両手を膝の上で組んだだけだった。
その瞬間——夜の空気を切り裂くように、鋭い音が響いた。
窓が砕け散った。ガラスの破片が宙を舞い、蝋燭の炎が一斉に揺れる。冷たい夜気が室内に流れ込み、マリアベルの悲鳴が響いた。
「きゃあっ!」
「何事!?」
ハインリヒが叫ぶ。しかし答えは、窓枠を越えて次々と飛び込んでくる人影たちだった。
黒装束の護衛たち。訓練された動きで室内に展開し、出入り口を封鎖していく。その先頭に立つのは——栗色の髪をきっちりと結い上げた、そばかすの女性だった。
エルザ・ミュラー。彼女は主人の前に進み出ると、完璧な角度で深々と一礼した。
「お嬢様、お迎えに上がりました」
その声は、まるで日常の給仕のように平坦だった。
リーゼロッテは、砕けた窓ガラスの破片を踏みしめながら、優雅に立ち上がった。淡い銀灰色の髪が夜風にたなびき、薄紫水晶の瞳が月光を受けて輝く。
「遅かったですわね、エルザ」
「申し訳ございません。窓の位置の確認に手間取りました」
「次からは、三分早く」
「心得ました」
ハインリヒは青ざめた顔で、次々と入室する護衛たちを見つめていた。彼らの装備、動き、そして纏う気配——明らかに只者ではない。
「貴様……ヴァイスブルク家の者か!?」
誰も答えない。エルザは主人の傍に控え、護衛たちは無言で陣形を維持している。
マリアベルが我に返り、リーゼロッテに向かって手を伸ばした。
「逃がすものですか!」
しかしその手は、護衛の一人に阻まれた。腕を掴まれ、強制的に後ろに押し戻される。
「離しなさい! 私は聖女よ! こんな扱い、許されると思って!?」
喚くマリアベルを、リーゼロッテは一瞥した。その目には、もはや何の感情も浮かんでいない。
リーゼロッテは、乱れた髪を指先で整えながら、父とマリアベルに向き直った。晩餐の間は惨状と化していた。砕けた窓。散乱したガラス片。倒れた燭台。そして、護衛に囲まれて身動きの取れない二人の「敵」。
「父上」
リーゼロッテは、完璧な貴族令嬢の所作で一礼した。
「楽しいお茶会でしたわ」
その言葉に、ハインリヒの顔が歪む。茶会——娘を毒殺しようとした宴を、そう呼ぶのか。
「マリアベル様」
リーゼロッテは聖女にも同様に一礼した。その動作は優雅で、微笑みは蜜のように甘い。
「また機会がありましたら」
機会。そんなものは、もう二度と訪れない。この二人が、この後どうなるか——リーゼロッテだけが知っている。
マリアベルは護衛の腕の中でもがきながら、憎悪に満ちた目でリーゼロッテを睨みつけた。
「貴女……! 全て、全て貴女の仕業ね!? 最初から……!」
「何のことでしょう? 私はただ、父上のお招きを受けて参っただけですわ。このような騒ぎになるとは、思いもよりませんでした」
完璧な演技。完璧な嘘。そして——完璧な勝利。
エルザが主人の背後に回り、肩にショールをかける。
「お嬢様、馬車の準備が整っております」
「ありがとう、エルザ」
リーゼロッテは最後にもう一度、生家の晩餐の間を見渡した。幼い頃、母と共に食事をした場所。母が殺された後、父に「道具」として扱われ始めた場所。そしてこれが、この屋敷を見る最後になる。
「さようなら、父上」
その声には、もう何の感情も込められていなかった。
リーゼロッテは背を向け、護衛に囲まれながら、晩餐の間を後にした。
正面玄関を抜け、石畳の道を歩く。月明かりが庭園を照らし、夜風が薔薇の香りを運んでくる。シュヴァルツェン伯爵邸——リーゼロッテが生まれ育った場所。しかし彼女にとって、ここは決して「家」ではなかった。
母を失った場所。道具として売られた場所。そして今夜、母を殺した真犯人を確信した場所。
三歩、四歩。馬車はもうすぐそこに見えている。五歩目——リーゼロッテの足取りが、僅かに揺らいだ。
「お嬢様」
エルザが、さりげなく主人の腕を取った。支えるように、しかし周囲からはただ寄り添っているように見えるだけの、絶妙な距離感。
リーゼロッテは無言だった。歩きながら、彼女の手が微かに震えているのを、エルザだけが知っていた。
——母を殺したのは、実の父だった。
疑惑は以前からあった。証拠も集めていた。しかし、本人の口からそれを聞くのとは、全く違う。
「母と同じ運命を辿らせてやろうか」
父の言葉が、頭の中で何度も反響する。あの男は、妻を殺し、娘を道具にし、何の悔恨も抱いていない。むしろ、娘にも同じことをすると、平然と口にした。
馬車の扉が開かれる。リーゼロッテは足を止め、一瞬だけ振り返った。伯爵邸の窓に、灯りが見える。あの中で、父とマリアベルが護衛に囲まれているはずだ。しかしそれも、長くは続かない。彼らは間もなく解放され、新たな策を練り始めるだろう。
——それでいい。
リーゼロッテは馬車に乗り込んだ。扉が閉まり、外界の音が遠ざかる。そして——彼女の仮面が、静かに崩れ始めた。
馬車が動き出す。車輪が石畳を踏む音が、規則正しく響いた。窓の外を、伯爵邸の影が流れていく。やがて庭園の木々に遮られ、見えなくなった。
リーゼロッテは、座席に深く身を沈めた。エルザは向かいの席に座り、主人を静かに見つめている。何も言わない。何も聞かない。ただ、そこにいる。
沈黙が、馬車の中を満たしていた。
やがて——リーゼロッテの肩が、小さく震えた。最初は気のせいかと思うほど、微かな震え。しかしそれは次第に大きくなり、彼女の全身を揺らし始めた。
「……っ」
声にならない嗚咽が、唇の隙間から漏れる。薄紫水晶の瞳に、涙が滲んだ。一筋、また一筋と頬を伝い、顎から滴り落ちる。
五年間。王太子の婚約者として、冷酷な父の道具として、そして復讐者として——リーゼロッテは一度も泣かなかった。感情は弱さだと知っていた。涙は敵に付け入る隙を与えると分かっていた。だから、殺した。自分の中の、泣きたいと思う心を。
しかし今——
「母上……」
声は掠れ、震えていた。母を殺したのは父だった。愛した人を、政略の邪魔になるからと、毒で殺した。そしてその娘を、道具として王太子に差し出した。
八歳の少女が、どれほど泣いても母は帰ってこなかった。どれほど父に縋っても、彼は一度も抱きしめてはくれなかった。あの日から、リーゼロッテは泣くことを止めた。泣いても何も変わらないと悟ったから。
でも——
「母上……母上……っ」
今だけは、止められなかった。
エルザは、何も言わずに主人の傍に移動した。小さな手を、震える肩にそっと添える。リーゼロッテは、声を殺して泣いた。十年分の涙を、今夜だけで流し尽くすかのように。
どれほどの時間が経っただろう。馬車は王都の街路を進み、ヴァイスブルク公爵邸に近づいていた。窓の外には、夜警の灯りがぽつぽつと見える。
リーゼロッテは、目元を拭った。エルザが差し出したハンカチで、涙の跡を丁寧に消していく。鏡を取り出し、自分の顔を確認する。目は少し赤いが、到着までには収まるだろう。
「……見苦しいところを見せましたわね」
「いいえ」
エルザは首を横に振った。
「お嬢様は、誰よりも強い方です。だからこそ、時には泣くことも必要です」
「……そう」
リーゼロッテは窓の外に目を向けた。夜空には、月が煌々と輝いている。冷たく、美しい光。まるで——母の瞳のように。
「エルザ」
「はい」
「計画を早めますわ」
その声は、もう震えていなかった。
エルザは姿勢を正し、主人の言葉を待った。
「マリアベルの禁術の証拠を、完璧に揃えます。孤児院の元子供たちの証言、治癒師の診断、全てを。同時に、王太子の横領の証拠も——五年分を、全て公開しますわ」
「レオンハルト様との連携は」
「彼には、王宮内部を動いてもらいます。調査委員会の設立を」
リーゼロッテは、自分の両手を見つめた。さっきまで震えていた手。今は、もう微動だにしない。
「全てを終わらせます」
その言葉には、悲しみはなかった。怒りもなかった。ただ、冷徹な決意だけがあった。
復讐者リーゼロッテ・フォン・シュヴァルツェン。彼女の戦いは、最終局面へと向かおうとしていた。
エルザは静かに頷いた。
「お嬢様。きっと、奥様もお喜びになりますわ」
リーゼロッテは答えなかった。ただ、窓の外の月を見上げ——微かに、微笑んだ。蜜のように甘く。毒のように、冷たい微笑みを。
馬車がヴァイスブルク公爵邸の門を潜る。玄関で待っていたレオンハルトの姿を認め、リーゼロッテは完璧な令嬢の仮面を被り直した。しかしその瞳の奥には、新たな光が宿っていた。復讐の炎が、悲しみを燃料にして、より激しく燃え上がっていた。
全てを終わらせる。母のために。そして——自分自身のために。




